第十章 エデンの陰謀
ルーカス達がドラシルに着いた頃、エデンではレジスタンスの大物を逃がしたことから、緊迫した状況が続いていた。その上、エデンの一角が焼失するといった不測の事態も起きている。エデン住民のアーシアン達も今回の一件ではかなり恐怖心を煽られたのか、レジスタンスとの争いが落ち着くまで、エデンから逃れてレドラやドラシルで暮らそうとする者も出始めていた。こうした状況までエデンが追い詰められたのは、実に15年ぶり──ヴァルセルが処刑されて以来である。
焼失して瓦礫(がれき)となった跡地を、佇んで見つめるひとりの老紳士がいた。銀色の髪を長く伸ばしてひとつに結ぶその男性は、自分の髪と同じ銀色の刺繍が施された緑色のローブを着ている。穏やかなまなざしは、跡地の向こうに見えるレドラを捉えていた。
ヒューランド宰相。
彼は元老院の一人であり、ガブリールを祖に持つ。同じガブリールを祖に持つネクタスの叔父にあたる存在だ。ヒューランドは甥であるネクタスが囚われの身になっていること、その娘レスティナも捕らわれていることに深い悲しみを抱いていた。しかし、宰相という立場である以上、彼らの処分に口が出せない。もしネクタスが処刑となり、ガブリールに祖をもつ唯一の宰相も同じく皇帝に背けば、親族である血筋は全て根絶やしにされてしまうだろう。ヴァルセルが反旗を翻したことにより、アズライールの血筋が全て絶やされ、エデンを追放されたのと同じように。そんな悲劇を、二度と繰り返してはならない──ヒューランドはそう堅く心に決意していた。
ヒューランドは、元祖ガブリールの時代から脈々と続く元老院の血筋にある。いわば、生まれた時からアグティスの側近として仕えることを義務づけられている存在なのだ。
だが、アグティスとは未だかつて謁見したことがない。アグティスと謁見出来た者は、この五百年を振り返っても数える程しかいなかった。そのうちの一人でもあるヴァルセルは、謁見後アグティスに反旗を翻して処刑されたが……。
何故、アグティスと謁見をしていた程の彼が──しかも、10歳という幼い年齢で元老院入りして15歳になるまでアグティスと共に暮らしたような存在が、父親代わりでもある皇帝に刃向かったというのか。それほどまでの理由が、このエデンには存在したのか。ヴァルセル亡き今、誰もその真実を知る者はいない。
だが、その真実を追求して自分の身を滅ぼすことも出来ず、ヒューランドは苦悩していた。甥のネクタスのように勇敢に立ち向かえたら、どれほど良かっただろうとも思う。しかし、そうは出来ないしがらみが、ヒューランドにはあるのだ。そうである以上、葛藤しながら苦しみ続ける以外にないのだと、ヒューランドは覚悟を決めていた。
ふとその時、背後で足音が聞こえた。
「探しましたぞ。ヒューランド宰相」
振り返ると、そこにはグローレンが立っていた。頬がこけて目つきが鋭い彼の顔つきは、いつも以上にやつれて見えた。
「グローレンか。ずいぶんと顔色が悪いな。今回の一件で絞られたのか?」
ヒューランドの言葉は図星だったのか、グローレンはさらに表情を険しくする──が、瞬時にかぶりを振って否定した。
「レジスタンスにしてやられたのは、私のせいではありませんぞ、宰相。すべては、私の部下であるレイゾンの失態です」
「そうやって、何でも彼のせいにするのはやめた方がいい。レイゾンは幹部の中ではまだ若輩だが、かなりの野心家だと聞いている。下手に何でも彼のせいにして、出し抜かれるようなことはせん方がいい」
「そんな愚かなこと、私がするとでもお思いですか?」
グローレンは、ヒューランドの親切な忠告さえ耳を貸さなかった。
「それより宰相、『例の噂』はすでにご存じですか?」
「例の噂?」
「はい。何でも、処刑されたヴァルセルの代わりに元老院入りさせるという人物の噂──」
「ヴァルセルの代わり? しかし、彼が死んだのはもう15年も前のことだぞ。何で今更、彼の代わりを入れるのだ?」
「どうやら皇帝は、ヴァルセルが死んだ時すでに後釜を決めていたらしいのですが、奴が承諾するまで答えを待っていたそうです」
