第十一章 ただひとりの為に
 ドラシルを出た後、ルーカスとスレイド、ジースを乗せた飛空艇「俺様は自由号!」は、インフェルンを目指して海を滑走していた。三人を乗せた飛空艇は、海を移動し、ついにインフェルン大陸に辿り着いた。エデンのあるカエルム大陸と比べて緑が多いことに、ルーカスは唖然とした。
「こちらの大陸は何故、こんなに緑が鬱蒼(うっそう)としているのでしょう」
 ジースは手を頭の後ろに組み、足を操作台に乗せてふんぞり返った。
「俺様も詳しいことは知らねぇけどさ、この大陸はカエルムよりも雨量が多いかららしいぜ。もっともインフェルンは巨大な大陸だから、全てこんな緑というわけでもないんだよな。カエルムと同じように砂漠が広がっているところもいっぱいあるぜ」
 そう言ってからドンと音を立てて足を組む。
「あとはさぁ、カエルムよりも氷地に近いからかもしんねぇな」
「氷地? 500年前の地軸移転によって広がったとされる永久凍土ですか?」
 ルーカスの問いに、ジースは頷く。
「そう。太陽の光が全く注ぐことのない、極寒の地よ」
 以前の地球は太陽に向かい23度という傾きを維持していたことから、生命の宝庫として豊かな自然を維持していた。しかし、小惑星の衝突により僅かにその傾きがずれたことから、地球には極寒の地と極暑の地が生まれてしまった。宇宙のバランスが如何に絶妙なバランスで保たれているのかを実感させられた出来事である。
「ジョリスさん達がいるイルサットというのは、どの辺にあるのですか?」
「イルサットはここから西方に進んだところだな。結構いい場所だよ。あそこを一度拝んじまったら、カエルムの大陸なんざ住めねぇよな」
 そう言って、沈黙したままソファーに横たわっているスレイドへと顔を向けた。
「よぅ。イケメンは、インフェルンに来たことあんのか?」
「ない。俺はずっと、カエルムの街を転々としていた」
 素っ気なく答えるスレイドに、ジースは「ふぅん」と鼻を鳴らした。
「何で定住しなかったんだ?」
「──そんなこと、お前に説明する義理はない」
 そう言うと、まるで答えたくないというかのように席を立ち、ブリッジを出てしまった。その姿を、視線だけでジースとルーカスが追っている。
「なぁんだぁ? あの態度」
 ジースが眉をへの字に曲げて呟いた。
「彼は私にも、自分の生い立ちを話したがらないのです。……きっと、辛い思いをしてきたんでしょうね」
「そうなのかねぇ」
 そう言うとジースは再び頭の後ろに手を組み、操作台に足を載せたままぶらぶらと椅子を揺さぶった。

 インフェルンの大陸に入った後も、イルサットまでは1日かかる。鬱蒼としたジャングルの上を、飛空艇はなめらかに風を切るようにして進んでいった。
 ジースが操作台に足を載せていびきをかいていた時、僅かに香る珈琲の匂いに意識が揺らいだ。寝ぼけ眼を何度も瞬きしていると、目の前にカップを突き出される。
「寝るな」
 端的な言葉に、ジースは顔をあげなくても相手がすぐに分かった。
「そういうサドスティックな言葉を吐くのは、イケメンしかいないよなぁ」
「もともとこの船には、俺達三人しかいない」
 ざっくり切り捨てる。ジースは「へいへい」と言うと、スレイドが差し出すカップを手にした。
「嬉しいねぇ。イケメンがこの俺様に珈琲を貢いでくれるとは」
「貢いでなどいない。貴様が居眠りしているせいで、事故でも起こされたら嫌だからだ。それに、俺にはちゃんと名前がある。勝手にあだ名をつけるんじゃない」
 スレイドは椅子に腰を下ろして、手にしていた珈琲を飲む。ジースも同じように一口含むと、笑みを漏らした。
「へぇ──。珈琲の煎れ方が上手いな。誰に教わったんだ」
「ルシカだ」
「ルシカ? 何だよ、『これ』か?」
 ジースはそう言うと、小指を突き立てて見せた。スレイドは躊躇うことなくかぶりを振る。
「違う。だが、世話になった。命の恩人だ」
「へぇ……。命の恩人ね」
 ジースは操作台に背をもたれて珈琲を飲むと、視線を外へと向けた。
「お前さぁ、さっきはいきなりキレて姿消しちゃったけど、ちいとぐらい自分の過去を話してくれてもいいんじゃないか?」
「──話したくない」
 一言で一掃すると、再び珈琲を口に含んだ。ジースはくしゃりと顔を歪める。
「なんでぇなんでぇ。今時のガキってなぁ、何でこーも秘密主義なのかねぇ」
「別に隠してるわけじゃない。ただ『話したくない』、それだけだ」
 ジースは顰めっ面で腕を組む。涼しい顔して珈琲を飲むスレイドに向かい、ジースは上目遣いで睨んでいた。
「ならよ、『賭け』しねぇか?」
「賭け?」
「そ。俺様が、イルサットで無事ジョリスとか言う奴を見つけ出すことに協力出来たとしても、俺様への報酬を『タダ』にしてやる。その代わり、お前は自分の出生をすべてこの俺様に話すこと。な? 悪い賭けじゃねぇだろ」
「断る」
 一撃。
「お前の報酬がタダになっても、俺には何の得もない。そんな賭けをして、何でこの俺が自分の素性を明かさなくちゃならない。ルーカスが得をするなら、ルーカスの素性を聞けばいいだろ」
 ごもっともな理由である。
「けっ。変なところで世知辛い奴だよな」
 ジースは足を組んで顎肘つくと、横目で窓の方を見た。ブリッジに広がる窓の外には銀色の星々が、散りばめられたダイヤモンドのように輝いている。
「よぉ。お前がいた街も、こんな綺麗な光景だったか?」
「──さぁな。他人から見てどう見えるかなんて、俺には分からない。だが、俺からすれば、ただの寂れたゴーストタウンだ」
 そう言って、珈琲を飲む。ジースは目の前のスレイドの顔を、ただじっと見つめていた。
「お前ら、相当いわくつきな感じがするぜ。お前は髪の色が紅い癖に、容姿は間違いなくアーシアンだしな。それに、政治に疎い俺様でさえ、ヴァルセルって名前は知ってらぁ。ヒューマノイド達にとっては英雄で、かつ、アーシアンにとっちゃ極悪人とされた超有名人だろ。その息子が何でそんな寂れた街にいたのか、不思議でたまらねぇよ」
「そんなこと、俺にも分からない。それに俺は、自分が本当にアーシアンなのかさえ、疑っている」
「疑いようがねぇだろ、その見た目じゃ。ムダ毛もねぇし」
 ジースは未だムダ毛に拘っていた。飲み干したカップを横に置くと、姿勢を正す。
「ま、いっか! 俺様ぁ、別にお前がアーシアンなんだろうがただのキザな野郎だろうが関係ねぇよ。何となくお前等が気に入ったから、俺様はお前等と一緒にいるぜ」
「物好きな奴だな」
 スレイドはそう言って口元をあげて笑った。

