第一章 イルサット
新たにドクターとミカルを仲間に加えたルーカスは、一路「イルサット」を目指して飛空艇を進めていた。二人も増えたのだからいっきに飛空艇は賑やかになるだろう──と思いきや、意外にそうでもなく、ドクターは相変わらずしかめっ面。ミカルは黙々と薬草を煎じ、ジースはチロチロとミカルを覗き見するばかりで言葉を発せず、スレイドは何事も変わっていないかのように淡々とマイペースに行動していた。何だか奇妙なものだ、大家族というのも意外にこんなものなのだろうかと、ルーカスはふと考えてみたりした。
皆が寝静まった後、ルーカスはブリッジでコンソールを操作しながら、エデンの動きを探っていた。
「どうだ。何か新しい動きはあったか?」
渋い声がして振り返ると、そこにはドクターが立っていた。銀色に近い白髪と、アーシアンには珍しい口髭。アーシアンは滅多に眼鏡をかけないが、ドクターのポリシーなのか或いは美的感覚なのか、眼鏡をかけて白衣を着た状態で立っている。
「シュナウザー先生」
ルーカスの呼びかけに、ドクターは顔を顰めて手を振った。
「その名前で呼ばんでいい。ただの『ドクター』で充分だ。私はエデンで呼ばれていた時の名前が嫌いなのでな」
エデンを出たアーシアンは、ゼノンといいドクターといい、自分なりの「拘り」があるようだ。それを「個性」というのだろか。アーシアンは概ね個性というものは重視しておらず、エデンに準じることだけを強制されている。そんな社会にゼノンもドクターも馴染めなかったというのは、まったく不思議ではない──そう思った。ひとつの思想を強制されるには、ゼノンもドクターも「自由奔放」だからだ。おそらくはスレイドも、受け入れられはしまい。だからこそ、その父であるヴァルセルは反旗を翻したのかもしれんが。
考え事をしながらもルーカスは笑顔で頷くと、自分が見ていた画像をドクターに見せた。
「今のところ、情報は何もありません。エデンは秘密主義なので、ジョリスさんが逮捕されたことも、また、逃亡されたことも公開していないようです。ただ、ヒューマノイドタウンの情報を探っている時に、ジョリスさんがエデンから脱出した旨の記事が書かれているものを発見しました。でも、それ以外にエデンの動きは何も書いていません」
「あまりにだんまりなのも、逆に怖いな。『嵐の前の静けさ』じゃなければ、いいんだが──」
「そうですね。エデンが動き出す前に、ジョリスさんの意識を戻すことが先決かもしれません」
そう言うと、ルーカスは操作していた画像をオフにした。ドクターに向き直る。
「イルサットについた後、私とスレイド、ジースの三人でジョリスさんを探しに行ってみます。少し離れたところに飛空艇を止めるので、ドクターとミカルさんはそこで待機していてください。ジョリスさんの居場所が分かり次第、すぐに迎えに行きます」
「おお、そうだな。下手に集団で動いても危険だし、それに何より、ミカルを危険な目に遭わせたくないからな」
その言葉に、ルーカスも同意して頷いた。
* * *
翌日の朝も、「俺様は自由号」はイルサットを目指し飛び続けていた。目前の窓には、鬱蒼とした熱帯雨林の景色が一変し、優しい自然に満ち溢れた光景が広がっている。ジャングルに代わって姿を現したのは、紅葉に覆われた山々と、風にそよぐ花畑。雪を頂きに載せてそびえ立つ壮大な山。生まれて初めて見る光景ではあるが、シリアに情操教育の一環で記憶に映像をインプットされているルーカスには充分馴染みのある光景だ。顔を輝かせながら周囲を見回して声をあげる。
「すごく綺麗ですね! カエルムに、こんな光景ありませんでしたもの」
インフェルン大陸──アーシアンが「地獄」と呼ぶこの大陸は、決してそんな酷い環境ばかりではない、ルーカスはそう思った。それと同じで、アーシアンが勝手にヒューマノイド達の中に諍い(いさかい)の種があると決めつけているのも、決して全員ではない──今目にしているこの光景のように、美しい心を持つ人たちだっていっぱいいるはずだ、ルーカスはそう思った。
思えば、一体誰が心のレベルをはかるというのか。
アーシアンはヒューマノイドを「獣」と侮蔑出来るほど、優れた人種だとどうやって証明出来るのだろうか。
