第六章 よろず屋
 オアシスを出てルーカスとスレイドがガルシアの街についたのは、日もだいぶ傾いた時間帯だった。合計すると20時間近く歩き続けた二人は疲労困憊もピークに達していて、宿を見つけて部屋に入ると、全身の汗を落とす程度に簡単にシャワーを浴びて、まるで1分1秒でも惜しいと言わんばかりにベッドに倒れ込むとすぐ眠りについてしまった。そして次に意識が戻った時には、すでに日も沈んだ時間帯となっていた。
 窓の外が賑やかなことに気がつき、ルーカスは目を覚ました。視界は薄暗く、街道から射し込む明かりだけが室内を照らしていた。静かに体を起こし、隣に眠るスレイドを見下ろした。スレイドはまだ寝息をたてて眠っている。起こさないよう気をつけてベッドから立ち上がると、窓のそばに歩み寄った。

 窓の外に広がる世界は、赤い砂の街とは雲泥の差だ。道には赤い提灯が下げられ、その下を大勢の人達が行き交っている。それぞれの建物の一階部分がすべて店になっており、観光客らしき人々が店頭に集まっていた。アーシアンと思われる人の姿も、多数見受けられる。ここであればルーカスの姿もさほど目立つまい、そんな安堵感が得られた程だ。
 ──同じヒューマノイドタウンなのに、どうしてこれだけ豊かさに違いがあるのだろう。
 ガルシアは、この大陸の中で三番目に豊かなヒューマノイドタウンだそうだ。一番はレドラだが、二番目は海の近くにある港町のドラシル。そして、三番目がこのガルシアなのだとか。
 一方、ヒューマノイドの楽園とされるインフェルン大陸には、ガルシアのような街は沢山あると言われている。ガルシアのような街がこの大陸では三つしかないことを鑑みると、この大陸においてヒューマノイドの自由は、やはり制限されたものなのかもしれない──そんなふうに考えていた、その時。
「……起きていたのか」
 背後で声がした。振り返ると、スレイドが上半身を起こしてこちらを見ている。
「はい。何だか、お腹が空いちゃって……」
「そうだな、俺もだ」
 スレイドはそう言うとブランケットを剥いで足を下ろし、靴を履いた。椅子にかけてあったシャツを取ると、袖に腕を通しながら歩き出す。ルーカスの隣に立ち、窓の外に続く街道を見下ろした。行き交う人々を見渡した後、ぽつりと言う。
「賑やかだな。俺が子供の時には、ここまで栄えた街じゃなかったはずだが」
「ここ最近、エデンを出るアーシアンが増えているそうです。そうした人達がガルシアに下りて、街を活性化しているのかもしれませんね。アーシアンは経済的に豊かですから、彼らが街でお金を使うことが、結果的に活性化へと繋がりますし」
「それなら──もしかしたら飛空艇や、お前の言う無人の車もあるかもしれないな」
 スレイドの提案に、ルーカスの顔が輝いた。
「そうですね! 少し、街を散策してみましょう」
 そう言うと、ルーカスは踵を返した。慌ててスレイドが声をかける。
「そのままで行く気か? フードは──」
「いらないでしょう。この街にはアーシアンがいっぱいいるので、怪しまれることはないはずです。それに、こういう街でフードを被っていたら、かえって目をつけられてしまいそうです」
「それもそうだな」
 そう言うと、スレイドは笑って頷いた。