 スレイドも、最近は少しずつジースのことを気に入り始めていた。出逢い方は最悪どころの話ではなかったが、それでも、ジースの屈託のない性格は嫌いではなかった。鬱陶しいと思うこともあるが、惹かれている部分があるのも事実である。
 共に旅をしているルーカスは、心に深い傷を負っている。スレイドと同じぐらい、深い傷を。しかし、ジースはそんな傷をどこかに吹き飛ばしてしまう程の天真爛漫さがある。だからスレイドは、ジースが一緒にいることで二人が持つ傷を緩和してもらっているように思うこともあった。
 ふと、天真爛漫──もとい、ジースが言った。
「なぁ、『つるんつるん』起こして来いよ。せっかくだから、三人で一緒に騒ごうぜ。明日の夕方にはイルサット着いちまうからさ。もしかしたら、俺達三人でいられるのは今日ぐらいかもしれねぇし」
 ルーカスがあんなに嫌がっていても、ジースは「つるんつるん」と呼ぶのをやめようとしない。スレイドは苦笑すると、席を立った。

* * *


 通路に出て左手のドアを開けると、書庫のような部屋がある。そこが今は、ルーカスとスレイドの寝床だ。狭い空間の中にベッドパッドとシーツを敷き、その上で二人は寝ている。
 スレイドが扉を開けると、ルーカスはブランケットにくるまるようにして眠り込んでいた。スレイドは僅かに微笑み、腰をかがめる。
「──おい、ルーカス」
 声をかけると、ルーカスはすぐに目を覚ました。どうやら、眠っていたわけではないようだ。様子がおかしいことに気づき、スレイドは眉間を寄せる。
「どうかしたのか?」
「なんだか……すごく寒気がするんです」
 その言葉に怪訝そうな表情を浮かべると、スレイドはルーカスの頬に触れてみた。すると、火照っているようなルーカスの熱が伝わってくる。
「ひどい熱だな。だが、寒気がしているということはもっと熱が上がるだろう」
「私の体、一体どうしたんでしょう」
「ただの風邪だといいんだが──それにしても、熱すぎる」
「でも、こんなふうになったこと今までに一度もなくて──」
 真っ赤な頬でスレイドを見上げる。不安げな表情に、スレイドは小さく吹き出した。
「熱なんて、子供ならいくらでも出す。死ぬようなことはないから、心配するな」
 そう言うとブランケットをルーカスの肩まで引き上げ、スレイドは腰を上げた。
「解熱剤がないか、ジースに聞いてくる。大人しく寝ていろ」
「──はい、そうします」
 ブランケットを鼻の上まで自ら引き上げ、ルーカスは瞼を閉じた。