否──誰も証明など出来ない、ルーカスはそう確信する。何故なら、「生きる」ことを当たり前と思い、生命に感謝していないアーシアン達を複数見てきたから。心のレベルに、アーシアンもヒューマノイドも関係ないのだ、そう思ったその時。
「そうか。今、イルサットは『秋』なのだな。長いことジャングルにいたから、季節感というものをすっかり忘れておったわ」
ドクターがぽつりと呟く。その言葉に、ルーカスはまるで重大なことを思い出したかのように「あっ!」と叫んだ。
「ドクターのおかげで思い出しました! ジースさん、先日の私の質問に答えてくれますか?」
そう言ってジースを見る。ジースは肩をすぼめて「やっべー」と言いたげな表情を浮かべた。唐突なルーカスの言葉に、ドクターは「何だ?」と首を傾げている。
「アカデミー卒のお前でも分からない質問って、一体どんな質問だ?」
「『季節を売買する方法』です」
ルーカスはそう断言するが、その後ろでスレイドが瞼を閉じて呆れたような表情をしていることまでは気づかなかった。
「何だ? 季節を売買するって、私にも分からないぞ。どういうことだ?」
ドクターも興味深げにジースに視線を投げる。ジースはさらに追い詰められ、まるで塩をかけられたナメクジのように操作台の上で伸びてしまった。生死の境を彷徨っているジースに向かい、ルーカスはついに引導を渡した。
「はい。ジースさんが『売春宿』って言ったので──」
あーあ。言っちゃった……という空気が、辺りに満ちる。スレイドはまるで「俺は関係ない」とでも言いたげに踵を返して集団から抜けると、壁際のソファーに腰を落とした。
一方、みるみるうちにドクターの顔が豹変していく。
「こ、こ、こ、このふしだらなスケベ男が! 売春宿なんかに行ったのか!」
「行ってねぇよ! ここにいるバカが空気読めない発言ばかりするもんだから、行く気をなくしちまったんだ!」
ジースはまるで「俺は無実だ」とでも言わんばかりに弁明した。しかし、ただでさえ性欲が軽んじられるアーシアン、その中でも堅物であろうと思われるドクターは、目を三角にしてどやし続けた。
「実際に行くかどうかが問題なのではない! 『行こうという発想をした』ということこそが、問題なのだ!」
そう叫んだ後、瞬時に背後のミカルを振り返る。ミカルは困ったような表情でその場を見守っていたが、ドクターはそんなミカルを守るかのように立ちはだかるとこう叫んだ。
「貴様は絶対、ミカルに近づかせんぞ! 半径3メートル以内に近づいてみろ、すぐさま私の鉄槌を食らわせるからな!」
きょとんとしたままのルーカスの前で、ドクターはミカルに手で合図しながら「もう少し後ろに下がれ。まだ半径3メートル内だ」と囁いた。
こうなることを予測していたジースは、ナメクジの姿勢のまま操縦桿を握っていた。一方、結局のところ謎が解けていないままのルーカスはドクターに尋ねる。
「あの……とどのつまり、売春宿って何なんですか?」
「そんなこと、お前が知る必要はない!」
──怒られてしまった。
何で怒られたのかよく分からないが、ドクターの豹変ぶりといい「売春宿というのは、あまり良くないことなのかな」ということだけを何となく理解するに留まった。
* * *
紅葉に満ちた山々と、雪を頂く高い山の合間に、小さな集落が見えてきた。周囲を森に囲まれ、自然に恵まれた街──これが目的地イルサットだ。
「ずいぶんと可愛らしい街ですね」
ルーカスは操作台に手を置き身を乗り出すと、空から眺める街の様相を見て呟いた。
「まだ高度が結構あるからな。実際に着陸すると、そこそこ大きな街さ。まぁ、カエルムで言うところのガルシアみたいなところかな」
ジースは先ほどの一件をまだ引きずっているのか、虚ろな目でそう答えた。
「ジョリスのアジトに、通信で連絡しないでいいのか?」
背後に立つスレイドが疑問をなげかけた。ルーカスは笑顔でかぶりを振る。
「ドラシルですでに私達が行くことは伝達済みですし、さすがに私もエデンに傍受されないよう通信出来る自信がないので直接探しましょう。リゲルさんの話だと、イルサットは街の住民全員がレジスタンスと言っても過言ではないぐらいだそうですし、危険はないと思います」
ルーカスの説明に、スレイドは「ふぅん……」と答えた。
昨晩の作戦通り、まずはルーカス、スレイド、ジースの三人でジョリスを探すことにし、飛空艇にはドクターとミカルに残ってもらうことになった。飛空艇はイルサット近くの森林に隠し、三人は街を目指して歩き始めた。