* * *


 ガルシアの街は、どこも煉瓦に囲まれていた。煉瓦が敷き詰められた街道、煉瓦で出来た建物。その所々に、魚や野菜、様々な食品を売る商店が並んでいた。店主達は様々に声をあげ、如何に自分達の店の品物が新鮮かを訴えていた。あちこちの店で唱えられるそれらの主張はまるで合唱のように街の喧騒を活気づかせ、この街が豊かで幸福に満ちていることを物語っていた。感嘆したようにルーカスが声を漏らす。
「すごいですね。こんな光景、初めて見ました」
「エデンに、こういう商店街はなかったのか」
「はい。基本的にエデンでは、必要なものは全て配給されるのです。買い物というものは、ごくごく趣味的な範囲で行われるだけなんですよ」
「食べ物も、配給で賄われているのか」
「そうです。エデンの中央で管理されている食品がそれぞれの家に支給され、その家にいるアンドロイドが調理するのです」
 それを聞いたスレイドは、大きく溜息を吐いた。
「自由があるのかないのか分からない場所だな。エデンって所は」
「基本的に、エデンに自由はありません。だから、アーシアンもみなヒューマノイドタウンに下りるのでしょうね。だって、ここの方が遙かに活気があって、楽しいですから」
 そう言って、ルーカスは街の風情を楽しんだ。
 日が沈んだこの時間、赤い砂の街では満天の星を拝めたが、ここガルシアでは街道を照らす赤い提灯の明かりが邪魔をして、星明かりがまるで見えない。昼間のような明るさと活気の中で、様々な人の笑い声や話し声が響いている。笑顔でその光景を眺めるルーカスに対し、スレイドは顔を顰めていた。
「俺は、昔のガルシアの方が良かった。こういう賑やかな場所、俺は好きになれない」
 スレイドらしい言葉に、ルーカスは声をあげて笑った。
「スレイドはいつから、人間嫌いなんですか?」
 些か失敬な問いかけではあるが、スレイドは意外にもあっさり答えてくれた。
「『子供の頃から』だ。神父を慕ってくる信者は数多くいたが、中には信者への寄付を狙ってくるような悪党がごまんといたからな。神父はお前と同じで、誰でも受け入れてしまうタイプだった。だから俺が目を光らせていないと、すぐに騙されてしまう。そのせいで俺は、物心ついた時にはすでに疑い深い人間になっていたわけさ」
 その話に、ルーカスは心打たれた。
「あなたが疑い深くなったのは、『神父を守るため』だったのですね」
 そう言われ、スレイドは急に照れくさくなったのかかぶりを振った。
「いや、そうとは限らない。俺が単に用心深いだけの話だ」
「あなたはやっぱり『狼』ですね!」
「いや。『番犬』がせいぜいだな」
 そう言って、スレイドは自嘲するように笑った。

 そんなスレイドを見て、ルーカスは思った。
 ──スレイド。私にこんな冗談を言ってくれたの、初めてだ。
 少しずつ縮まる二人の距離間が、ルーカスは嬉しくてたまらなかった。

* * *


 しばらく歩くと、街道の途中に洒落たレストランが見えた。テラスに並ぶテーブルにはそれぞれ蝋燭(ろうそく)が灯され、落ち着いた雰囲気の店だ。
「スレイド。あそこで、食事をとりましょう」
 ルーカスに導かれ、スレイドはテーブル席に着いた。黒いドレスを着たヒューマノイドのウェイトレスが、トレイを持って近づいてくる。グラスを置くウェイトレスに向かい、ルーカスが声をかけた。
「ここのお薦めって、何ですか?」
 褐色の肌をした少女は、大きな目をくりくりとさせて元気よく答えた。
「ガルシアは、少し先にある塩湖が有名なの。そこで取れた塩を使った料理が定番ね。他のヒューマノイドタウンのように余計な味付けをしないのが、ガルシア風よ。ガルシアの料理は、すべて塩だけで味付けされているの。だから、アーシアンにも評判いいのよ。エデンでは素材の味を生かすとか言って、ほとんど味付けしないらしいじゃない? 他のヒューマノイドタウンの料理は味が濃いって、アーシアンのお客さんがこぼしていたわ」
 ルーカスがアーシアンであると、すでに見抜いていたようだ。
「塩の味が活きるのは魚料理ね。特に、白身魚がお薦めよ」
 ルーカスは笑顔で頷いた。
「分かりました、それを頂きます。スレイド、あなたはどうしますか?」
「同じのでいい」
 大して考える様子もなく、即答した。見るからに「考えるのが面倒くさい」といった風情だ。
「分かったわ。白身魚のソテーが二つ、ね。飲み物はどうする?」
「私は『お水』で大丈夫です。スレイドはどうします?」
「珈琲」
 そこは「お水」とならなかったようだ。

 ウェイトレスは「しばらく待っていてね」といってその場を離れた。ウェイトレスがいなくなった後、ルーカスはスレイドにこっそり尋ねる。
「本当に良かったのですか? あなた、ルシカさんにはいつも肉料理を頼んでいたじゃないですか」
「別に。考えるのが面倒くさいから、肉って言っていただけだ」
 ──考えるのが面倒くさい。スレイドは何でも面倒くさがるなぁ……と、ルーカスは思った。
「それに俺は、料理のことが良く分からない。いちいち考えられる程、メニューも知らないしな。お前は分かるのか?」
「いえ、私も詳しくはないですが──でも、美味しいものを食べるのは好きです」
 そう言うと、ルーカスは舌をぺろっと出して照れるように笑った。
「あなたは、好きではないのですか?」
「別に。空腹が満たされれば、それでいい」
 相変わらず仏頂面だ。スレイドったら──まるで「おじさん」のようだと、ルーカスは思った。
 そう思った矢先、自分の考えが可笑しくなった。
 思えば、エデンでそう言われていたのは自分だったのだから。ティナは何かにつけ、「お兄ちゃんってば、おっさんみたい!」そう言っていた。所変われば、状況も変わるものなのか──そう思うと、何だか愉快な感じがしたのだった。かたや、スレイドは含み笑いをするルーカスに不服そうだ。腕組みをすると眉間を寄せる。
「──何がおかしい」
「あ、いえ。ごめんなさい、思い出し笑いです」
 そういうルーカスを、スレイドは怪訝そうに睨み据えていた。
 