 ジースに尋ねる為、スレイドはブリッジまで戻った。経緯を話すと、ジースは唸りながら腕を組んで考え込んだ。
「薬なんざ持ってないぜ。風邪なんか、俺様ぁ今まで一度もひいたこたないからなぁ。お前はあるのか?」
「いや、俺もない。だが、子供の頃に一度だけ高熱を出したことがある。その時に神父が、薬草を煎じて飲ませてくれたことがあった」
「薬草なぁ……。ま、もう少し先に行くと緑豊かな場所があるから、そこに薬草の一本や二本はあるだろうが、問題は『どの薬草が効くか、まったく分からない』ってことだよな。素人が下手に薬草探して、かえって毒飲ませたらえらいこっちゃ」
「この辺りに、医者がいそうな街はないのか?」
「生憎だがないねぇ。医者の期待が出来そうなのはイルサットだが、そこまで行くにはまだ一日近くかかるからな」
「一日か。そのぐらいなら、氷枕で冷やして様子を見ることは出来るかもしれない」
 スレイドはそう呟いた。

 だが、悪いことというのは何故か重なるものである。出来るだけ早くイルサットに着きたいスレイド達だったが、ここにきて「俺様は自由号!」のエンジンが不調を来したのだ。その上、エンジントラブルが起きたのは日が昇ってからのことだった。熱帯雨林特有の蒸し暑い空気が辺りを包む。ジースは滝のように流れ出る汗を拭いながら、炎天下で作業を続けた。
「あぢぃー! 俺様もこのままじゃ、全身干からびて死にそうだぜ」
「治りそうなのか?」
 スレイドの懸念に、ジースは首を傾げる。
「何とも言えんねぇ。エンジントラブルも、ここ数日こき使った上にこの異常な暑さが原因で起きてるようなところあるからな。しばらくはエンジン冷やさないと、治るかどうかも判断つかん」
「どのぐらいかかる」
「そうさなぁ。あとまる半日は、最低でも欲しいな」
 スレイドはかぶりを振った。
「ルーカスの熱が全く下がらない中で、半日は厳しいな」
「だが、動かないモンは仕方ねぇよ。あいつを負ぶって行くワケにゃいかんだろ」
 ジースの言うことはもっともである。
 ひとまずスレイドはルーカスの氷枕を変えるため、船内に戻った。部屋に入り、ルーカスを見下ろす。頬は相変わらず真っ赤で、息苦しそうに肩呼吸を繰り返していた。
「気分はどうだ?」
 ルーカスはうっすらと瞼を開けて、スレイドを見上げた。目が合った瞬間、にっこりと微笑む。
「だいぶましになりました」
 しかし、見た目は全く変わっていない。頬に触れても、熱感は引いてないどころか、ますます上がっている印象だった。
「少し、何か食べた方がいい」
 そう言ってパンを差し出すスレイドに向かい、ルーカスは首を振った。
「食べたくないんです……。でも、すごく喉が渇いて──」
「待っていろ」
 スレイドは立ち上がり、そばにあったボックスを開ける。中は冷蔵になっていて、何本もボトルが入っていた。その一本を取りだして、グラスに入れる。体を僅かに起こしたルーカスの頭部を腕で支えると、水を飲ませた。ルーカスはよほど喉が渇いていたのか、ごくごくと喉を鳴らしながらほとんど飲み干してしまった。しかし全身からは止めどなく汗が流れ出ており、飲み干した水などすぐに汗となって排出されてしまいそうな勢いだ。
 ──このままだと脱水になる。その前に手を打たなければ。
 スレイドはそう思った。そのまま立ち上がると、踵を返して部屋を後にする。
 向かったのはブリッジだ。操縦桿脇に表示されている地図を操作し、この周辺を映し出した。歩いてすぐの場所に街らしきものはないが、少し先に集落があるのが見てとれた。だが、小さい集落のようなので、医者がいるかまでは分からない。
 ──薬草ぐらいなら、分けてくれるかもしれない。
 そう思い、すぐにブリッジを出た。再び外に出るとジースに声をかける。
「俺は少し出てくる。作業中に悪いが、時々ルーカスを看てやってくれないか?」
 突然の申し出に、ジースは「ああん?」と目をすがめながらサングラスをあげた。
「一体全体、こんな炎天下にどこ行く気だよ」
「ここからそう遠くないところに、集落があった。薬草を置いていないか聞いて、あればもらってくる」
 すると意外にも、ジースは怪訝そうに顔を歪めた。
「大丈夫なのかぁ? こんなインフェルンの片田舎の集落なんざ、山賊の一味かもしれないぜ」
「心配ない。山賊よりタチの悪い殺し屋どもを、さんざん相手にしてきた」
 さらっと言ったスレイドの言葉に、ジースは何度も瞬きした。
「お前、一体どんな生活してたんだよ!」
「別に。お前と大差ないさ」
 時間が惜しいと言わんばかりに歩き出したスレイドに向かって、ジースは背中越しに叫んだ。
「俺様ぁ殺し屋なんざ相手にしてねーぞ! 立派なカタギだかンなぁ!」
 スレイドは振り返ることなく、片手だけを振って返答した。