「けどよぅ、どうすんだよ。いきなり街中で『ジョリスのアジトはどこですか?』って聞く気か? 万が一そいつがエデンのスパイだったりしたら、目もあてらんないぜ」
「まぁ、そういうリスクは否定出来ませんよね。なので、まずは街の様子を探ってみましょう。仮にリゲルさんが言っていたように街の人達全員がレジスタンスと言える状況であるなら、絶対に彼らの方から私たちの方に何らかのアクションをしてくるはずなので」
「そのアクションっていうのが、いきなり『刺殺される』というアクションでないことを祈りたいぜ、俺は」
ジースが頭の後ろで手を組んで毒づく。ルーカスは顔を顰めてジースを睨んだ。
「……嫌なこと言わないでください。ジョリスさんはとても人格者だと伺っているので、きっとレジスタンスの方々も穏やかな人ばかりだと思いますよ。シオンさんにしたってリゲルさんにしたって、二人とも穏やかだったでしょう?」
「だといいがなぁ……」
ジースは目をすがめながら呟いていた。反してルーカスは、ジースの懸念は取り越し苦労と言わんばかりに微笑んだ。
──だが。
残念なことに今回に限っては、ジースの虫の知らせの方が正解だったようだ。
街に入り、煉瓦で整備された街道を進むにつれ、ルーカスは住民達の刺すような視線に晒されることになった。その目はルーカス達を怪しんでいるかのようで、住民達からも警戒心が伝わってくる。その視線の注がれる中心は主にルーカスだったが、そのそばにいるジースも住民の視線の異常に気付いたようだ。
「ほーらなぁ。やっぱり『刺すような視線』で刺されまくりだ」
「視線なだけ遥かにましです。ナイフじゃないんですから!」
ルーカスは負け惜しみのような、或いは言い訳のようなよく分からない返答をした。
緊張した面持ちで進むルーカス達を眺める住民は、ほとんど全員ヒューマノイドだ。だが、カエルムではあまり見たことのない人種も多い。カエルムのヒューマノイドはアーシアンに似た白い肌をした人や黒い肌の人が多かったが、ここでは黄色(おうしょく)の肌の人が多い。黄色に黒髪。ルーカスは初めて見るタイプの人だった。彼らは目が他のヒューマノイドよりも細いせいか、余計に視線がきつく見える。
「なぁよう。ただこうして歩いているよりも、どこかの店に入っちまった方が安全かもしれないぜ。そこでもう一回策を練り直そう。店に入れば、仮に客が刺すような視線を向けてきても、店主的には問題を避けるだろうから大事には至らんだろう?」
それも一理ある──そう思ったルーカスは、ジースの提案を受け入れて店に入ることにした。ちょうど、通りの奥にカフェテラスが見えた。ルーカス達はひとまずそこに入って策を練り直すことにした。
店に入ると、体格のいい中年の女性がメニューを持ってやってきた。案の定、ルーカスをギロリと睨む。
「あんた、アーシアンかい」
低い声で尋ねた。ルーカスは緊張と恐怖が表情に出ないよう細心の注意を配り、満面の笑みを浮かべた。
「いいえ、正確にはアーシアンの二世です。カエルムでアーシアンと白人女性の間に生まれました」
ガルシアで聞かれた時には全く違う返答をしていたはずだが──そう思うと、スレイドは何だか可笑しいものを感じていた。ルーカスの返答に対してまだ疑いが晴れ切らない中年女性の気を逸らすために、ジースも加えた。
「おばちゃん! そんな目でそいつを見ないでくれよぅ。俺はどこをどーみてもヒューマノイドだろ! 俺達三人、幼なじみなんだ。初めてのイルサット観光を楽しんでいるところなんだから、水を差さないでくれよ」
そう言って、仲良しを強調するかのようにルーカスとスレイドの肩を抱いて引き寄せた。ルーカスは引き寄せられ「おっと……!」とバランスを崩したが、スレイドはすかさずジースの手を払いのけて姿勢を維持した。
「ふぅーん……。幼なじみ、ね」
「な。俺達、滅多に観光出来ない貧乏人だから、せっかくの旅行ぐらい楽しい気持ちで食事させてくれよぅ」
ジースの言葉に少し納得いったのか、中年女性はメニューを開いてドンと置き、「決まったら呼びな」と言って厨房に戻っていった。ルーカスは思わずため息をついた。
「……おっかない女性でしたね……。ああいう女性、初めて見ました」