 料理が来た後、ルーカスとスレイドはこれからのことを検討した。
「この街なら、探せばエアカーがあるかもしれませんね。明日、当たってみましょう」
「そうだな。問題は、どこを当たればいいか──だ」
「街の人に聞けば、分かるかもしれません」
 そう言うと、スレイドが返答するよりも早くルーカスは手をあげていた。先程案内してくれたウェイトレスがルーカスに気がつくと、カウンターに皿を置き、テーブルに向かって近づいてきた。
「すみません、少しお尋ねしたいのですが──この辺で、車や小型艇を貸してくれるところはありませんか?」
 ルーカスの問いに、ウェイトレスは首を傾げる。
「どうかしら……? すぐには思い当たらないけど──お客さん、どこか観光したいの?」
「ええ。先程あなたが話してくれた塩湖っていうのも行ってみたいし、有名なレドラっていう街も行ってみたいので」
「お客さん、アーシアンでしょ? レドラに行ったことないの?」
「私はインフェルンから来ました。アーシアンの二世なのです」
 ルーカスはこともなげにそう言った。ルーカスの屈託のない笑顔に、ウェイトレスはすっかり騙されたようだった。
「そうねぇ。車の貸し出しをしているかどうか分からないけど、ガルシアの街外れに『よろず屋』っていう看板を掲げている店があるわ。そこで相談してみたら?」
「『よろず屋』……ですか」
 怪しげなネーミングに、ルーカスは僅かに顔を曇らせた。
「前に通りかかった際、ちょっと風変わりな男の人がいたけれど──その人が店主かもしれないわ。見た目は変だけど、悪い人じゃなさそうよ」
 見た目が変。それって、充分「悪い」んじゃ……。ルーカスはそう思ったが、あえてそこには触れなかった。
「分かりました。ありがとうございます」
 笑顔で会釈すると、ウェイトレスも頭を下げてくれた。
 ウェイトレスを見送るルーカスの顔を、スレイドがしげしげと見つめていた。その視線に気づき、ルーカスはスレイドと目を合わせた。
「何ですか?」
「──いや。意外な才能を垣間見たような気がしてな」
「意外な才能?」
「何でもない。それより、その『何とか屋』っていうところに行ってみるのか?」
「はい。ちょっと胡散(うさん)臭そうですが、ひとまず行ってから考えれば良いかと思って」
「そうだな」
 スレイドも同意した。

* * *


 ホテルに戻った後、ルーカスとスレイドはシャワーで汗を流して、明日の予定を話し合ってから、再びベッドに横になった。
 ブランケットを引きながら、ルーカスが声をかける。「おやすみなさい、スレイド」。視線の先でスレイドは仰向けになりながら「ああ」とだけ返答した。これがスレイドの「おやすみ」という意味であることを、ルーカスはこの数日間で理解していた。
 だが、ルーカスは何だか寝付けなかった。何度も寝返りを打った後、隣のベッドに目を向ける。スレイドは仰向けで瞼を閉じていた。凛々しい横顔をしばらく見つめた後、ルーカスは僅かに体を起こした。スレイドの寝顔を見下ろして呼びかけてみる。
「スレイド。起きていますか?」
 返事がない。どうやら、眠ってしまっているようだ。
 諦めて、ルーカスも再び横になった。
 天井をじっと見つめるも、なかなか眠ることが出来ない。スレイドを起こさないようにベッドから出ると、再び窓の前に立った。
 深夜1時。あれだけ賑やかだった街道も、今は提灯の明かりが消されて静寂に包まれている。遠くから酒に酔った若者達が声をあげているのが聞こえてきた。
 ガルシア。
 赤い砂の街にはなかった活気が、ここにはあった。
 ヒューマノイドは活き活きとしていて、みな笑顔で、そして親切だとルーカスは思った。あのレストランのウェイトレスも、褐色の肌に黒い縮れた髪をしていて、エデンでは見ることのない容姿をしていた。しかし、とても愛らしい少女だったと、ルーカスは思っている。
 エデンに生きるアーシアンは、活気もなく、覇気もなく、ただ「生かされている」という感じだった。だが、この街の人は自発的に「生きている」そう感じられた。

 ふと、ルーカスは上半身を起こした。椅子の背にかけてあった上着をまさぐると、ポケットの中に入れていたカードを取り出す。そのカードは、ネクタスが自分の命を懸けてまでルーカスの未来のために残したカードだ。そのカードを見つめ、ルーカスは心の中で呟く。