* * *


 じりじりと蒸す暑さに加え刺すような日差しに、スレイドは大きく溜息を吐いた。汗を拭って、恨めしそうに空を見上げる。見上げる青空は、ぎらぎらと輝いていた。
 ──少しぐらい陰っても良さそうなものだが。
 だが、そんなことを思っても仕方ないと言い聞かせ、ひたすら道を進んだ。やがて、地面がぬかるみになり始めた。どうやら湿地帯が近いようだ。緑も高さを増し、林のように続いている。集落が近づいているということを、スレイドは感じ取った。
 だが、すぐに不安が過ぎった。
 何故なら、ものすごい異臭を感じたからだ。その上、この異臭を今までにも体験したことがあった。それは、神父とヒューマノイドタウンを転々としていた時。伝染病が流行って、多くのヒューマノイドが死んだ街を訪れた時のことだった。

 ──これは死臭だ。

 汗を拭っていた布で、口と鼻を覆った。
 スレイドは、木の根元に腐乱した遺体があることに気がついた。その上、遺体は一体だけではなかった。他にも数体横たわっている。

 ──まさか、伝染病の跡か?

 そこで足を止めた。ここから先に足を踏み入れていいかを悩んだのだ。万が一自分が菌を持ち帰ったら、免疫力が低下しているルーカスは間違いなく発症するだろう。だが、もしもルーカスがここで死んでいる遺体と同じ感染症を患っているとしたら、それを治さない限りルーカスの命は風前の灯火同然でもある。
 ──もしも俺が保菌していることが分かれば、ルーカスのそばに行かなければいいだけの話だ。感染症が流行る場所なら、それを止めようとしている医者だっている可能性が高い。
 スレイドはそう決意すると、そのまま先に進んだ。
 鬱蒼と茂る木々や草、そして、熱帯地域特有の湿度の高い空気──さらに死臭や様々な異臭が、スレイドの嘔気を刺激した。自分も目眩を起こして倒れそうな環境を、怖気づくことなく歩み続ける。
 だが、そんなスレイドのことを樹の陰から見つめている存在がいた。その者はスレイドの背中に焦点を宛てると矢で狙う。
 一方、スレイドはルーカスの命を救うことで頭がいっぱいになっていた。いつもの彼であれば、樹の陰に潜む存在の気配を感知出来たはずだ。しかし、異常な程の暑さと湿度、そして異臭が彼の勘を鈍らせてしまっていた。

 シュン──っという風を切る音がしたと同時に、スレイドは右肩に激痛を覚えた。その場で膝を崩す。
 鋭い矢が右肩に刺さっていることに気づくまで、さほど時間はかからなかった。すぐに引き抜いたが、それと同時に正面から真黒な肌をして顔に模様を描いたほとんど裸体に近い男達が襲い掛かって来た。おそらくは集落の住民だろう──そう思うも、右肩の激痛と厳しい環境が冷静な判断をする余裕を持たせなかった。スレイドは自分の身を守る為に、必死に彼らの攻撃をかわし続けた。
 男は三人だったが、カエルム大陸で見たような文明を感じさせなかった。むしろ原始の時代に近い。そのために武器も銃ではない。二人は短刀を、一人は弓矢と槍を持っていた。スレイドの右肩に負傷を負わせたのはこの弓矢であろう。しかも、ただの矢ではない。どうやら毒が塗られていたらしく、スレイドの右肩は激痛と同時に右腕全体が痺れはじめ、その上、目まで見えなくなってきた。
 ──このままではやられる!
 初めて危機感を覚えた。
 襲い掛かる三人は、スレイドが今まで相手にしてきた敵に比べれば他愛もない。しかし、毒矢に侵された身体では、攻撃を交わすだけで精いっぱいだ。しかしこのままでは埒(らち)が明かないと、スレイドは全身の力を振り絞ってひとりの男の腕をへし折った。零れ落ちた短刀を手にすると、瞬時に男の喉を切り裂く。
 絶命した男の代わりに奇声を発して襲い掛かってきた男の心臓に深く短刀を刺し、引き抜くと同時に、背後にいた男の胸を刺した。
 思いがけない奇襲に勝ち残ることは出来たが、スレイドはもう限界だった。その場で両膝を崩すと俯せに倒れた。
 だが、先に行こうとして地面を掻きむしり、這ってでも進もうとした。攻撃があったということは、この先に集落があるのは間違いない。ルーカスの命がかかっている──何としてでも、薬をもらわないと。
 だが、矢に塗られた毒はスレイドの視力を失おうとしていた。同時に意識が遠くなり、そのまま気を失った。

 スレイドが意識を失ったのを見計らって、樹の陰に隠れていた存在が姿を現した。周囲に倒れている男達にまず手を触れ、三人が死んでいることを確認すると手を合わせ、彼らの冥福を祈った。
 それから、再度スレイドの元に歩み寄る。俯せのまま倒れているスレイドの首に手をあて脈があるのを確認すると、彼の腕を持ち、引きずりながら移動していった。

* * *

 スレイドが意識を戻した時、そこは湿地帯の地面ではなくシーツの上だった。瞬時に目を見開き立ち上がろうとした瞬間、激しい頭痛と目眩が襲う。同時に右肩に激痛が走った。左手で傷を抑えようとした、その時。包帯が巻かれていることに気づいた。ハッとするスレイドに向かい、柔らかい声が聞こえた。