「それは、一体誰のことかね?」
ヒューランドの問いに、グローレンは僅かに顔をひきつらせた。その表情から、グローレンにとって受け入れがたい存在が後釜になったことをヒューランドは悟った。
「『ソレーユ』です……」
苦虫を噛みつぶしたような顔をしているグローレンに対し、ヒューランドの表情は明るく輝いた。
「おお! ソレーユか! それは適任だ。彼はヴァルセルの教え子だしな」
「だからこそ危険なのです! 何故皇帝がそのような人選をしたのか、私は理解に苦しむ! あの放蕩(ほうとう)息子。この15年間、全くエデンに現れなかった癖に。あのような奴が元老院入りするなど、到底許せるものではない!」
「しかしグローレン。権限は君ではなく、皇帝にあるのだよ」
穏やかなヒューランドの物言いだったが、グローレンは怒りを剥き出しにして言った。
「皇帝とて、もう何百年も姿を見せぬ存在。仮に生きていたとしても化け物である可能性は充分にある! だとすれば、もはやエデンのトップに立つ価値もない。エデンのトップに立つべきは、肉体を持ち権威の象徴となれる者のみだ!」
「口を慎め、グローレン! 君は皇帝を愚弄しているのだぞ。万が一外に漏れたら、君も牢獄行きだ」
ヒューランドの言葉に、グローレンは反応しなかった。背を向けると、横目でヒューランドを睨み据える。
「分かっております。『あなたにだから、言ったまで』です」
そう言うと、そのまま遠ざかっていった。
グローレンの祖は、四人のエデン創造主ではない。名もない存在が祖であり、グローレンの血筋はアーシアンの歴史の中でもさほど重要視されていない。そのことが、グローレンにとってはとてつもないコンプレックスだった。本来はアカデミーに入ることだけでも奇跡的なのだが、入ったものの、かえってコンプレックスは刺激されるばかりであった。だからこそ、野心ばかりが強いドルケンのような少年に嫌悪感を抱いたのかもしれない。かつての自分を、目の当たりにさせられているような気がして──。
グローレンは本来、ヴァルセルやネクタスと同期だった。シリアは後輩にあたるが、ヴァルセル、ネクタスとはアカデミーで共に学生時代を過ごした仲だ。だからこそ、当時のヴァルセルの人気と、ヴァルセルを見る人々の羨望の目が今でも忘れられない。コンプレックスの塊であるグローレンでさえ、初めてヴァルセルと言葉を交わした時は誇らしく思った程だった。
しかし、度を越した憧れは、一転すれば憎悪と化す。ヴァルセルがアグティスに反旗を翻したと知ってからは、自分がヴァルセルの位置につこうと必死に策略を練った。幸い、ヴァルセルと親しかった者は全員ヴァルセルと同じくエデンに反旗を翻した。そのため、元老院や多くの者から羨望の目を浴びる位置に自分が立とうと思えばそれも叶うはずだ、そう思った。
だが、そうは行かなかった。誰かに言われた言葉が、今でも頭にこびりついて離れない。
「グローレン。所詮、君とヴァルセルでは『器』が違うのだよ」
そんなことはない──グローレンはそう思った。確かにヴァルセルは見た目がいい。だが、ただそれだけのことだと、そう自分に言い聞かせた。
だから、皇帝アグティスが次期皇帝候補と決めた少年ソレーユの教育係をヴァルセルに一任したのも納得が行かなかった。「自分が一番、適任だ」そう思った彼は、自ら少年ソレーユに近づいた。
当時、ソレーユはまだ10歳ぐらいだったろうか。絹糸のような金髪を肩まで伸ばし、まるで少女のように華奢で人形のような少年だった。彼に近づき、グローレンは出来る限り優しく声をかけた。
「ここで、何をしているのかな」
ソレーユは顔をあげた。本来、アーシアンの瞳は青か緑と決まっている。しかし何故か、彼の瞳はマゼンタ色の輝きを放っていた。それはまるで夕陽が雲に反射しているかのような、なんとも言えない美しい色だった。見つめていると、まるで引き込まれそうな程に。宝石にも喩えようがない程にまで美しい瞳をした少年は、あどけない表情でグローレンを見上げていた。
「ヴァルセルを待っているのか? もし良かったら、少し私と話を──」