 先生。
 先生が残して下さった思い、すべて私が受け継ぎます。
 そして、必ず助け出します。
 だから……
 だからどうか、それまで無事でいてください。

 窓の外には、薄っすらと星が瞬いている。あの星はきっと、エデンから見える星と同じはずだ。
 星よ、どうか先生をお守りください──ルーカスはそう、心の中で祈っていた。

* * *


 時を同じくして。
 エデンの牢に捕らえられたネクタスも、サルジェのことを案じていた。
 四日前、ネクタスの元にレジスタンスのメンバーであるシオンが訪れた。彼にサルジェの為に準備していたカードと資金を隠している場所を伝え、それを見つけ出してからサルジェに渡すよう依頼することが出来た。シオンは優秀なレジスタンスだ。きっと、ネクタスの望みを叶えてくれたに違いない。ずっとそれが気懸かりだった為、シオンに託すことが出来ただけでも気持ちは少し軽くなった。
 だが、ここに捕らわれてもう二週間近くになろうとしている。娘のティナは無事だろうか。彼女も囚われの身になっているのだろうか。

 様々に案じていた、その時だ。
 暗闇の向こうに、僅かな光を感じた。誰かがこのワームホールを開けたのだ。
 向こうから姿を現したのはグローレンだった。グローレンは、かつて目の敵にしていたネクタスの変貌に笑いを堪えきれなかった。
「ずいぶんと落ちぶれたな、ネクタス。貴様を見ていると、捕らえられた時のヴァルセルを思い出す」
 ネクタスは憎悪の形相を浮かべ、唸るように呟いた。
「黙れ、グローレン。貴様は、友人だったはずのヴァルセルを裏切り、酷い仕打ちをしたくせに」
「とんでもない誤解だな。私は、あいつの友人だったことなど一度もない。いつでも、あの気障(きざ)な男を憎んでいたからな。──貴様のことも同じだ。サルジェの行き先を白状したら、すぐにでも貴様を公開処刑にしてやるさ」
「何度も言っているだろう。サルジェの行き先など、私は知らない。たまたま出会した移動用ポートに、行き先も知らずに彼を乗せただけだ。あの時は、逃がすことに必死だったからな」
「白々しい嘘をつくな。あんな場所に移動用ポートが出来るなど、誰も予想していなかった。レジスタンスの誰かが、貴様に入れ知恵をしたのだろう。そいつの名前を、聞かせてもらおうじゃないか」
「何のことか、私には分からない」
「とぼけるな。貴様も『遺伝子学者の端くれ』なら、我々が貴様の脳を解剖して、いくらでも情報を引き出せることぐらい分かっているだろう」
 その言葉に、ネクタスは返答を詰まらせた。だが、気丈に言い放つ。
「出来るものなら、やってみるがいい。その前に私は、脳神経のすべてを破壊するナノロボットを自分に使うさ。『遺伝子学者の端くれ』だからな」
 グローレンはむっとしたように表情を険しくすると、手にしていた装置の先端をネクタスに向けてスイッチを押した。
 瞬時に全身を引き裂くような痛みが走った。その場で倒れ、苦悶の表情を浮かべる。
「……フン。貴様を痛ぶっても、面白くも何ともない。──だが、貴様の娘は別だ。彼女は痛ぶり甲斐がある。先日もこの痛みを何度も味わううちに、瞳から大粒の涙を流していたっけな。『私は何も知らない!』、そう繰り返し叫んでいたぞ。彼女の悲鳴は格別だな。必要以上に痛めつけたくなる。何なら、貴様の前であの娘の服をすべて剥ぎ取って全裸にさせて拷問をしてもいいんだぞ」そう言って、喉の奥で笑った。
 その言葉には、ネクタスも正気ではいられなかった。まだ痛みが残る体を起こして、全身で叫ぶ。
「ティナには……、あの子には手を出すな!」
「ほう? 自分の脳神経をぐちゃぐちゃにすると言えるヤツでも、娘のことになると動揺するんだな。──これはいい。貴様が脳神経を破壊したら、娘はもっと酷い目に遭うと思っておけ。娘をこれ以上残酷な目に遭わせたくないなら、我々の言うことを素直に聞くんだな」
 そう言うと、グローレンはネクタスに背を向けた。
「今後、貴様の尋問には私の部下であるレイゾンが携わる。……気をつけろ。奴は、レジスタンスの全員から情報を聞き出せる程の腕前だ。今はジョリスの尋問に携わっているが、ジョリスの精神崩壊が進んでいるので、もうすぐ尋問も終了するだろう。ジョリス──さんざん手こずったが、あいつが死ぬのはもはや時間の問題だ。次は貴様の番だ。奴は残酷な上に、常人では想像がつかないような酷い尋問をするからな。覚悟してかかれよ」
 そう言って、その場を後にした。
 グローレンがいなくなった後も、ネクタスはしばらくその場で蹲っていた。拳を固く握るも、不安と絶望感から小刻みに震えている。

 ──サルジェ。私にはもう時間がない。一刻も早く、ティナを助け出してくれ!

