第九章 ドラシル
 レドラを発ったルーカス達は、ドラシルに向けて飛空艇を進めていた。ブリッジには、操縦桿を握るジース、その脇に立つルーカス、スレイド、そしてリゲルの姿があった。
 ブリッジの大きな窓の外には、まるで永遠に続くかと思われるような黄金色の砂漠が広がっている。しかしそれは無味乾燥としたものではなく、まるで宝石が散りばめられたかのような美しい光景だ。外に出たら一瞬で命を奪われてしまいそうな程に極暑な砂漠でさえも、飛空艇はものともせずに走り続ける。リゲルは感動するように周囲を見回した。
「すごいなぁ! 飛空艇をヒューマノイドが造るなんて、考えも及ばなかったよ」
 リゲルの言葉に、ジースは不愉快そうな表情を浮かべた。
「おーおー! そりゃ悪うございましたね。俺様ぁ、ヒューマノイドだからねぇ。ヒューマノイドにゃ、飛空艇を造るような脳みそなんかねぇよなぁ。アーシアンに比べたら、クソにも値しないみそっかすだからなぁ!」
 すっかり機嫌を損ねたジースを見て、ルーカスは困ったように笑った。
「す、すみません。リゲルさんも、そういうつもりで言ったのでは──」
 ジースは「けっ」と言った後、目を細めてリゲルを見る。
「あんたもアーシアンのご多分に漏れず、綺麗な顔してンもんな。しかも、何でぇ。腕にムダ毛がほとんどねぇじゃねぇか! 女みてぇな腕してやがる。脱毛でもしてンのか?」
 リゲルはジースの指摘に愕然とした様子で、慌てて腕をさすった。今までそんな指摘を受けたことがなかったからだ。しかし、ジースの言葉にはルーカスの方が反応していた。
「腕に毛がないって……、そんなの当たり前じゃないですか? 私もないですよ」
 そう言って、袖をまくった後ジースに腕を差し出す。ジースは驚いて目を見開いた。
「マ、マジかよ! ほとんどないどころか、『つるっつるん』じゃねぇか!」
「ジースさんの腕は、どうなっているのですか?」
 ジースは袖を捲ると、そのままずいっと突き出した。ルーカスは「ひゃっ!」と小さく悲鳴をあげる。
「……ジースさんの腕、毛むくじゃらですね!」
「あたぼうよ! これが『男の証明』ってヤツだからな! こっちも見てみろ。こっちはさらに『ワイルド』だぜぇ!」
 そう言うと自慢げにシャツのボタンを開けて、ぐいっと胸を突き出した。褒められることを期待していたジースに対し、生まれて初めて胸毛を見たルーカスは、露骨な程顔を顰めてしまった。
「──これって、気持ち悪がられません?」
「失敬なこと言うな! ヒューマノイドにとって、胸毛は『男の象徴』なんだよ!」
「だったら私、男じゃなくていいです……」
 普段は男に見られない自分にコンプレックスを感じるルーカスだったが、この時ばかりは本気で「男でなくていい」そう思った。
 自分では「男の証明」として自慢に当たるものが、意外にもルーカスから気色悪い存在的な扱いを受けてしまい、ジースは頭から湯気が出そうな程いきり立っていたが、「いや、そんなことはない。他にムダ毛がある奴はいるはずだ」と頑なに信じ、視線をスレイドに移した。
「よう、イケメン! お前はどうなんだ」
 スレイドは目を細めて黙って経緯を見ていたが、無言のまま袖をまくってジースの前に出す。ジースは「げっ!」と低く声をあげた。
「お、お前まで『ムダ毛がない』のかよ!」
「──さぁな。今までそんなこと、気に止めたこともなかった。俺を育てた神父もなかったしな。アーシアンってのはお前みたいな毛むくじゃらにならないよう、遺伝子操作されてるんだろ」
 あっさり答える。しかしジースはどうも合点がいかないようだ。
「マジかよ! アーシアンは見た目だけじゃなくてムダ毛までないのかよ! まさか、『下の毛』もないのか?」
「そっちはある」
「胸毛は? 脇毛とかへそ毛とかは?」
「ない。下だけだ」
 ジースは視線をリゲルに移した。
「お前は? 下の毛ある?」
 詰問するような口調に、リゲルは一瞬たじろいだ。
「も、もちろんあります……」
 すぐさまルーカスへと視線を移す。
「お前は?」
「な、ないです……」
 