「あなたのことは、知っています」
突如、ソレーユが口を開いた。グローレンは一瞬ギクリとしたが、すぐに表情を柔和に戻すとこう問うた。
「知っている? 知っている、って何を──」
「『全てにおいて』です。あなたがどうして私に話しかけてきたのか、そして、あなたがヴァルセル先生のことをどう思っているのか」
グローレンは思わず後退りした。そんなグローレンを、ソレーユはまっすぐ見つめたままだ。
「『これからあなたが、何をするのか』そして『何をしようとしているのか』──それらすべてを、私は知っています」
「も、もういい! やめろ!」
グローレンは叫んだ。思わずソレーユを叩こうとして振り上げた手を、後ろからぐいっと誰かが掴んだ。
「10歳の子に手を上げるとは、感心しないな」
耳元で声がした。振り返ると、ヴァルセルが立っている。ヴァルセルはソレーユを庇うようにして回り込むと、真正面からグローレンを見据える。
「この子に用があるなら、まず俺を通すんだな。貴様如きの『下衆(げす)』に、彼と謁見する権限はない」
その言葉は、グローレンのコンプレックスをさらに助長させるだけの力があった。それ以来、グローレンはヴァルセルを心底から憎むようになったのだ。だからこそ、彼が捕まった際に尋問係を自ら名乗り出て、まるで今までの鬱憤を晴らすかのようにヴァルセルを痛めつけ、挙句に目を潰すという残虐な行為に出たのだった。
とはいえ、それほどまでの行為にグローレンひとりで立てるわけがない。当時のグローレンに「後ろ盾」があったからこそ、出来たことであった。
グローレンは、その存在と未だに縁を持っている。──否、その後ろ盾との縁が切れたらグローレンはアカデミーで権威を保てないことを、よく分かっていた。その存在は決して人格的に優れていて人望があるわけでもないが、権力者という意味では充分にグローレンにとって利用価値がある存在なのだ。
グローレンは静寂に包まれた通路をそのまま進むと、自分にとって唯一の味方がいる部屋の扉をノックした。
「入れ」
低い声がした。衛兵に見守られた扉を開けて中に入ると、奥でコンソールを前に座るひとりの男の姿があった。年は五十代ぐらい。くすんだ金髪をひとつに結んだその男は険しい顔つきでホログラムを操作している。グローレンは深々と頭を下げた。
「ネルビス元老院」
「何だ、グローレン。ジョリスを逃したことの謝罪に来たのか」
「そのことについては、レイゾンに全て一任しておりました」
「ふん、また責任転嫁か。お前らしいな。噂では、レイゾン・グランチェスタという男はかなりの切れ者だと聞いているが、その男より上手(うわて)となると、レジスタンスもそうそう馬鹿には出来んということだな」
そう言うと、ネルビスはグローレンに向き直った。
ネルビス・ラ・ミハエル。ミハエルを祖に持つ血筋の元老院だ。現在の元老院はミハエルを祖に持つ血筋の者が三人、ガブリールを祖に持つ血筋が五人、ラフィールを祖に持つ血筋が四人で十二人となっている。ガブリールを祖に持つ元老院はヒューランド宰相を筆頭に穏健派が多く、ラフィールも同じくである。しかし、ミハエルを祖に持つ三人の元老院だけは異なっていた。
「だから『やり方が手ぬるい』と前々から言っていたのだ。今はネクタスとその娘を捕えているが、今度はこのようなこと絶対に起こすなよ。何ならサルジェの捕獲などこの際どうでもいいから、さっさと処刑してしまえばいい。そうすれば、二度とレジスタンスが潜入することもないだろう」
「全く同感です、元老院。しかし、さらに良からぬ噂があるのをご存知ですか?」
「なんだ、それは?」
グローレンは顎を引くと、声を潜めてこう告げた。
「ソレーユが、十三人目の元老院になるそうです」
「なに!」
ネルビスの表情はみるみるうちに変わっていった。
そう──現在の元老院では、穏健派が政権を握っているからこそ、ヴァルセルの処刑後、アズライールの血筋の者は「追放処分」で済んだのだ。もしもミハエル派が主流にいたら、全員処刑されていたことだろう。
「おのれ──ガブリールとラフィール派どもの企てだな。我々をさしおいて……」