「急に起き上がっては駄目よ。クリッターの毒は強いから、解毒剤を使ってもすぐには効かないわ」

 スレイドは声がした方に視線を向けた。毒のせいでまだ視界がぼやけているが、何度か瞬きをしているうちに、声の主の姿を捉えることが出来た。
 だが、その姿にスレイドは息を呑んだ。
 そこにいたのは、ほのかに淡い紫色の髪をして、アメジストのような瞳をした少女だった。陶器のように白い透き通る肌を持ち、美しい髪は柔らかいウェーブをしながら腰まで伸び、人形のように整った顔でスレイドを見つめている。女性に興味を示さないスレイドでさえ、ここまでの美少女に出逢ったことがなかった為に思わず見惚れてしまった程だった。
 愕然と自分を見つめるスレイドに対して、少女は腰をあげて手を差し伸べると、姿勢を仰向けに直してくれた。少女からほのかに香る花の匂い、そして、清らかな純粋さに、スレイドは思わずこう声をかけていた。
「お前が……俺を手当してくれたのか?」
 その問いに、少女は微笑むとかぶりを振った。
「私は手当の介助をしただけで、主に傷を処置したのは『ドクター』よ」
「ドクター?」
 そう言って顔をあげると、そこには顰めつらで銀髪の男性がいた。ゼノンよりも年下だが壮年期を迎えているだろう年輩の男性を見つめ、スレイドはこう問うた。
「──アーシアンか?」
 ドクターは深く頷いた。
「お前も髪の色こそは違うが、アーシアンのようだな。この子、ミカルと一緒だ」
 そう言って、ドクターは少女に目を向けた。
「ミカルも、元はアーシアンだ。だが、何故か彼女は金髪に生まれず、このように淡い紫色の髪と紫色の瞳で産まれてしまった。だから捨てられてしまったところを、この私が保護して育てたのだ」
 そう語るドクターの言葉を、ミカルは黙って聞いていた。スレイドはすかさず、ドクターにこう問うた。
「あんた、医者なんだな」
「ああ、そうだ」
 それを聞いて、スレイドは上半身を勢いよく起こした。目眩がしてとっさに額に手を宛てるスレイドに、ミカルが手を差し伸べた。「まだ起きちゃ駄目よ」そう言う彼女の声を遮って、スレイドは叫んだ。
「俺と一緒に来てくれないか。友人が高熱を出して、苦しんでいるんだ」
 それを聞いた瞬間、ドクターとミカルは顔を見合わせた。
「高熱? いつから出ている」
「つい数時間前からだ。それまでは元気だった」
「他に嘔吐や下痢、或いは発疹などの症状はないか?」
「ああ。熱以外の症状はない」

 それを聞いて、ミカルは怪訝そうな表情を浮かべている。ドクターに向かい小声で、「それって、まさかサーモンフィーバー病では?」と囁いた声が聞こえた。その声を聞き、スレイドもすかさず尋ねた。
「そのサーモンフィーバー病っていうのは何だ? この地域に広がる伝染病か?」
 スレイドの問いにドクターはしばらく考え込んでいる様子だったが、ややもしてこう尋ねた。
「その友人っていうのは、アーシアンか?」
「ああ、そうだ。──いや、正確にはクリティカンだと聞いている」
「アーシアンだろうがクリティカンだろうが、エデンで誕生した者であれば伝染病のリスクは低い。もともと、伝染病にかからないよう遺伝子操作されているからだ」
「だが、すごく苦しそうにしている。仮に伝染病じゃなくても、高熱で死ぬ可能性は否定できないだろう。──頼む。あいつを助けてやってくれないか」
 スレイドの懇願に、ミカルは応えようとしていた。「ドクター、早く行ってあげましょう」そう呼びかけるミカルに対し、ドクターはしかめっ面を浮かべてなかなか動こうとしない。
「お前が倒したあの三人。あいつらは、私の治療所を不審者から守る戦士達だった。そんな彼らを、お前は殺した。だから、お前の要望に応えることは出来ん」
 そう言って背を向けたドクターに向かい、スレイドは声を振り絞った。
「あいつらを殺したのは俺の罪だ! ルーカスに罪はない! あんたがあいつらの罪で俺を罰したいなら、好きにすればいい。だけど、ルーカスは無実だ! 医者であれば、無実の者を救うのは当然の義務だろう!」
「私からすれば、『エデンの者』というだけで充分な罪人だ!」
 振り返って叫んだドクターの形相に、スレイドは言葉を失った。ドクターは年老いて銀色になった髪を小さく震わせながら、こう語った。
「エデンによる迫害で、どれほどのヒューマノイドが犠牲になったと思っているんだ。ヒューマノイド達は、カタストロフィーの後の数十年間、この地獄のような環境で生き延びてきたんだぞ。それを、まるで足蹴にするように扱いおって──この地球において、アーシアンは『有害』だ!」
「でもドクター。それは、彼の友人には関係ない。そうでしょう?」
 ミカルが穏やかな声で仲裁に入った。
「アーシアンの罪を、全てのアーシアンに被せるのはおかしいわ。むしろ、彼や彼の友人だって、私のような被害者かもしれない。それを、一度も診ないうちに決めつけてしまうのは間違っている──私はそう思う」
 穏やかに、それでも凛とした表情でミカルはドクターに意見していた。ドクターも低く唸り始める。
「だが、ミカル。私達の戦士を、この男は容易く殺したのだぞ」
「ええ、それもよく分かっています。私はその場面を、最初から最後まで見ていたもの。──だけど、最初に攻撃を受けたのは『彼』だった。彼は猛毒の矢を右肩に受け、命からがら戦ったの。いわば、正当防衛よ」