 消え入りそうな声に、ジースは目を点にした。
「な、『ない』だぁ?」
「し、仕方ないですよ! だって私、まだ変声期にもなってないんですから!」
 動揺からか声がうわずってしまった。
「けどよぅ、スレイドはお前と同い年なんだろ?」
「ス、スレイドは発育が尋常じゃなく早いんです!」
 その言葉に、スレイドはムッとした。
「俺は正常だ! お前の発育が尋常じゃなく遅いだけだ!」
 ジースは「はぁー」と溜息を吐くと、操作台に頬杖をついた。
「アーシアンって生き物は、見た目がいいだけでなく『ムダ毛』がないなんてなぁ。これじゃ女も男も大差ねぇじゃねぇか。そンなんでいいのかねぇ。アーシアンを最初に遺伝子操作しようとした奴の気が知れねぇや」
 ジースにとって「ムダ毛」は、余程重要な問題のようだった。

 そんな雑談に湧いている中、ブリッジの扉が開いた。通路側からゼノンが入ってくる。
「なんじゃ、お前ら。女みたいに井戸端会議しおって」
 女みたいだの男の証だの──今日は何だか性の話で花盛りだと、ルーカスは思った。
「それより、外に出てみろ。ドラシルの海が見えるぞ。あと二十分もしないうちにドラシルに到着じゃ」
「本当ですか!」
 パッと顔を輝かせたルーカスに向かい、ゼノンは笑って背後を指さす。
「おお。綺麗に水平線が見えとるわい。海が近いから極暑って程でもないし、ちょっとばかり見て来るといい」
 ルーカスは嬉しそうに笑うと、スレイドを見上げた。
「見に行きましょう! 私、海を見るの初めてなんです!」
 無邪気なルーカスの笑みに、スレイドも同意した。

 ブリッジの外の通路を進むと、僅かにベランダがある。ルーカスは出た途端「わぁ──」と声をあげた。
「すごい! 海ってこんなに大きくて、青く輝いているんですね!」
 手すりに捕まって、体を乗り出す。飛空艇の速度で体感する風と海風が重なり、ルーカスの金髪を軽やかに靡かせた。
「スレイドは、海って見たことありますか?」
「いや。ずっと砂漠ばかりを移動していたから、海は初めてだ」
「そうなんですね。私は実際の海を見たのは初めてですが、記憶にはあるんです」
「記憶にあるって、どういうことだ?」
「私のオリジナルでありデザインしてくれたシリア──いえ、お母さんが私の情操教育として、海の映像や山の映像、あらゆる自然の美しい光景を記憶にインプットしてくれたのです。おかげで私は、実際にこの目で見たわけではないのに、地球上の美しい光景を脳裏に浮かべることが出来るのです」
 ルーカスの問いに、スレイドはしばらく反応することなく考えていた。
「人格形成や価値観に影響する情操教育まで、外部から操作出来るのか?」
「はい、勿論です。私たちクリティカンは、オリジナルのDNAを元にデザインされた有機体のアンドロイドのようなものですので。アンドロイドを製造する際にも、思考や活動性のパターンなどをプログラムするでしょう? それと同じことです」
「確かアンゲロイも、元はクリティカンだったな」
「そうです。ただ、それは最初の一体で、そこから先はクローンとして量産されました」
「クリティカンを量産することが出来るのか?」
「ええ。子供を作ることは遺伝子操作の限界まで弄っている為出来ませんが、クローンであれば問題はないのです」
「そうか。それで、お前のクローンが作られたわけか」
 ルーカスの顔が僅かに曇る。
「ええ。そこから先、量産されるのかどうかは、分かりませんが──」
 セイラム。ルーカスのクローン。
 ルーカスがエデンを発ってから約3週間。あの日の1週間後セイラムは誕生予定だったので、きっと今頃はすでに生まれているはずだ。情操教育はされず、思考や思い遣りを持つ前頭葉をグローレンによって操作されている自分のクローン。もう一人の自分は、一体どんな残虐性を持って生まれているのだろうか。
「どうかしたのか?」
 しばらく無言のままだったルーカスを案じ、スレイドが声をかけた。
「あ、ごめんなさい。大丈夫です」
 ルーカスは再び、海に目を向けた。
 青く広がる水面は、美しく輝く空をそのまま反射させている。天頂近く上がった太陽は、海にその姿を映し出していた。それは、エデンでは一度も拝めない程の光景だ。
 ──ティナにも、この光景を見せてあげたかった。