冷や汗を浮かべるルーカスに反し、ジースはすました顔でメニューを見ている。
「あーいう女、ヒューマノイドにゃごまんといらぁ。ミカルみたいな聖少女ばっかりが女じゃねぇよ」
そういうと、メニューをルーカスに突き出す。
「ンで? それはいいけど、俺たちこれからどーすんだよ。どうやって『ジョリスのアジト』を見つける気だ?」
ジースは精一杯小さな声で囁いたつもりだった。しかし、ルーカス達が思っている以上に、この街の人達はジョリスという名前に敏感だったようだ。ジースが背を向けている側のテーブルに座る三人の男達が一斉に、ルーカス達のテーブルに視線を向けた。ルーカスはジースの問いに集中していて気づかなかったが、彼らの動きにスレイドはすぐに気が付いた。スレイドの視線に気が付くと、男達もすぐに目を背ける。そんな様子をスレイドが窺っている最中、ルーカスはジースにこう答えた。
「もう少し、この街を散策してみましょう。何かきっかけがつかめるかもしれないので」
そうルーカスが答えた時、あの太った女性がメニューを取りに来たので話はその場で中断された。
女性はこの店の店主で、意外にもルーカス達をもてなしてくれた。食事で注文したもの以外にもサービスで提供してくれ、「え? いいの?」と目を丸くしたジースがすべて平らげてしまった程だった。
ルーカスはもともと食が細いし、スレイドは後方のテーブルの男達が気になって仕方ない。何気なく視線を向けると、男達三人はとっくに食事を終え、テーブルに水だけが置かれる状態になっても席を立たない。明らかにルーカス達が席を立つタイミングをはかっているのがみてとれた。
「そろそろ行きましょうか」
そう言って席を立つルーカスに対し、「はぁ、食った食った! 俺様、すぐに動けるか分からねぇなぁ」とジースは呑気である。
「動けないなら、そのまま座ってろ。刺されても知らないがな」
スレイドが吐き捨てるように言うと、ジースは顔を顰めて「なんだよイケメン。お前の分まで俺様が食ったから、拗ねてるのかよ」とぼやきつつ後についてきた。
一方、後方にいたテーブルの男達も互いに顔を見合わせる。ルーカス達が会計を済ませて歩き出した頃合いを見計らい、同時に席を立った。
ルーカス達は、人通りが少ない狭い路地を進むことにした。ジースが歯をしぃしぃと鳴らせながら言う。
「あのおばちゃん、顔はおっかねぇ顔してたけど、意外に人はいいのかもな。あんなにご馳走してくれてよ」
「──どうかな。俺達の動きを鈍らせる為の作戦だったのかもしれないぜ」
スレイドの言葉に、ジースは「なんだよぅ、それどういう意味だよぅ」と騒ぐ。ジースを放置して、スレイドは視線だけを背後に向けた。
案の定、テーブルの後ろにいた男達三人が尾行している。三人ともヒューマノイドで、ひとりは背が高くて体格もがっしりした黄色人種。カタストロフィ前の世界ではネイティブアメリカンと呼ばれていた種族によく似ており、真黒な髪を腰まで伸ばし三つ編みに結んでいた。もうひとりも黄色人種だが、そこまで背は高くない。同じく真黒な髪を肩の付近で靡かせている。目が細く吊り上がっているせいか、顔つきがきつく見えた。さらにもうひとりは白い肌をしており赤毛で、そばかすがある。二人に比べるとまだ年若い青年のようだ。
彼らがレジスタンスなのか、エデンに雇われたスパイかは判別出来ない。だから、下手に話しかけるのは危険だとスレイドは判断した。ふと、ルーカスが怪訝そうな表情でスレイドを見上げる。
「スレイド。さっきから一体、何を気にしているんです?」
「──カフェテラスから、ずっと尾行されている」
「えっ!」
ルーカスがとっさに振り返ろうとしたところを、スレイドが制した、
「振り向くな! 話だけ聞いてろ」
緊張した面持ちでルーカスは姿勢を戻す。スレイドは視線だけを背後に向け、声を潜めて続けた。
「あいつら、ジースの後ろに座っていた奴らだ。ジースがジョリスの名を出した瞬間にこっちを見て、それ以来、ずっと俺達の様子を窺っていた」
「でも──それって、もしかしたらジョリスさんの仲間なのでは……」
「だったら、カフェテラスの時点で話しかけてくンだろ。こんなこっそり尾行するか?」
頭の後ろで腕を組みながら伸びをするジースの言葉に、ルーカスも頷いた。