 ミカルの弁護を、スレイドは黙って聞いていた。ドクターもミカルの正論に耳を傾け、「うむ……」と考え込んでいた。
「分かった。いいだろう──お前の友人のことを診てやろう」
 そう言うと、ドクターは診察の為に準備をし始めた。漸く安堵出来たスレイドが横になろうとした──その時。

「あなた、肩甲骨付近を以前怪我したの?」

 突如尋ねられ、スレイドはミカルを見上げた。
「どういう意味だ?」
「両方の肩甲骨に、ケロイドのような傷跡があったのよ。でも、かなり古い傷だったから──子供の頃か、或いは赤ん坊の頃の傷かもしれないわ」
 そう言われ、スレイドにはまるで思い当たることがなかった。ただかぶりを振る。
「いや。俺にはそんなところに怪我した覚えはないが──」
「そう……。じゃぁ、生まれついての痕なのかもね」
 そう言うと、ミカルはスレイドに毛布をかけた。
「準備まで、少し時間がかかるわ。それまでだけでも、少し休んで」
 そう言われた瞬間──解毒剤のせいもあったのか、スレイドの意識は遠くなっていった。

 
* * *


 ジースがエンジンの修理を終えた頃、太陽はやや地平線に傾いていた。流れ出る汗を拭い顔を上げた時、スレイドが戻ってきたことに気がついた。
「よぉ、イケメン! 医者は見つ──」
 そこまで言いかけて、ジースは硬直した。スレイドの背後に立つミカルを捉えたまま、目はまったく動かなくなった。大きな目をしばたたせて、ミカルを食い入るように見る。
「な、な、なんつー美少女だ……。まるで天使じゃねぇか……」
 ジースの独り言など気にも止めず、スレイドが言った。
「ジース。この先の集落で医師をしているシュナウザーだ。こっちは看護師のミカル」
 スレイドの紹介に、ミカルは小さく会釈した。ジースはでれんと垂れた目にしまりがなくなった口で「よ、よろしくぅ」と言った。
「で、肝心の患者はどこにおる?」
 ドクターの言葉に、スレイドは「こっちだ」と言うと二人を案内した。ミカルの後ろ姿を、ジースは目で追っている。
「めっちゃ綺麗……。だけど綺麗すぎて、エッチな妄想さえしちゃいけない感じだな。そんな妄想した日にゃ、バチが当たりそうだ」
 清らかな乙女よりも、少しふしだらでエッチな女性の方が好みかもしれない──ジースはそんなことを考えていた。

 スレイドはルーカスが休んでいる部屋に二人を案内した。
「ルーカス。気分はどうだ」
 ルーカスは瞼を開け、スレイドを見る。
「大丈夫です」
 そう言うと、スレイドの背後にいる二人に気づいた。
「スレイド。この人達は……」
「すぐ近くの集落で出逢った。医師のシュナウザーに、看護師のミカルだ」
 ルーカスは荒く呼吸をしながら、二人を見つめた。
「あなた方も、アーシアンですね……」
 ドクターは深く頷いた。
「まさかこんなところで、二人もアーシアンに遭うとはな。事情はさておき、まずはお前さんを診るとするか」

 そう言うと、ルーカスのそばにしゃがんでトランクを開いた。様々なコードを出すと、ルーカスの体につけていく。スイッチを押すと、宙にルーカスの身体を透視したような画像が浮かび上がった。角度を変えながら分析を加えていく。まるで職人芸のようなドクターの診察を、黙ってスレイドとミカルは見守っていた。しばらくするとドクターはルーカスの額に手を宛てた。

「最近、炎天下に長時間さらされなかったか?」

 その問いに、ルーカスとスレイドは同時に顔を見合わせた。
「は、はい。ドラシルの海で、結構長いこと炎天下にいました」
 その答えに、ドクターはにっこり微笑んだ。
「それが原因だな。お前さんの症状は、いわゆる『熱中症』だ」
「ね、熱中症?」
 二人の問いに、ドクターは深く頷く。
「本来、この程度じゃヒューマノイドが熱中症になることはないんだが、アーシアンの場合は緩和された温暖気候の中にいるせいで、熱に対する防御反応が未熟なのだ。だから、炎天下でマントも何も着ずに裸一貫でいたら、体内に熱が籠もってそれを排出出来なくなるというわけさ。この高熱は、体を冷やしていれば自ずと引く。すぐに元気になるさ」
 その言葉に、ルーカスは安堵したように笑った。
「よかった……。私、死んじゃうのかと思った」
「そんな簡単なことでは死ねんよ、残念ながらな」
 そう言いながら、ドクターは鞄を取り出した。中から注射器を取り出す。
「だが、しばらくは何も食えんだろう。栄養剤と解熱剤を投与するから、体力が戻るまで休んでいなさい」
「ありがとうございます」
 ルーカスはスレイドに視線を向ける。スレイドも安堵したのか、今まで見せたことがない程の穏やかな笑みを浮かべて立っていた。