「これで、いいのでしょうか」

 小さく呟かれた声に、スレイドは視線を向けた。スレイドの前で、ルーカスは先程の喜びなど消し飛んでしまったかのように悲しそうな表情を浮かべている。
「エデンには、私のせいで捕らえられてしまったままの先生やティナがいるのに……私だけ、海を見て幸福を味わったりして──いいのでしょうか?」
 ルーカスは今までにも時折、黙り込んでしまって心を閉ざすことがあった。そういう時にスレイドが何度声をかけても、ルーカスは反応しなくなってしまう。まるで心がどこかに行ってしまったかのように虚ろな目をして、どこともなく宙を見つめたままになるのだ。今も、そうなってしまいそうな気配を感じさせた。
「いいに決まっている」
 スレイドが小さく答えた。
「お前がこうしてここにいることこそが、ネクタスの願いだったはずだ。それにお前は、いつでもネクタスとティナの救出を願っている。お前はその目的に向かって、着実に歩みを進めている。その道程で幸福を感じることが、罪になるはずなんてない。そんなこと、ネクタスはひとつも望んでいないはずだ」
 ルーカスが無力感に苛まれて落ち込んでいる時、スレイドはいつだって優しい言葉をかけてくれていた。言い方はどことなく突き放す感じだし、別段肩を抱いてくれたりするわけでもない。常に距離を保ちながらではあるも、スレイドのそんな優しさがルーカスには嬉しく思えた。
「ありがとう、スレイド……」
 そう言うと目を閉じて、スレイドの優しさを噛みしめた。

* * *


 飛空艇はやがて、ドラシルの街のすぐそばにある飛空艇場に停泊した。ヒューマノイドのほとんどは飛空艇を持てないが、エデンから亡命したアーシアンが使っている飛空艇や、貿易に使用されている飛空艇なども停泊している。レドラ同様に多くのアーシアンやヒューマノイドが行きかっていて、その上、飛空艇を整備する整備士や荷物を運ぶ運搬用エアカーやアンドロイドが行き来していた。その様相はレドラでさえ見たことがない程の活気に満ちていた。これがインフェルンとの貿易が盛んなドラシルの特徴かもしれない。
「それじゃ、儂ぁちょっと造船所の様子を見てくるわい」
 ゼノンがそう言ってエアカーに乗り込もうとする際、ルーカスも身を乗り出した。
「博士。それなら、私も──」
「いや、かまわん! お前は少し、ジース達と一緒に観光を楽しめ。──なぁに、観光ったって数時間しか楽しめんからの。少しでもいい、『枷(かせ)を外してはしゃぐ』ということを、お前さんも学んだ方がいい」
 そう言うと、ゼノンはひとりで出て行ってしまった。
 やることがないルーカス達は、さっきから「早く海行こ! 海行ったら、次は売春宿行こ!」とやたらに騒ぐジースのリクエストに、やむなく付き合わされることとなった。
「海はいいですが、僕は売春宿はつきあいませんよ。行くなら、ジース。あなただけで行ってください」
 素っ気ないリゲルの言葉に、ジースは眉をへの字に曲げた。
「えっ? 何でだよぅ」
「興味がないからです」
 即答するリゲルを、ジースは侮蔑するような目で見た。
「あ──やだやだ! これだからアーシアンって生き物は面白みがねぇってんだ。遺伝子操作なんざしてるから、性欲がなくなっちまうンだよ。でもよ、イケメン。お前は行くだろ?」
 そう言ってジースはスレイドの肩を抱こうとしたが、すかさずスレイドに腕を叩かれた。
「俺も行かない。わざわざ金を出して、女を買う意味が分からない」
 スレイドにも振られ愕然としていたジースだが、ダメ元でルーカスを見る。
「──ってか。変声期が来てないようじゃ話にならないよな」
 そう言って納得しようとする前に、ルーカスの方から尋ねてきた。
「あの……そもそも『売春宿』の意味が分からないんですけど……」
 温度差が激しすぎる程の問いだったが、スレイドが淡々と答えた。
「文字通り、『春を売る宿』だ」
 その答えに、ルーカスは大きく目を見開いてかぶりを振った。
「春なんて売れませんよ! 季節をどうやって売買するんですか?」