「確かに一理ありますが……ジョリスさんはエデンに捕まっていたんですよ。警戒するのは当然かと」
「どうだかな。俺様ぁ、あいつらがエデンのスパイに一票だ」
なかなかまとまらない意見に、スレイドが一言加えた。
「こちらから罠を仕掛けよう」
一方、ヒューマノイドの男達三人もあれこれと模索していた。
「小柄なアーシアンの少年。もしかして、シオンが言っていた少年ではないか?」
「お前の言うことは信用出来ない、サウゼン」
細く吊り上がった目をした青年が言う。おそらくカタストロフィ前に東洋人と呼ばれていた人種だろう。彼はさらに険しい表情でサウゼンを睨みつけた。
「そもそもジョリスは、お前と一緒にスウェルデンに遠征してそこで捕まったんだぞ。お前が一緒にいながら、何でそんな失態をしでかした!」
「もうその話はやめようよ、エイジ。あれは避けようのない事態だったんだ。サウゼンが生きていただけでも奇跡だよ」
赤毛の年若い青年が仲裁する。しかし、エイジは納得が行かない様子だ。
「それに、中央に立つ紅くて髪の長い男は、カフェテラスで俺を睨んだ。明らかに警戒している様子だった」
「そりゃ、君が警戒してりゃ向こうも警戒するだろ」
「お前は黙ってろ、キッド! あいつらはどうも胡散臭い──」
そう言った矢先の出来事だった。目の前で、尾行していた三人が一斉に走り出したのだ。
「ほらみろ!」
エイジが絶叫し、一斉に三人の後を追った。
思った以上に三人の足は速く、狭い路地を自在に駆け抜けていく。息を切らせながら彼らの入った路地を曲がると──そこには誰もいなかった。他に逃れられる道はないはずなのにと、三人は周囲を見回す。
その時だ。
困惑する三人の前に、いきなり影が飛び出した。その存在を確認するより早く、キッドが殴り倒されてしまった。キッドを殴り倒した相手の姿を捉えようとするも、あまりに動きが速すぎて追えない。咄嗟に銃を取り出して狙おうとするエイジの右手に、激しい痛みが走った。気が付くと紅い髪の男が背後に立ち、自分の右手を掴んで捩じ上げていた。
「エイジ!」
助けに入ろうとしたサウゼンも、背後から羽交い絞めにされてしまった。七色のゴーグルをした風貌の変わった男が、サウゼンの耳元で囁く。
「大人しくしてた方が身のためだぜ。でないと、あンたの股間を俺様の足が蹴り上げちゃうからねん」
「き、貴様ら何者だ!」
エイジの叫びに、二人は無言だ。やがて、壁脇からひとりの少年が姿を現した。小柄なアーシアン──彼は優し気な瞳でサウゼンを見つめ、静かに近づいてくる。
──この目、どこかで見たことがある。
サウゼンは思った。
そうだ、ジョリスだ。ジョリスの目によく似ている。優しさと慈愛に満ち、いつも仲間思いだったジョリス。彼の目によく似ているのだ。それに気づいた瞬間、サウゼンは目の前の少年を敵だと思うことなど出来なかった。
だが、エイジは違った。掴まれている右手を振りほどこうともがきながら叫んだ。
「お前は、エデンのスパイか!」
その瞬間、スレイドがさらにエイジから自由を奪おうと腕をきつく捩じ上げた。エイジは呻き、顔を顰める。
「スレイド。彼を離してください」
アーシアンの少年から放たれた言葉に、エイジは意外そうに目を見開いた。一方、エイジを掴んでいた男は彼よりも遥かに小柄で年下であろう少年の言うことを素直に聞き入れ、エイジを離した。エイジはその場で膝を崩したが、内出血した右手を抑えつつもこの現状を理解出来ず困惑していた。
アーシアンの少年は穏やかな瞳のままエイジに近づき、こう告げた。
「ジョリスさんの仲間ですね」
エイジはまだ警戒を解かず、低く唸る。
「──だったら何だ」
「私達は敵ではありません。私はルーカス。彼はスレイド、そして彼がジース。シオンさんに頼まれ、ここまで来ました」
その瞬間、サウゼンは身を乗り出した。
「やはり、君が遺伝子工学の権威でジョリスを治療出来るかもしれないって少年なんだな。ネクタス教官の教え子の──」
ルーカスは深く頷く。
「はい、そうです」
「そうとは知らず、君達を尾行するなど愚かな行為をしてしまったことを許して欲しい。私はサウゼン。そこにいるのはエイジにキッド。みな、ジョリスの仲間だ」
ルーカスはそれぞれ名を告げられた相手に会釈をした。
「早速ですが、サウゼンさん。ジョリスさんのいる場所に、案内してくれませんか?」