「いずれ、元老院も整理せねばなりますまい」
グローレンの言葉に、ネルビスは顔をあげた。
「いい情報をくれた、グローレン。少し策略を立てないとまずそうだ」
策略を立てる──要約すれば、「ミハエル派が主流になるよう、手を打つ」ということだった。
ミハエル派は正義感が強い者も多いが、ヒューマノイド撲滅派が多数いる。ネルビスもそのひとりで、現元老院のミハエル派は全員がヒューマノイド撲滅を支持している。
現在劣勢であるミハエル派が「策を講じる」ということは、とどのつまり「ガブリール派」と「ラフィール派」を支配下に置けるよう対処するということも意味していた。それはグローレンにとって願ってもないことだった。何故なら、ミハエル派の中でもっとも権力を握っているのが、今目の前にいるネルビスなのだから。
──駒が動き出した。
グローレンは思った。ここまで来れば、問題は「自分がどう勝ち進んでいけるのか」ということだけだった。
* * *
ヒューランドはソレーユが戻ると聞き、慌ててアカデミーの宿舎へ戻った。おそらくそこの応接室に、ソレーユは来ていることだろう。
ヒューランドは15年前の出来事を思い返していた。エデンだけでなくヒューマノイドタウンでも英雄視された存在、ヴァルセルが処刑にあったその日。公開処刑という残酷な場面を、当時まだ13歳だったソレーユは黙って見つめていた。年若く、その上、ヴァルセルを兄のように慕っていたソレーユの心が傷つくことを懸念し、ヒューランドはソレーユにこう耳打ちした。
「……中に入っていなさい、ソレーユ。君は、見るべきじゃない」
しかしソレーユは静かにヒューランド見上げると、真正面から見つめてこう答えたのだ。
「いいえ、学長。私は、ヴァルセル先生を信じています。信じているからこそ、最期まで彼のそばにいたいのです。彼の最期の瞬間を、見守っていたいのです」
そう言うソレーユの目は、少年とは思えない程穏やかな色をしていた。
その言葉どおり、ソレーユは目を背けることなく、最期までヴァルセルを見守っていた。しかし、その日の夕方。ソレーユは、エデンから姿を消したのだった。
多くの者達が「ソレーユは自殺した」と噂した。だが、ヒューランドはそんなことはないと確信していた。
ソレーユには、大人でも敵わない程の強い芯があった。ソレーユが身を隠したのは、何か思惑があってのことなのだろう──そう信じていた。だからこそ、今日の帰還はヒューランドにとって願ってもないことだったのだ。
ヒューランドがアカデミーの応接室に入ると、その中央に立っている人物が僅かに視線を向けた。黒い上下のスーツに身を包んだ青年は、ヒューランドに気づくとにっこり微笑んだ。絹糸のように真っ直ぐな金髪は腰まで伸び、猫のようになでやかな動きでこちらを振り返った。その顔には、まるで聖母を思わせるような穏やかな微笑を浮かべていた。
「ソレーユ!」
ヒューランドの呼びかけに、ソレーユは笑顔で頷いた。ヒューランドは両手を広げて近づくと、ソレーユを力強く抱擁する。
「驚いたな! ずいぶんと背が高くなったものだ」
「あれから15年経っているのですから、当たり前ですよ。学長も、お元気そうで何よりです」
「今は学長ではなく宰相と呼ばれているよ。……まぁ、どちらも息苦しい肩書きだが」
そう言ってヒューランドは苦笑して見せた。
「しかし、本当に驚いたよ。まさか、君が戻ってくるなんて」
「私も本当は戻るつもりなかったのですが──今回の依頼を聞いて、ぜひ力になりたいと思って」
「力に?」
ヒューランドは一歩下がって、ソレーユの顔を真正面から見つめた。
「一体、どんな依頼を君は受けたのだ?」
「私が受けた依頼は、明日誕生するクリティカンの教育係になる、ということです」
「明日誕生するクリティカンって……まさか、『セイラム』か!」
ヒューランドは愕然としてかぶりを振った。
「いや、それは──彼はやめた方がいい。セイラムのオリジナルであるサルジェはとても心穏やかな優しい少年だったが、セイラムはサルジェの情操や思いやりの部分をすべて削除されている。DNAデザインしたのもグローレンだ。サルジェのあの頭脳に残虐性が伴えば、どんなことが起きるかも分からない」