 ティナの身が、今のネクタスにとって最も気懸かりだった。
 愛らしい笑顔の、無邪気だったティナ。最後に会った際、ティナの見せた表情が脳裏に焼き付いている。ティナは、エデンに残る道を選んだ。父ではなく、サルジェでもなく、「エデンに残る幸せ」を選んだのだ。だが、ティナに残されたのは幸せではなく、自分の知らないことで責め苦を負う、残酷過ぎるほどの運命だった。

 ──ティナ。どうか、私を赦して欲しい……。
 
 そう心の中で呟くと、声を殺して泣いた。

* * *


 ガルシアの短い夜が明けた。
 しかし、眠りについたのが遅かったルーカスは、太陽がある程度上がるまで起きることが出来なかった。ふと、誰かが自分を揺り起こしているのに気がついた。
「おい、ルーカス」
 ルーカスは瞼を開けた。
 かすんだ視界に、スレイドの姿を捉える。何度か瞬きすると、目をこすりながら体を起こした。スレイドはルーカスのベッド脇に腰を下ろし、心配そうな顔でこう問うた。
「もう10時になるぞ。昨日、眠れなかったのか?」
「……はい。眠れないまま、夜明け近くになっちゃって……」
「何故、眠れなかった?」
「先生のことが、気になって──」
 そう言うルーカスを、スレイドは黙って見つめていた。
「気持ちは分かるが、今は悩んでいても仕方がない。俺達が出来ることを、するしかない」
「──そうですね。……すみません、動きましょう」
 そう言うと、ルーカスはベッドから立ち上がった。寝衣を脱ぎ、椅子にかけてあったブラウスに袖を通す。
「朝食は食べましたか?」
 スレイドはかぶりを振る。
「いや、まだだ。お前が起きてからと思ってな」
「そうだったんですか。……ごめんなさい、すぐに行きましょう」
 そう言うと、ルーカスはそばにあった上着を手にした。

* * *


 朝食を摂った後、昨日紹介された「よろず屋」を目指して、ルーカスとスレイドは街道を進んだ。
 やがて街の喧噪から解放された道の先に、ガラクタがあちこちに落ちていることに気づいた。自分の身長を超えるガラクタを見上げ、ルーカスは首を傾げた。
「これも、『よろず屋』さんの商品なんですかね……」
「さぁな。とてもじゃないが、商品として値段をつけられそうなものは、ひとつもないぞ。……正直、俺は何だか嫌な予感がしてきている」
 スレイドの予感と同じものを、ルーカスも感じていた。
 しばらく歩くと、前方に建物らしきものが見えてきた。
「スレイド! あれ、『よろず屋』さんじゃないですか?」
 だが、ルーカスもスレイドも、その考えを撤回したくなった。何故なら、目の前にある建物は店とは到底言えない程の「ボロ家」だったからだ。
 ルーカスもスレイドも建物の前で立ちつくした。しばらく時間が流れた後、スレイドがぽつりと言う。
「すごいな。こんなボロいほったて小屋、赤い砂の街でも見たことがない」
「ボロ家というより、単にガラクタを積み上げただけですね」

 ルーカスとスレイドの驚きも、無理はない。二人の前には、飛行艇のエンジンや壊れたエアカー、おまけに動かないアンドロイドまで、所狭しと並んでいる。否、並んでいるのではなく「無造作に放置されている」と言うべきだろう。
「どうする? 店主を捜すか。だがこの有様じゃ、とっくに店は閉めているのかもしれないぞ」
 或いは、閉めていないとしたら相当のいかれぽんちが経営しているか──。
 そう続けようとしたが、スレイドは言葉を止めた。ルーカスが建物の奥に入り、声をあげたからだ。
「すみません! 誰かいませんか?」
 反応はない。
 静まりかえる中で、ルーカスは立ちつくしていた。
「留守のようだな。──もう行くぞ。ここのガラクタは不安定で、下手したら崩れてきそうだ。こんなところまで来て、ガラクタに生き埋めにされるのはごめんだぞ」
「そうですね」
 そう言って、二人は建物を後にした。しかし、ルーカスは何を思ったのか建物の裏に目を向けた──その時。ルーカスの目に、驚くべき光景が映った。