ルーカスの申し出に、サウゼンは頷いた。
「勿論だとも、ついて来なさい」
そう言って、サウゼンは踵を返した。
* * *
サウゼンに案内されて、ルーカス達はジョリスのアジトに向かった。道すがら、ルーカスがサウゼンに問う。
「ジョリスさんは、この街の人に相当愛されていたようですね……」
イルサットの人々は、レジスタンスの存在を命がけで守ろうとしている意志が窺えた。それは、レジスタンスそのものを守るというよりも、そのリーダーであるジョリスを守ろうとしているかのようにルーカスには思えたのだった。
「ジョリスは、ただのリーダーだというだけではない。彼は類い稀な程の人格者なんだ。少なくとも、俺はそう思っている。この街のレジスタンスは、ジョリスの掲げる和平の心に共感して、みんな協力してくれているからな」
エイジはサウゼンの背後に立ち、険しい表情のまま二人の話を聞いていた。自分の後ろに立つスレイドから感じる警戒心を全身で感じながらも、僅かに首を傾げてスレイドに視線を向ける。
「お前がヴァルセルの息子か?」
「──だったら何だ」
スレイドはエイジと目を合わせることさえなく、言い放った。エイジはしばらくスレイドの顔を見つめていたが、ややもして背を向けて歩き出す。
「ヴァルセルは、ジョリスを上回る程の英雄だったと俺達ヒューマノイドは聞かされて育ってきたが、俺はそう思わない。ヴァルセルがここのリーダーだったら、俺はレジスタンスにならなかった」
「それはどうしてですか?」
掘り下げて尋ねたルーカスに対し、エイジははっきりと言い切った。
「ヴァルセルは相当『汚い手』を使っていたと聞いてるからさ。自分が助かる為に、友人だった多くのアーシアンを犠牲にしたとも言われている。そのせいで、数百名の優秀なレジスタンスのトップが無駄死をしたんだ。そのため一時期はレジスタンスがかなり劣勢となり、このままヒューマノイドもろとも全滅かと思っていたところを立て直したのが、ジョリスというわけさ」
「──エイジ。あまり憶測で物を言うな」
先頭を進むサウゼンが、振り返ることなくエイジを制した。ルーカスが意外そうな顔をしてサウゼンを見上げる。
「レジスタンスが劣勢になった時期もあったんですか?」
「ああ。ヴァルセル氏が逮捕される数か月前に、レジスタンスが初めてエデンに攻撃を仕掛けたことがあった。その際のリーダーはクリスという名のアーシアンだったが、ヴァルセル氏の後輩で、その上彼の右腕ともされる人物だった。だが、その攻撃は時期尚早で、エデン側に多くの痛手を負わせることに成功したものの、レジスタンス側の犠牲はさらに大きいものだった。ちなみに、エデンはその時の教訓からアンゲロイの傭兵育成に勤しむようになり、さらにレジスタンスは追い詰められることとなった。今はジョリスが全体のレジスタンスを指揮しているが、当時の戦闘による後遺症は今でも残っており、劣勢である状況は変わっていない」
「その上──」
エイジが口を挟んだ。
「その上、ヴァルセルが秘密裏にミッションを言い渡した奴らの正体も不明のままだ。そいつらが何を目的に存在し、何をしているのかさえ、俺達レジスタンスには見えてこない。奇妙な話だと思わないか? 両者同じくヴァルセルの遺志を継いでいるはずなのに、何故向こうは俺達と接触しようとしないのか」
「秘密裏のミッション?」
ルーカスは怪訝そうな顔をした。そんな話、ネクタスから一度も聞いたことがない。ネクタスはヴァルセルの一番近くにいた存在だと、ルーカスは確信している。そんな彼が秘密裏にミッションを言い渡した存在を知らないはずがあるだろうか? 仮にそれをネクタスにさえ告げていないのだとしたら──確かにエイジが言うことにも一理あって、ヴァルセルには影の部分があるというのも否定は出来まい。
「その人達は何人ぐらいいるんですか? そもそもアーシアンなのですか?」
ルーカスの問いに、エイジが即答した。
「三人だ。三人のアーシアンということと、そのうちの一人が『セイン』という名だということぐらいしか、俺達は分からない」
エイジの説明に、スレイドの記憶が脳裏を過った。スレイドにとって、もっとも辛い記憶──セヴァイツァー神父が惨殺されたあの夜。神父を惨殺したのも三人のアーシアンで、かつ、その一人に向かって言った神父の言葉を、未だはっきりと記憶している。