 ルーカスの会話のついて来れて無さぶりに、ジースの売春宿へのモティベーションもいっきに低下したようだった。
「──もういい。この話はなかったことにする。ま! ひとまず『海だ、海』!」
 ルーカスは相変わらず「どうやったら季節を売買できるのか」についての疑問を掘り下げたかったようだが、スレイドもリゲルも誰も相手にしてくれなくなったので、仕方なくその疑問は脇に置くことにした。


 喧騒なドラシルの商店街を進むと、しばらくして潮の香が漂ってくる。周囲の店も魚介類を売る店が多くなり、店先で貝を焼く香しい匂いに、思わず足を止めたくなった程だった。
「ガルシアの街も似た雰囲気でしたが、ここの方が活気ありますね」
 スレイドを見上げて、ルーカスが言う。スレイドも頷いた。
「ガルシアは港から離れているからな。ここはインフェルンから来た船にとってカエルムの門前町みたいなものだし、余計活気づくんだろう」
 人々が交わす声や笑いを見ていると、何だかこちらも楽しい気分になってくる。ルーカスはわくわくした気持ちで周囲を見回していた。
 商店街を抜けると、そこは行き止まりになっていて階段があった。その階段の先には、白い砂浜が広がっている。壮大な青い海に真っ白な砂浜、生まれて初めて見る光景に、ルーカスは思わず「わぁ───っ! すごい!」と声をあげてしまった。
 同時に、着く前から「海海海海海……」と呪詛のように繰り返し呟いていたジースは、砂浜に着いた途端大腕をあげて走り出した。
「ひゃっは──っ!! 海だ海だ海だぁ──! 10年ぶり以上の海だぁ──!」
 そう言うと、走りながらシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、ブーツを脱ぐと、あっという間にパンツ一枚になっていた。そのまま海にじゃぼじゃぼと走っていくと、勢いよく飛び込んだ。
 ジースの子どものようなはしゃぎぶりに、ルーカスは首を傾げる。
「ジースさんって、一体何歳なのでしょうか」
「どうやら23歳らしいよ。僕やシオンよりも年上だ」
 スレイドは「フン」と鼻を鳴らす。
「ずいぶんと天真爛漫な23歳だな。どんな育ち方をしたら、ああなれるんだ?」
 半分呆れ顔の三人だったが、童心に返ったジースは海の中から「おーい!」と手を振っている。

「『つるんつるん』! お前も来いよぉ!」

 「つるんつるん」というのは、一体誰のことを示しているのか──ルーカスは両サイドのスレイドとリゲルの顔を見比べたが、二人ともしらっとしたままで、まったく反応していなかった。それを見て置かれた状況を漸く理解したルーカスは、思わず自分を指さした。
「──えっ? ま……、まさか『つるんつるん』って、私のこと?」
「他に誰がいるんだ」
 スレイドが冷ややかに言い放った。
「そ……、そんなぁ、酷すぎます! 私はまだ変声期が来てないだけで──」
 変声期というのは、ルーカスにとってかなりの重大事項──否、諸悪の根源らしい。一方、海の中の天真爛漫は相変わらず叫び続ける、
「おーいぃ! 何してんだ、つるんつるん! 早く来いよぉ!」
「ちょっ──! やめてください、『つるんつるん』って呼ぶの!」
「いいからさっさと来いよぉ! めっちゃ気持ちいいぞぉ!」
「で、でも私、服が濡れちゃうので──」
「服なんざ脱いじまえばいいだろ! 俺様みたいにパンツ一丁でさぁ! なんなら、全部脱いじまってもいいんじゃねぇの? どうせ毛ぇねえんだし!」
「い、いやですよ! 恥ずかしい!」
「来ねぇなら、俺様がそこまで行ってお前のこと抱えて海に放り込むぞ!」