緊迫したヒューランドの言葉にも、ソレーユは飄々としていた。にっこり笑って、こう答える。
「ええ、私もそう伺っています。『だからこそ』私が適任だと思ったのですよ」
ヒューランドは目の前に立つソレーユを見つめた。
ソレーユ。どことなく神秘的で、どことなく人間離れした青年。
何故だろう。ソレーユを見ていると「この世のものを見ているとは思えない」そんな気持ちにさせられる。まるで神や天の使いのようだと、ヒューランドは思った。
その昔。地軸の移転によりほぼ海水に呑み込まれた数少ない陸地に突如現れた美しき存在──アーシアンの祖と呼ばれる四人の存在。彼らは今となっては神や天使に喩えられているが、まさしくその存在「そのまま」を人として象った──それがヒューランドにおけるソレーユの印象だった。
「宰相。早速、彼に会ってみたいのですが──道案内をお願い出来ますか?」
「あ、ああ。分かった。いいだろう、ついて来なさい」
そう言うと、ヒューランドは踵を返した。
* * *
ヒューランドはセイラムの育成装置がある場所までソレーユと赴いた。荘厳なアカデミーの中でも、唯一影をまとったような暗い場所。それが、クリティカンの製造される研究棟だ。
「着いたぞ、ここだ」
ヒューランドはそう言って、ソレーユを導いた。ソレーユは穏やかな表情のまま、静かに足を踏み入れる。一歩、また一歩と中央で蒼白く光る装置に近づいていった。
そこには、培養液の中で胎児のように膝を抱える少年の姿があった。本来、この装置での育成は10歳までが限界とされているが、目の前にいる少年はその年齢を遙かに超えていた。長い睫に華奢な体。装置の中のセイラムを見つめ、ヒューランドがぽつりと言う。
「本来は二週間前に出されるはずだったのだが……、その前にオリジナルのサルジェの逃走があった関係で、少し様子をみることになったのだ。時期を同じくして、レジスタンスの大物ジョリスも捕らえられていたからな。すべてが片付いてから、セイラムを解放する予定でいたのだよ。──まぁ、ジョリスにも逃げられ、サルジェの足取りも掴めない。このままではいつまでも出せないと判断し、明日、セイラムを解放することにしたそうだ」
ヒューランドの説明を、ソレーユはただ黙って聞いていた。視線はまっすぐ装置の中の少年に注がれている。
「見た目はサルジェそっくりだが……この子にどれほどの残虐性があるのか、想像すら出来ぬ」
「少し、確かめてみましょう」
ソレーユの言葉の意味が分からずに呆然としているヒューランドの前で、ソレーユは手をあげて、そっと装置の外壁に触れた。
その瞬間。
セイラムは、カッと目を見開いた。
その目は、ソレーユの手のひらに集中している。食い入るような目で見つめるセイラムを見て、ヒューランドはたじろいだ。
「ソ、ソレーユ……。君は一体、何をしているのだ?」
しかしソレーユは無言だ。穏やかな表情のまま、じっとセイラムを見つめて手を装置に宛てている。
セイラムはサルジェからは想像も出来ないような険しい形相で、ソレーユの手を睨み据えていた。やがて彼はゆっくり視線を上げ、ソレーユの目を真正面から見据える。穏やかなソレーユの瞳に対し、激しい炎を放つセイラムの瞳。二人を異様な気が包み込んでいるようにさえ見えた。
周囲が僅かに振動し始めた時、思わずヒューランドは叫んだ。
「も、もうやめなさい、ソレーユ。セイラムを殺す気か!」
その言葉に、ソレーユは黙って手を外壁から外した。それと同時に、振動が治まった。だが、ソレーユは身動きひとつせず、セイラムから視線を外さない。
「ソレーユ?」
ヒューランドの呼びかけに、ソレーユは笑顔で振り返った。
「彼はまだ『早い』。装置から出すには、あと二週間程必要です。今出せば、彼は自分の能力に身体の成長が追いつかず、病を発症してすぐに亡くなるでしょう。彼が安全にここから出るようにするためには、もう少し待った方が賢明です」
そう語るソレーユの顔を、愕然とヒューランドは見上げた。