「セイン! 何故、エデンに帰らなかった」
その言葉の後、10歳だったスレイドは殴られて意識を失い、その間に神父は殺されてしまったのだ。苦い記憶を噛みしめながら、スレイドが呟いた。
「俺は、そいつらに会ったことがある」
スレイドの意外な言葉に、全員がその場で足を止めた。
「会ったことがあるって、一体いつですか?」
「俺が10歳の時、神父が殺された晩だ。神父を殺したのは三人のアーシアンで、そのうちの一人がセインという名前だった」
それを聞いて、ルーカスも思い返した。
ガルシアに向かう途中、オアシスで休憩していた時にスレイドが見た夢の内容。その、あまりにも想像を絶する内容。
「……ヴァルセルさんの遺志で、神父を殺したという──」
「えっ!」
ルーカスの呟きには、その場にいるレジスタンス全員を絶句させる力があった。スレイドはかぶりを振る。
「それは俺が見た夢だから、事実とは限らない。だが、神父を殺したのは三人のアーシアンで、そのうちの一人がセインだということまでは真実だ」
「だとしたら尚更、その三人は要注意だな」
エイジの言葉に、サウゼンは険しい表情だ。
「このことは、ジョリスにも伝えた方が良さそうだな。早急に彼の意識が戻り、レジスタンス全体の統括が取れるようになってもらわないと益々状況が緊迫化しそうだ」
サウゼンはそういうと、先を急ぐかのように歩みを早めた。
サウゼンに導かれた一行は、イルサットの街の奥にある小高い丘の麓に来た。そこには材木を扱う業者の作業所があり、黙々と作業をする男たちの間を縫うように歩いていく。ルーカスは不思議そうな表情で作業をする男たちを見上げたが、誰ひとりルーカスと目を合わせようとする者はいなかった。
「彼らも我々の仲間だ。万が一アンゲロイが来た際、アジトを守ってくれる」
サウゼンがルーカスに耳打ちする。
さらに奥まで進んでいくと、幕の張られた岸壁が出てきた。
「この先に、ジョリスがいる」
幕は一見、作業所の一部としか思えない。その幕を何枚も捲ると扉が現れた。
「この扉を設計したのはアーシアンだ。レジスタンス幹部の網膜にしか反応しないように出来ている」
「レジスタンスの幹部って?」
ルーカスの問いに、網膜をスキャンさせながらサウゼンが答えた。
「ジョリス、シオン、エイジ、そして『私』だ」
答えると同時に、扉が開かれた。
丘を掘って造られたアジトは、狭い地下への階段が続いている。薄暗い雰囲気に、少しルーカスは不気味さを感じた。
「すまんな、こんな場所で。以前は君たちがいたカフェテラスの地下にアジトがあったのだが、ジョリスが捕らえられた関係で、急遽こちらに移動したんだ。こっちの方が安全だからね」
そういうと、サウゼンは勾配のある階段を降りて行った。その後をルーカス達も続く。
「あの──ジョリスさんの容態って、どのような状態なのですか?」
ルーカスが問うた。サウゼンは振り向くことなく答える。
「肉体的には問題ないが……『何かが酷く壊されている』んだ。その理由が、俺達ヒューマノイドでは、まるで検討がつかない」
「どういう意味です?」
やりとりしている間に、サウゼンは一番階下に辿り着いていた。扉のノブに手をかけて振り向きながら言う。
「それは、自分の目で確かめてみるといい」
そう言って、静かに扉を開けた。
扉を開けた先は、薄暗い階段とは打って変わって明るい雰囲気だった。白くて、清潔な空間。日の光など微塵にも入らないはずなのに、まるで午後の日差しが舞い込んでいるかのようだ。この仕組みが、ホログラムを応用したアーシアンの技術であることに、ルーカスはすぐに気が付いた。一方そうした技術を初めて目の当たりにしたジースは「ほえぇ──。こんな地下なのに、太陽があるみてぇだ」と驚きを隠せない。
室内の壁際にあるソファーで、ひとりの少女が座っていた。赤毛をふたつのおさげに結び、大きな眼鏡をした少女。そばかす顔に満面の笑みを浮かべ、赤いエプロンドレスをひらひらさせながら近づいてきた。
「サリー。彼らが、シオンの言っていた少年だ。ルーカスにスレイド、そしてジースだ」
ジースはおどけて手のひらをヒラヒラさせて「はーい!」と返事する。サリーも合わせてぺこりと頭を下げた。
「初めましてぇ、サリーですぅ。レジスタンスのぉ『お世話係』ですぅ」
──え? お世話係?