* * *


 ルーカスの体調が少し落ち着く時期を見計らう為に、今夜一晩はイルサットに発つのを見送ることにした。ドクターとミカルも、他の助手に治療所を任せて、今夜一晩はジースの飛空艇で泊まることにした。

 ミカルは借りた部屋で薬草を調合している。ミカルの慣れた手つきを、椅子の背もたれに腕を載せた状態でスレイドは見ていた。
 スレイドの前に立つミカルの顔は、清らかな乙女そのものだった。他者の命を守る為の使命。そうした使命を背負い、懸命に尽くす天使そのもののような気がしてくる。だが、彼女にも悲しい想い出が沢山あるはずだ。たったひとつ──髪が金髪でなかったという理由だけで捨てられてしまったミカル。これまでの間に、どれほどの辛苦が彼女を襲ったことだろう。おとなしくて何も語ろうとしないミカルだが、心の内では様々な想いを抱えているだろうことが窺えた。
「──ミカル」
 突如呼びかけられ、ミカルは顔を上げた。
「お前は、自分がアーシアンであることをどう思っている?」
 スレイドの問いに、ミカルはにっこり微笑んだ。
「何とも思わないわ。私は自分がアーシアンであろうとヒューマノイドであろうと、命の危機に瀕した人達を助けたい。それだけよ」
 そう言うと、黙って薬草をつぶしていく。ミカルの愛らしい横顔を、スレイドは黙って見つめていた。
「お前は、その他大勢を助けるだけで満足出来るのか? 『ただひとりの為に、何かをしたい』そう感じたことはないのか?」
 思いがけない質問に、ミカルは目を見開いた。そのまま、スレイドに視線を向ける。
「どういうこと?」
「つまり──自分の身近にいる『ただ一人』の為に、何かをしたいと思ったことはないか、ということさ」
 ミカルはしばらく手を止めて考えていたが、やがて苦笑するとかぶりを振った。
「ないわ。ない、というか……身近なたった一人という人がいないの。私の身内は、ドクターだけだもの」
 そう言うと、再び薬草を練り始める。
「スレイドはどうなの? そう思ったことはあるの?」
 聞き返された問いに、スレイドは目を伏せた。
「……分からない。俺も、『ただ一人の為に生きたい』そう思ったことがあるような気がする。だが、それは叶えられなかった。だから、そう思うのが怖いのかもしれない」
 意味深げなスレイドの返答に、ミカルは再び視線を上げた。
「どういう意味?」
「俺が10歳の時、俺を育ててくれていた父親代わりでもある神父が殺された。俺は情けないことに、神父を襲った奴らに殴り倒されて、意識を失っていたんだ。その間に、神父は惨殺された」
 スレイドの話を、ミカルは手を止めてじっと聞いている。
「まだ子供だったが、子供なりに俺は必死に神父を守ろうとした。だが、守りきれなかったんだ。──その絶望感、今でも忘れられない。だから俺は、その日以来『誰かの為に生きる』ということが、怖くて出来なくなってしまった気がする……」
「そんなことないわ」
 ミカルはそう言うと、薬草を練る為に手にしていた棒をテーブルに置いた。スレイドに歩み寄り、真正面から彼を見つめる。
「あなたは、ルーカスの為に私たちを探しに来たでしょ? 途中で、伝染病に罹って亡くなった人達の遺体を見たはずよ。……でも、それでも『戻ろうとはしなかった』」
 口元で祈るように手を組みながら話すミカルを、スレイドは黙って見つめ返す。
「普通の人なら、あの沼地に足を踏み入れることさえも躊躇ったはずよ。でも、あなたは勇気をもって前に進んだ。それだけじゃない。ルイダ族の毒矢を受けたのに、這ってでも私達を探そうとしていた。それは、ルーカスのために──『ただ一人の友達のために』あなたがしてあげたいと思った、彼への友情からじゃないの?」

 ミカルの言葉は、不思議なぐらい魂に染み渡った。それは、スレイドが永年抱き続けてきた──神父を救えなかったという傷をも癒す力があった。

「あなたは充分、『ただ一人のために』力を尽くせる人よ。素晴らしいことだと思うわ」
 そう語るミカルの微笑みは、まさしく天使のようだった。
「……ありがとう、ミカル」
 スレイドは数年ぶりに、心が救われたように思えた。