「君……。それを調べる為に、セイラムを──?」
ヒューランドの動揺をものともせず、ソレーユは再びセイラムと向き直った。セイラムの形相は先程よりも落ち着いていたが、変わらずにソレーユを睨み据えている。
未だ敵対心を強く放つセイラムに対して、ソレーユは微笑んで語りかけた。
「君は賢いね。装置の中にいながらにして、全てのことを悟っている。──大丈夫。君のことは、私が守りますよ。サルジェをネクタス教官が守ったように、ね」
ソレーユはそう言うと、ヒューランドに向き直った。ヒューランドはまだ愕然としたままだ。
「ソレーユ。君はまさか……まさか、手のひらを装置につけただけで、彼とコンタクトを取れたのか?」
その問いに、ソレーユは答えなかった。
「戻りましょう、宰相。やるべき仕事は、沢山あります」
そう言って、にっこりと微笑んだ。
* * *
エデンの牢獄。ヒューマノイドは全く想像さえ出来ないような環境に、ネクタスはもう三週間閉じこめられている。
先日、ネクタスの尋問官はグローレンからレイゾンに代わった。グローレンも下劣な男だが、レイゾンのそれに比べたらまだましな方だった。グローレンからもレイゾンがどれほど残酷な攻め方をするか聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった──そうネクタスは痛感させられていた。
もうほとんど気力も果て、ネクタスは牢獄に横たわっていた。
ワームホールで出来ている牢獄は、ネクタスがもっとも苦痛になるような環境を造りだしていた。ごつごつとした岩肌に、黴臭い洞窟。勿論これは思考にインプットされた幻覚であり幻の触感に過ぎないが、実際にあるないを問わず、思考が地獄を描き出せば、その場は現実に地獄と化すのだ。ネクタスはそのような状況に、ここ数日立たされていた。
果てしない口渇が、彼を襲う。これもまた、レイゾンが生み出した思考への罠だった。レイゾンによって生み出された地獄が、尋問の時間以外もネクタスを追い詰める。それこそが、レイゾンが優れた尋問官とされる所以(ゆえん)だった。レイゾンは、二十四時間囚人を追い詰め、自白させる才能に長けていたからだ。
ネクタスの思考は朦朧とした状態が続いている。譫言(うわごと)のように繰り返すのはサルジェの名前、ティナの名前、ヴァルセルの名前──そして、シリアの名前だった。
「赦してくれ……。赦してくれ……、シリア……。赦してくれ……」
繰り返し続けるネクタスの言葉に、誰かが反応した。
「何をどう、赦して欲しいのだ?」
瞬時にネクタスの意識が戻る。荒く呼吸を繰り返しながら、声がした方を見た。
そこにはレイゾンがいた。椅子に座り、足を高く組み上げている。口元に手を宛て、ほくそ笑んでいた。シャープな顔つきに鋭く光る宇宙色の瞳がネクタスを捉えていた。
「何をどう赦して欲しいのか、この私にも教えてもらえるかな?」
「──巫山戯るな。誰が、貴様になど……」
そう言うより早く、レイゾンが手にしていたスイッチを押した。瞬時にネクタスの全身には電流が流れた。長時間電気ショックを受け、ネクタスの皮膚から僅かに煙があがる。
「おっと──これ以上はまずいな。死なせてはいけない。貴様には、サルジェをおびき寄せる囮(おとり)になってもらう必要があるからな」
「……誰が、囮(おとり)になど──」
再び電撃が走る。ネクタスは藻掻いて、その場に倒れ込んだ。
「ああ、申し訳ない。指が滑って、ついスイッチを押してしまったよ」
そう言って、侮蔑したように笑う。ネクタスは床に這い蹲り、全身を走る苦痛に耐えていた。荒く呼吸を繰り返し、小さく「殺せ」と呟く。
「……貴様らが私を殺せないなら……私が……自ら命を絶ってやる」
覚悟の言葉に、レイゾンは声をあげて笑った。
「ああ、一向に構わないさ。好きにするがいい。──だが、貴様の代わりにサルジェの囮になるのは、貴様の娘であることを忘れるな」
ネクタスの顔が恐怖に歪んだ。絶望したような目で、レイゾンを見上げる。レイゾンはさも愉快な様子で、喉を鳴らして笑った。