そんな係あるのかと、ルーカスは疑問に思った。サウゼンが苦笑を浮かべてフォローする。
「ま、男所帯だから色々とあってね。サリーはジョリスのお気に入りでもあるから、ここにいるんだ」
「はいですぅ!」
明るく言うものの、なんとも場にあわなすぎる雰囲気に、ルーカスは冷や汗をかいてしまった。スレイドとジースを見ると、ジースでさえも呆れ顔、スレイドに関して言えばすでに表情がなくなってしまっていた。
「ジョリスの部屋はこの先だ」
サウゼンが扉の前に立ち言った。ノブに手をかけ、静かに押し出す。
ジョリスの寝室は、同じく採光に工夫が施されたとても明るい部屋だった。ホログラムで作り出された窓には、レドラの頂上から見えるような光景が描き出されている。その窓際に、ジョリスは横たわっていた。その横顔はとても穏やかで──かつ、どこかに苦悩を抱えているかのようでもあった。
ジョリスの頭部に繋げられたコードから出る波形は一定のリズムを刻み、そこから何も派生しない。脳波をしばらく見つめた後、ルーカスはサウゼンを見上げた。
「……ジョリスさんは今、深い眠りについているようですね」
「ああ。だが、数日前までは酷い悪夢にうなされていたんだ。おそらくそれが、アーシアンの『精神拷問』だろう」
その言葉に、ジースが目を見開く。
「精神拷問って、夢の中でされるのか?」
サウゼンは頷いた。
「そうだ。夢の中であろうと、本人が現実だと思えば現実になるからな。夢の中なら、どんな残虐な行為も可能だ。それこそ、何度も皮膚を剥いだり、或いは押しつぶされる恐怖を味わったり──或いは……果てしない陵辱をされたりすることだって可能だ」
「ヤツらは、その中身を知っていてするのか」
「勿論さ」
サウゼンは頷いた後、ルーカスを振り返った。
「ルーカス。レイゾン・グランチェスタって男の名前を知っているか?」
サウゼンの問いに、ルーカスはかぶりを振る。
「なら、グローレンは?」
その問いに、ルーカスは僅かに表情を強ばらせた。
「知っています」
「そうか。レイゾンは、グローレンの部下だ。だが、拷問や尋問の残虐さについては、グローレンを遙かに凌ぐと言われている。そいつにジョリスは、尋問を受けていたんだ」
「では……まさか、先生やティナも──?」
サウゼンは無言で頷く。
「おそらくはそうだろう」
そう言って、ジョリスの脇に立った。ジョリスの額に指先を宛て、前髪を梳くと重々しく告げる。
「もしかしたら──このまま、ジョリスの意識は戻らないかもしれない。そうした場合、俺達は再度仕切り直しだ。だが、アーシアンのトップがいない以上、統制はとれない。レジスタンスはおしまいだ」
「いえ、そうはさせません」
力強く呟いた言葉に、サウゼンは目を見開いて振り返った。視線の先には、凛々しい表情で立つルーカスがいる。
ルーカスは堅く決意をしていた。万が一ジョリスに何かあった場合、自分がレジスタンスの指揮をとると──。ルーカスは頷いて、再度、こう言った。
「ジョリスさんも、このまま終息することを望んではいないはずです。──大丈夫。私が何とかしてみせます。私が対応出来るのは脳神経ですが、その他の体の問題についてはアーシアンの医師を連れて来ています。私が脳神経の治療をした後に万が一肉体に副作用が出た場合、ドクターに診てもらおうと思っています」
そう言ってから、ルーカスはジースに視線を投げた。頭の上で手を組んだまま、暇そうにプラプラしていたジースだが、ルーカスの視線を感じて目をパチクリさせた。
「ジースさん。今から飛空艇に戻って、ドクターとミカルを連れて来てもらえませんか?」
「合点承知! ……って、あ。俺、ここに入る時どうすりゃいいんだ?」
その問いに、サウゼンが即答した。
「エイジを一緒に同行させよう。彼がいれば、すぐに入れる」
エイジは頷くと、ジースの横に並んでから歩き出した。「ンじゃ、ちょっくら行ってくるワ」とジースはお道化て手を振った。