「飛空艇だ!」

 絶叫に近いルーカスの声に、スレイドも反応する。
「何だって? どこに──」
「ほら、あれ!」
 ルーカスが指し示す方向には、見紛うことなき小型艇があった。
 否、大きさ的には中型ぐらいある。移動しながら生活出来る程のスペースはある飛空艇だった。
「すごい! まさかヒューマノイドタウンに、あんな立派な飛空艇があるなんて」
「だが、一体誰が持ち主なんだ? ……まさか、この『よろず屋』か?」
 スレイドは否定したい思いに駆られたが、それよりも早くルーカスが飛空艇めがけて走り出していた。

 飛空艇は、荒れ地の中で際だつぐらいの赤い色で塗られていた。赤い色に、黄色い星印に黒い字で「俺様は自由号」と書かれている。
 些か素っ頓狂な出で立ちの飛空艇ではあるが、そんな見た目よりも、ルーカスは飛空艇の機能と大きさに驚いていた。
「本当にすごい。これだけ大きければ、インフェルンまで移動だって出来ますよ」
 感嘆しつつ見つめながら周囲を歩いていたルーカスは、ハッチが開いていることに気がついた。
「中に入れそうです」
 そう言って先に進もうとするルーカスを、スレイドが咄嗟に止めた。
「やめておけ。万が一、罠だったらどうするんだ」
「罠? こんな街外れで、いちいち罠を仕掛ける人なんかいないでしょう?」
「そうかもしれないが、まだ『よろず屋』の正体も分かってないんだぞ」

 そう言われてみれば、飛空艇のことに驚きすぎて「よろず屋」のことをすっかり失念していた。

「もしかしたら、この飛空艇の持ち主はよろず屋さんと関係ないかもしれないじゃないですか。おそらくオーナーが中にいると思うので、捜してきます」
 そう言うと、すいっと中に入ってしまった。スレイドは大きく溜息を吐いた。
「──まったく。警戒心のないヤツだ」
 これじゃ先が思いやられる──そう思いながらも、仕方なくルーカスの後を追った。

 中に入って見ると、思った以上にスペースが広かった。これなら、数日の移動も苦にならないだろう。ルーカスの姿を捜すスレイドの耳に、声が聞こえた。
「スレイド、こっちです」
 振り向くと、扉の隙間からルーカスが顔を覗かせていた。
「やっぱり、オーナーさんいないみたいですね」
「だが、ハッチを開けたまま出掛けるヤツなんているか?」
「そうですよね。すぐに帰って来るとは思うのですが──」

 その時だった。
 どこかから、奇妙な音が聞こえる。
 それはまるで嵐の風鳴りのようであり、笛の音のようでもあった。ルーカスは怪訝そうに眉間を寄せる。
「何でしょう、この音……」
「こっちから聞こえるな」
 スレイドが指し示した扉を、二人は徐に開いた。

 ──そして。
 扉の向こうを見て、二人は絶句した。

 扉の向こうにあったもの。
 それは、ソファーにふんぞり返っている、一人の男の姿だった。
 その出で立ちはあまりにも奇抜で、今まで見たこともないような格好だった。迷彩色の服に、迷彩色のブーツ。くすんだ金髪は短く刈り込まれているが、後頭部の一部だけ長く伸ばして三つ編みに編み込んでいる。額にはゴーグルのようなサングラスをかけており、大きな口を開けて、いびきをかいている。先程から聞こえた奇妙な音は、どうやらこの男のいびきだったようだ。
「この人が、『よろず屋』さんなのでは……?」
 ルーカスの独り言に、スレイドも同意した。ウェイトレスは、よろず屋の店主をこう表現していた。「見た目は変」と。
 確かに、目の前にいる男「見た目は変」だ。出で立ちも変だが、体格はかなりしっかりした筋肉の持ち主で、まるでカタストロフィー前の文明にいた軍隊や海兵隊といった雰囲気だ。ヒューマノイドタウンではカタストロフィー前の先史文明における伝説や歴史が語られているので、この男はその伝説に乗っ取ってわざとこういう出で立ちをしているのだろう。だが、こういう格好をしている以上「強『そう』には見える」。あくまでも「強『そう』」という推察の域は超えられないが──。
「起こして確認してみるしかないな」
 そう言うと、スレイドは男に歩み寄った。男の肩をがしりと掴み、揺さぶってみる。
「──おい」
 変化はない。男はいびきをかいたまま、気持ちよさそうに爆睡している。スレイドは再度揺さぶった。
「おい、起きろ!」
 勝手にあがりこんで、いきなり「起きろ」もないものだが……この場ではやむを得ない、ルーカスは自分にそう言い聞かせる。
 だが、一向に男は起きる気配がなかった。「むにゃむにゃ」と口を動かした後、こう呟く。