「あの娘はなかなかいいな。アーシアンでも稀にみる美少女だ。さては……父親は、貴様ではないな。もしも貴様なら、あんな美少女になっているはずがない。その上、プライドの高さにも惹かれる。ああいう鼻っ柱の強い娘を陵辱するのは、なかなかに楽しい。──さて、どうするかな。性欲とエゴに満ちあふれた獣のようなヒューマノイドの男の群れに、あの娘を宛がうのも悪くないな」
その言葉に、ネクタスは嫌悪の表情を浮かべた。
「あの子には……ティナには絶対に、手を出させない」
「ほぅ? じゃぁ、どうするのかね? サルジェの居場所を白状するとでも言うのか?」
レイゾンの誘導尋問に、ネクタスは引き込まれつつあった。
だが、今のネクタスには正常な思考力がなくなっていた。愛する娘、ティナを愚弄する言葉──そして、あまりに残酷な言葉に、我を忘れてしまったのだ。
ネクタスは声をあげて笑った。レイゾンは僅かに顔を引き攣らせる。
「──何がおかしい」
「何がおかしいだと? 『お前達の愚かさ』がおかしかったのだ」
「なに?」
「サルジェの居場所だと? いくらでも教えてやるぞ。それは『赤い砂の街』だ。──さぁ、行って探すがいい。だが、もうサルジェはそこからいなくなっているはずだ。そこから先は、私でも知らん。この数週間、私とティナを痛めつけるのに浮かれて、本当に重要なことを忘れていたようだな。──哀れな男だ。貴様も、そして、グローレンもな!」
次の瞬間。
ネクタスの全身に、今まで味わったことがない程の激痛が走った。
「ぐわぁ──────っっ!」
絶叫し、床でのたうち回る。それが数分続いた後、レイゾンはスイッチから手を離した。
「すまないね、ネクタス。とてもいい情報が取れた。サルジェは『赤い砂の街』にいたのだな。それなら、そこを丸ごと焼失させるとしよう。……だが、貴様と娘の処分は変わらないぞ。同じようにサルジェをおびき寄せる人質のままでいてもらう」
激痛からまだ意識が回復しきれないネクタスの前で、レイゾンは喉の奥を鳴らして笑った。
「そうそう。ひとつ、君に御礼を言わなければならないな」
意味深な言い方に、ネクタスは僅かに視線を上げた。
「今、貴様の思考を覗いて興味深い事実を教えてもらった。あの娘がまさか『シリアの実の娘』だとは、想像だにしていなかった。自然出産した上に、その場に立ち会ったのも君だったのか。君はよほど、シリアを愛していたのだろうね。その上、貴様とは『血が繋がっていない子ども』を身ごもった女だというのに」
そこから先の言葉を聞きたくないとでも言うように、ネクタスは顔を逸らした。しかし容赦なく、レイゾンは先を続ける。
「あの娘が、『ヴァルセルの娘』だったとはね。ヴァルセルがまだ胎児だったサルジェの目の前でシリアを陵辱した結果、生まれたのがあの娘だったとは──この私でさえ、考えが及ばなかったよ」
ネクタスの表情が僅かに険しくなった。俯いたままの彼を見下ろし、レイゾンは声をあげて笑った。
「皮肉だな、ネクタス。婚約までしていた相手を、親友のヴァルセルに寝取られるとはな。──ヴァルセル。英雄談しか聞かなかったが、なかなかに下劣な男だったようだな。ぜひともレジスタンスの全員に、真実を伝えたい気分だ。その上、それで妊んだ娘をお前は何も、文句さえ言わずに育てていたとは──さすがの私も、あまりの哀れさに涙が出そうになったよ。お前のその友情の深さには。だがその事実を、あの娘に告げたらどう反応するかな。本当の父親を知ったら──嘆くか、それとも喜ぶのか」
その言葉には、ネクタスも動揺せずにいられなかった。
「頼む! 頼むから、ティナには何も言わないでくれ!」
その様子に、レイゾンは再び口元を上げて笑った。
「そうか。そこまで言うなら、お前の誇りにかけて、何も言うまい。──だがな。そうであるなら、お前に『捜査の協力』をしてもらう必要がある。よもや断る気はないだろうな」
確認するようなレイゾンの言葉に、ネクタスは頷いた。
「……分かった」
レイゾンはにやりと口角をあげた。これこそが、彼の「望む結果」だったから──。
「絶対に、裏切るなよ」
そう言うと、牢獄を後にした。