 ジースはまるで、酒に酔って手に負えない男のようだった。ルーカスが困り果てて溜息を吐いた時、誰かがポンと肩を叩いた。振り返ると、リゲルが笑っている。
「行って来なよ、ルーカス。こんなふうに楽しめるのは、今ぐらいしかないんだから。すぐにレジスタンスは戦闘に入るだろう。そうなってからこんな時間を懐かしんでも、後戻りは出来ないんだよ」
 リゲルの言葉はもっともだった。スレイドに目を移すと、無言のままだが微笑を浮かべていた。
「よ、よーし!」
 ルーカスは意を決したように言うと、その場でブラウスとズボンを脱いだ。靴も置き、下着だけになって海に向かう。
 強い日差しにさらされた真っ白な砂浜は、裸足で歩くにはとても熱すぎる。テンポよく走らないと、足の裏を火傷しそうだ。だからジースはあんな勢いで走って行ったのかと、改めてルーカスは思った。砂はサラサラとしていて綺麗だが、海辺に近づくにつれ水を含み、少しずつ熱い温度が緩和される。そして、初めて海水につけた瞬間は──冷たすぎず、かつ温かいわけでもなく、何とも言えない心地よさがあった。ルーカスはそのままじゃぼじゃぼと海の中を歩いていき、ジースのいる場所を目指した。
「来たな! 『変声期が来てない少年』!」
「もう! 茶化さないでください!」
「よっしゃ、来いや!」
 ジースは揉み手を打つと、両手を広げてルーカスに立ちはだかった。ルーカスが僅かにたじろいだ隙をついて、襲いかかる。
 瞬く間に、ルーカスは海の中に引きずり込まれた。初めての水中だが10歳まで液体にひたされていた自分にとって、さほど衝撃はないだろうと思っていた──が、それは全くの見当違いだった。耳がツーンとなり、音がいっせいに遠のく。藻掻き続けても無数の泡が辺りに浮かぶだけだ。口の中に海水が広がり、慌てて浮上する。
「な、何これ! しょ……しょっぱい!」
「あったり前だろ! 海水がしょっぱいなんざ、ガキだって知ってらぁ!」
「こ、こんな綺麗な海なのにしょっぱいなんて、ずるいですよ!」
 一体、誰に向かって何の抗議をしているのやら──そんなこと、ルーカスとて分からない。
「もしかして、魚たちはこんなしょっぱい水の中で生活してるんですか! こんなしょっぱい水の中にいる魚を食べたら、あまりに塩分が高すぎてみんな血圧があがって大変なことになりますよ!」
 なんだかんだとやたらに騒いではいるが、よもや質問の意図さえもよく分からない。おそらく当のルーカスにだってわかってないはずだ。ジースは呆れ顔でかぶりを振った。
「お前、頭がいい癖して、時々あり得ない程のバカになるよな……」
 ジースはそう言うと、ルーカスのことを羽交い締めにした。
「よっしゃ! お前の『つるんつるん』を俺様に見せてみろ!」
「ちょ──っ! や、やめてくださいってば!」
 ルーカスの抵抗などお構いなしに、下着の中へ手を入れる。
「どれどれ──。お? マジにつるんつるんだ! その上、お前のナニはちっちゃいなぁ! これじゃ変声期が来ないのも頷けるぜ」
 ルーカスの顔が噴火しそうな程紅潮した。
「や……やめて! 触らないでってば!」 
「照れるこたねぇだろ、男同士なんだし」
「誰に触られても恥ずかしいですよ!」
「お前、もしかして……『自分の息子』弄ったことないのか?」
「何言ってるんですか! 私はクリティカンだから、息子なんて出来ませんよ!」
 若干──否、大幅に会話が噛み合っていない。
 海岸から二人を眺め、リゲルが心配そうに言った。
「……あれって、虐められているわけじゃないよね?」
「──さぁな。果てしなく虐めに近いが、おそらく親愛の情なんだろう」
 はしゃいでいるのか、じゃれあっているのか、はたまたわいせつ行為を強要されているのかよく分からない二人を、スレイドとリゲルはただ傍観者として見つめていた。