「うーん……。イザベラちゃん……」

 ──イザベラ?
 夢を見ているのだろうか。
 スレイドは振り返り、ルーカスと顔を見合わせた。僅かに首を傾げた後、三度目の正直で男を揺さぶった。
「おい! 夢を見ているところ申し訳ないが、聞きたいことがあるんだ!」
 しかし、男の睡魔はスレイドの揺さぶりよりも強力だった。「うーん」と唸った後、ごにょごにょと寝言を呟く。
 いい加減痺れを切らしたスレイドは、男をソファーから突き落としたい衝動に駆られた、その時だった。
「好きだよぉ、イザベラぁ!」
 そう言うと、目の前に立つスレイドのことをいきなり抱きしめた。

 …………………………。

 一瞬にして空気が凍り付いた。
 次の瞬間には、怒りの気が周囲を包み込む──
「スレイド! 駄──」
 ──目と、ルーカスが叫ぶより早く。
 スレイドの鉄槌が、男の頬に振り下ろされた。「どすん!」というものすごい音と共に、男が床に倒れている。

 ──あちゃー。
 ルーカスは目を覆い隠した。

「……ってぇ──。何なんだ、一体……!」
 男は頭を振りながら、体を起こした。腕を組んでしかめ面をするスレイドと、困った顔をしているルーカスに気づいた瞬間、あんぐりと口を開ける。
「な、な、な、なんだ、てめぇらは!」
 素っ頓狂な声でそう叫ぶ。すぐさま視線をスレイドに移した。
「て、てめぇ! よくもこの俺様を殴りやがったな!」
「貴様が俺を抱きしめたりするからだ!」
「抱くわけねぇじゃねぇか! 俺ぁ男を抱く趣味はねぇ!」
「嘘をつくな! 今さっきそうしただろうが!」
「だから『しねぇ』って言ってるだろ!」
「いや『した』!」
「『してねぇ』って!」
「した!」
「してねぇ!」

 これでは水掛け論である。

「ちょ、ちょっと! やめてください、二人とも!」
 ルーカスが仲裁に入った。
「いきなり押しかけた上に、殴り倒したことは謝ります。でも、どうしてもあなたにご相談したいことがあって……」
「相談だぁ?」
 男は床にあぐらをかくと、ルーカスに向き合った。
「この俺様に、何の相談があるっていうんだ」
「あなたは、この飛空艇のオーナーですよね?」
 男は周囲を見回した後、深く頷いた。
「ああ、そうだけど?」
「あの……。私たちを、レドラまで連れて行って頂けないでしょうか?」
 突然の申し出に、男は目を丸くした。
「レドラまでだってぇ? お前ら、何だってレドラなんかに用事があるんだ」
「それは、ちょっと話せないのですが……。ただ、レドラまで送って下さったら、お礼は差し上げます。もし良ければ、前金でいくらかお支払いしますが──」
「いくらあるんだ?」
 ルーカスは慌ててポケットを探った。
「すみません、今はこれしかないんですが……ホテルに戻ればありますので」
 そう言って、数枚のコインを渡す。それを見た瞬間、男の顔色が変わった。
「これ、エデンの通貨じゃねぇか! これ一枚で、一ヶ月はホテル暮らしが出来るぞ!」
「それでお願い出来ますか?」

 契約成立しそうな気配を漂わせたが、男は急に顔を顰めた。
「てめぇ、ただのガキじゃなさそうだな。一体何者だ?」
「あ、そ……それは──その、か、『観光客』です」
 これほどまでに下手くそな嘘を聞いたことがない──スレイドは心の中で溜息を吐いた。
「ただの観光客が事情も言えない状態で、レドラまで行きたいってか。アホも休み休み言えってんだ!」
「そ、その──ごめんなさい! 事情は言えませんが、でも、どうか信じて下さい。あなたに迷惑をかけるようなことはしません。お礼も、あなたが望むだけあげます。なので──」
「勘違いすンなや。俺ぁ別に、お前の申し出を断ろうって気はねぇよ。もともと俺様は『よろず屋』だからな!」

 あ。
 やはりあの「ガラクタ」の持ち主だったが──ルーカスもスレイドも納得した。

「けどよぅ、お前の依頼を受けるンなら、もうちっとばかり、報酬を望むとするかな」
 そう言って両手を頭の後ろで組む。
「どんな報酬ですか?」
 男はチラリ、とスレイドを一瞥した。
「そこの紅い髪のイケメンに、俺様を殴ったことを謝罪してもらい、『どうかレドラまで連れて行ってください』とお願いしてもらおうかな」