* * *


 ドクターから栄養剤や補液をしてもらった後、ルーカスはぐっすり眠りこんでしまった。目が覚めた時にはすでに体は軽くなっており、今までの倦怠感が嘘のように引いていた。熱もすっかり下がったようだ。今まで一度も病気になったことがなかったルーカスは、改めて健康であることの喜びを実感した。大きく伸びをすると、勢いよく立ち上がる──が。
「……あっ、っと……」
 二日間寝込んでいたせいか、少しふらつきがあった。でも、倒れる程のふらつきではない。すぐに体の軸が固定されたことを実感すると、寝室代わりの書庫を出た。
 ブリッジに行くと、ジースとスレイドがいた。すっきりした顔で入って来るルーカスを見て、スレイドが声をかけた。
「お前、もう大丈夫なのか?」
 ルーカスは大きく頷く。
「はい! もうすっかり良くなりました」
「はっはー! そいつぁ良かった! こっちも一晩エンジン冷やしたおかげで、『俺様は自由号』の不調も治ったぜ。今からイルサットに向かえるぞ」
 ジースの言葉に笑顔で頷いた後、ルーカスはスレイドに問うた。
「昨晩、私を診て下さったドクターは、もう帰られました?」
「いや、まだいる。書庫の向かいにある居室にいるはずだが──」
 スレイドの言葉を聞くなり、ルーカスは踵を返した。
「どうする気だ?」
「御礼を言いたいのです。それと──もし良かったら、イルサットに来てもらえないかと思って」
「イルサットに?」
 ルーカスの言葉に、スレイドもジースも顔を見合わせた。二人に向き合うようにしてルーカスは姿勢を戻すと、こう説明した。
「シオンさんの説明ですと、ジョリスさんの容態が思った以上に悪いようなので、万が一脳神経だけの問題でない場合に、ドクターがいて下さった方が安心だと思ったんです」
「なるほど、そりゃ正論だな」
 納得するジースに向かい、スレイドは怪訝そうな顔をした。
「ドクターは、かなりアーシアンを嫌っている。果たして、レジスタンスとはいえアーシアンのジョリスを助けるためにイルサットまで同行してくれるかどうか、俺には疑問だ」
「言ってみない限り分かりません。とりあえず、説明だけでもしてきます」
 そう言うと、再びルーカスは扉に姿勢を戻してブリッジを後にした。

 ルーカスはドクターとミカルの元に行き、丁重に礼を述べた。アーシアン嫌いと言ってはいたが、ドクターのルーカスに対する態度はとても優しく、親身だった。笑顔で話しかける。
「すぐ元気になれて良かった」
「これもドクターのおかげです。ありがとうございます。──ところで、ちょっとご相談があるのですが……」
 ルーカスは今自分が置かれている状況、そして恩師であるネクタスとその娘のティナが囚われていて一刻も早く助け出したいこと。そのためにはレジスタンスの協力が必要だが、そのリーダーであるジョリスが意識不明の重体であることなどを説明した。
 ドクターもミカルも真剣に話を聞いていたが、やがてドクターが頷いた。
「ヴァルセルの一件については、私もよく知っている。その当時すでに私はエデンを出ていたが、私の患者のヒューマノイド達が口々にヴァルセルの英雄談を語っていたからな。それに、私は確かにアーシアンを嫌ってはいるが、ヒューマノイドの為に闘っているレジスタンスについては別だ。だから、イルサットに行ってそのリーダーを治療することに異論はない。──問題は、今ある治療所をどうするかだが……」
「それならドクター。もう助手のケルン達にお願いしていいんじゃないかしら?」
 ミカルが言葉を挟んだ。
「ケルンもアーシアンだし、アカデミーの医学部を卒業しているから、医学の知識も充分にあるわ。彼だったら、問題なくあの治療所を続けていけるはずよ」
 ミカルはそう言って、ドクターがイルサットに行けるよう積極的に推してくれた。その甲斐あって、ドクターも首を縦に振ってくれた。
「──分かった、いいだろう。ケルンも充分、独り立ち出来る年齢だしな。私もアーシアンとして生まれた以上、ヒューマノイド達の生活を守る為にもっと大きなことをしたいと思っていたところだ。いいだろう、イルサットに行って、レジスタンスのリーダーを治療するとしよう」
「ありがとうございます!」
 ルーカスは顔を輝かせ、深々とお辞儀をした。

 ルーカスが去った後、鼻歌を口ずさみながら薬草を選り分けするミカルに向かって、ドクターがポツリと言った。
「お前にしては珍しいぐらい、積極的な意見だったな。スレイドの頼み事を聞こうとした時もそう感じたが、一体どんな心境の変化があったんだ?」
 突如言われ、ミカルは一瞬慌てるような素振りを見せた。
「ち、違うわ。心境の変化なんて、何もないわよ。ただ、困っている人を助けたい──そう思ったから……」
 だが、ミカルはドクターの目を見ようとしない。ドクターが目をすがめて顔を突き出しミカルを覗くと、ミカルは火照った顔を慌てて背けた。その姿を見た瞬間、ドクターは声をあげて大笑いした。
「お前は嘘がつけん奴だな! スレイドに恋をしおったんだろ。顔に全部書いてあるぞ!」
「そ、そんなわけないじゃない! ドクターの意地悪!」
 そう言うと、慌てて部屋から出て行ってしまった。そんなミカルの態度に、ドクターはいつまでも笑い続けていた。
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