 それから1時間後。
 飛空艇の中で、ルーカスは氷枕を額にのせて横たわっていた。その脇でスレイドは氷水につけたタオルを絞ってルーカスの頬にあてる。
「少しは楽になったか?」
「……はい。もぉ──あんな炎天下で、ジースさんったら意地悪するんだもの。熱射病になっちゃいますよ」
「だから言っただろ。あいつは要注意だと」
「まさか、ここまでの目に遭うとは──思ってもみなかったです」
 そう言うと、氷枕をあげてスレイドを睨む。
「スレイドもリゲルさんも、全然助けに来てくれないし」
「お前だって、俺がさんざんジースにやられてた時、助けてくれなかっただろ」
「──ま、そうですけどね」
 そう言うと、氷枕を額に戻す。
「ところで、ジースさんとリゲルさんは?」
「ジースのバカが、どこで何やってるかなんて知らない。どうせブリッジで居眠りでもしてるんだろ。リゲルの方は、ゼノンの所に行った。もうすぐで船が完成するらしい」
「えっ? 本当ですか!」
 ルーカスは勢いよく体を起こした。
「ああ。だが、走向を決める操縦桿の調整が、うまく行ってないらしい。それで、物理工学専攻しているリゲルを連れて行ったんだ」
「それって──シオンさんなら、適任なのでは? ゼノン博士は、シオンさんのこと知っているのでしょうか?」
「さぁな。そう思うなら、ゼノンに会って直接助言するといい」
 スレイドの言葉に、ルーカスは「そうします」と深く頷いた。

 ゼノンがいる場所は、ドラシルの街外れにある造船所だ。かつてヒューマノイド達が使っていたものを、今はゼノンが使わせてもらっている。造船所脇にある建物の中に入ると、ゼノンが空中に浮かび上がる模型を見ながらチェックしているところだった。入ってきたルーカスとスレイドに気づくと「おお」と声をあげる。
「何じゃ、お前。ちょっと会わないうちに、ずいぶんと顔が真っ赤になったな。まるで子猿みたいじゃぞ」
 子猿と言われて、ルーカスはぷぅっと頬を膨らませた。
「──ジースさんの仕業です。おかげで、日焼けしてしまいました」
 真っ赤になってしまった頬を、ルーカスは手にしていた氷枕で冷やす。
「ほぅ。まぁ、お前も少しはヒューマノイドのお巫山戯(ふざけ)ってのを知った方がいいじゃろうからの。あいつは人生を楽しむ『天才』じゃ」
「私からしたら『天災』です……」
 唇を尖らせて言う。
「ところで博士。船の方は順調ですか?」
「おお。すこぶる順調じゃ。しかし、ジョリスの救出が成功したとなっては、エデンのレジスタンス狩りはますます酷くなるじゃろう。ここドラシルにアンゲロイが来るのも時間の問題じゃ。それまでに、この船を移動させないとの」
「すでに動かせるのですか?」
「ああ。地表や海面を移動するぐらいなら造作ないんじゃが──問題は、まだワームホールを移動出来るかどうかが未確定なんじゃ。とはいえ、その調整は機能の問題じゃから、船を動かすだけならすぐにでも出来る」
「ワームホールの座標は、すでに登録されているのですか?」
「いや、それもまだじゃ。リゲルの話だと、あいつの同級生がワームホールの座標を探し出す天才らしいから、ヤツに協力してもらえると助かるンじゃがの」
 ゼノンはすでに、リゲルからシオンのことを聞いていたようだ。
「おそらく、シオンさんは今イルサットにいると思われます。通信傍受のリスクがあるので今は確認とれないかもしれませんが……リゲルさん、どう思われます?」
 遠くで作業をしていたリゲルはいったん手を止めルーカスを見つめると、声を上げた。
「ここからなら、問題ないと思うよ。ひとまずイルサットに直通で通信してみよう」
 そう言うと、リゲルは工具をその場に置くと身軽に降りて来た。ルーカスを連れて、通信施設まで向かう。
「僕達の通信は、エデンに傍受しづらいよう定期的に周波数を変えているんだ。そして、周波数の公式についてはレジスタンスの幹部の一部にしか知らされていない。今月は初めての送信だけど──この周波数で合っているはず」
 そう言うと、リゲルは目の前のコンソールを手早く操作した。リゲルが打ち込むと同時に空中で何枚かの画像が開いた。それを見てリゲルは左側に数値を打ち込み、右側で数式を入れていく。
 しばらくすると「CONNECT」という文字が浮かび上がり、次の瞬間には画像に青年の姿が映し出された。見覚えのある姿に、ルーカスは声をあげた。
「シオンさん」
 画像向こうのシオンは、送信先の相手に気づき嬉しそうに笑った。
「リゲル! 無事で良かったよ。君の生存は、アジトの受信機が君の信号をキャッチしたことで把握していた。──ザイルや、他のみんなには気の毒なことをしたけれど……。ワームホールの行き先を変更されたのは、いつもより長時間ポートを残していたせいだ。それで、奴らに逆探知されてしまった。君らの身に起きたことは、ひとえに僕の計算ミスが原因だ。……本当にすまない」
 そう言ってシオンは目を伏せた。
「ジョリスは無事なのか?」
 リゲルの問いに、シオンは頷いた。
「ああ。だけど、状態はあまり芳しくない。救出した時点ですでに意識不明だったが、未だに意識は戻っていない。彼の身に何が起きているのか、原因不明だ」
 そう言ってから、シオンはルーカスに目を向けた。
「無事、ネクタス教官の指示を実行できたようだね。君がいる場所はドラシルだろう?」
「はい、そうです。それで──実はシオンさんにお願いがあって──」
「僕に?」

 ルーカスは今までの経緯と、次元間移動船の造船の状況、および今置かれている問題について説明した。さすがのシオンも、想像を絶する考案に絶句していた。
「一時的なワームホールの移動であるワープ走行であれば分かるけど、長時間ワームホールに居続けるなんて考えたこともなかったよ。そんな船を考案出来るゼノン博士は偉大だけど──さすがに僕でも、今回の期待に応えられるかどうか……」
 シオンらしくなく、弱気な発言だった。
「大丈夫だ。君なら出来る」
 リゲルははっきりと断言した。しばらく迷った末、シオンは頷いた。
「分かった。僕は今からドラシルに向かうよ。ルーカス、君達は一度イルサットに来てジョリスに逢って欲しい。僕は医学的な知識は皆無だが、僕が見た限りにおいて、ジョリスはどうも思考実験をされていた印象を受ける。遺伝子工学に詳しい君なら、彼の脳神経に何が起きているのか分かるんじゃないかと思って──」
「ええ、シオンさん。私は自分自身にナノマシーンを使い、死滅した脳神経細胞を復活させて失われた記憶を元に戻した経験があります。おそらくジョリスさんの容態を把握することも可能だと思います」
 その言葉に、シオンは安堵するように頷いた。

 通信を切った後、ルーカスとリゲルはゼノンの元に行った。シオンとの通信内容について説明する。
「シオンさんはおそらく、近日中にはここドラシルに着くと思います。それまで、持ちこたえられますか?」
 ゼノンは腕組みをしながら頷いた。
「アンゲロイの襲撃さえなければ、何の問題もない。まぁ、2・3日なら何とかなるじゃろ。ところで、お前たちはこの後どうするんじゃ?」
「私とスレイド、ジースさんの三人は、イルサットに行くつもりです。救出されたジョリスさんの意識が戻らないそうなので、私で出来ることであれば力になりたいと思っています」
「おお、それは心強い。ジョリスは、今のレジスタンスにとって必要不可欠な存在じゃ。絶対に命を救ってくれ」
「任せてください」
 そう言うと、ルーカスはソファーに座って足を高く組んだ状態のスレイドを振り返った。
「では、行きましょうか」
 だが、スレイドは憮然とした表情だ。
「……またあのバカと一緒に行くのか」
「仕方ないですよ。私とあなただけでは、飛空艇動かせませんもん。それに、ジースさんは何て言ったって『よろず屋』だから、色々役に立ってくれると思いますし」
「どうかな。それにお前、ここから先ずっとあいつに弄られ続けるぞ」
 スレイドはほくそ笑むように言うが、ルーカスは顔面蒼白だ。
「か、勘弁してください! 私は玩具(おもちゃ)じゃありません!」
「俺に言っても仕方ないだろ。あのバカに言えよ」

 同時期。ジースはブリッジで何度もどでかいくしゃみをしていた。
「やっべ。海ではしゃぎすぎて、風邪ひいたかな」
 そう言いながら、ジースは鼻歌まじりでホログラムを操作する。そのホログラムには──到底言葉に出来ない程の卑猥な女性画像が映し出されていた。それを見て、ジースはにんまりと笑う。
「俺様が絶対『つるんつるん』を変声期にさせてやる! 春が何かっつーものを教えこんでやるってんだ」
 一体何に情熱を傾けているのやら──。
 だが、結果的にはその後様々な試練がレジスタンスを襲い、ジースがセレクトした「変声期が訪れるための画像」は、ルーカスに手渡されることがなかったのだった。

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