 再び、空気が凍り付いた。

「そ、それは『出来ない相談』なので──」
 どうやら、ルーカス的に「出来ない相談」らしい。
「あの、どうでしょう? レドラに着いたら、前金の二倍のお支払いをするということで受けてもらうわけには……」
「やだね! 俺ぁ、その男に謝ってもらうまで、てこでも動かねぇぜ!」

 まるできかん坊である。

 ほとほと困り果てたルーカスは、すがるような目でスレイドを見た。
「スレイド……。お願い出来ますか?」
「断る!」
 ──ほら、やっぱり。
「大体、こいつがいきなり俺を抱きしめたのが悪い!」
「そ、それはそうですが……でも、寝ぼけていたんだから仕方ないじゃないですか」
 無理矢理、説得にまわる。
「それに、勝手に押しかけて揺さぶり起こして、さらに殴り倒したのは私たちの落ち度です。ここは、この人の言い分に従うしか──」
 それは一理ある、スレイドも分かってはいた。
 だが、プライドが許さない。
 悔しそうな表情で唇を噛みしめるスレイドを見て、さも楽しそうに男は笑った。
「へっへっへー! ざまぁみろ! 俺様に失礼な口をきくからだ! ……あーあ、早く船動かさないと、レドラに着くの夜になっちゃうなぁー。誰かさんがいつまでも謝ってくれないと、ますます遅くなっちゃうなぁ!」
 たたみかけるように言う。
 スレイドは今まで見せたことがない程険しい表情で、男を睨み据えていた。

 ──こいつ……。レドラに着いたら、即効「殺してやる」。

 だが、口に出して言うことは出来ない。ぎりぎりと奥歯を噛みしめた後、息を呑んでからこう言った。
「殴り倒して……悪かった」
 聞き取れない程、小さな声だった。
 男は眉をへの字にしてカラカラと笑った後、耳に手を宛ててこう叫ぶ。
「はぁー? 聞こえなぁい! 何ですかぁ、虫が鳴いた声ですかぁ?」

 瞬時にスレイドが拳を握ったことに気づき、ルーカスが慌てて腕を掴んだ。
「お、抑えてください! スレイド、怒りを抑えて!」
 スレイドのこめかみに、冷や汗が浮かんでいる。よほど屈辱らしい。
「殴り倒して、悪かった!」
 今度は聞こえるように言った。しかし、男は容赦がない。
「はぁ? 『殴り倒して、悪かった』だぁ? 『殴ったりして、申し訳ございませんでした』だろ」
「巫山戯んなこの野郎──!」
 飛びかかろうとしたスレイドを、すぐさまルーカスが抱き留めた。
「駄目です! 我慢して!」
 男は涼しい顔で耳の穴をほじくっている。
「それからよぅ。俺様には『ジース』っていう、すンばらしい名前があるんだ。『ジース様。あなたの素晴らしい船で、このやましい自分をレドラまで連れて行ってください』──そこまで言ったら、許してやってもいいぜ」
 しばらく唇を噛みしめていたスレイドだが、意を決してこう言った。
「ジース……様……」
「あぁん? 声がちっちゃいぞ!」
「ジース様! あ、あなたの素晴らしい船で、やましい俺をレドラまで連れて行ってくれ──」
「『くれ』だぁ?」
 スレイドは苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。ルーカスはハラハラしっぱなしだ。
「く、く……ください!」
 あり得ない程の陵辱に耐えるも、ジースはまだ妥協しない。
「もう一度! 全文正確に!」

 ──ああもう! 勘弁してあげてください!

 ルーカスは髪を掻きむしりながら、これ以上の修羅場が起きないことを心底願った。
 かたやスレイドは、しばらく荒く肩呼吸するも深呼吸した後、息を吸い込んでからいっきに叫んだ。
「ジース様! あ、あなたの素晴らしい船で、やましいこの俺を……レドラまで連れて行ってください!」

 言い切った!

 ルーカスは思わず、スレイドを抱きしめたい衝動に駆られた。
 反してスレイドは、憤りで紅潮した顔が今や蒼くなっている。肩で荒く呼吸を繰り返したままだ。よほど思い切って言ったのだろう──。
 ジースはさも気分良さげに伸びをすると、その場で立ち上がった。
「さぁって! じゃぁ、俺様もひと仕事しようかな。『やましい野郎』をレドラまで連れて行くためにな」
 そう言うと「忙しい忙しい!」と言いながら、部屋を出て行ってしまった。

 残されたルーカスとスレイドは、呆然と扉を見つめている。
「あの……、大丈夫ですか」
 まだ鼻息荒く呼吸しているスレイドを案じて、ルーカスが声をかけた。
 スレイドの形相は、今まで見たことがない程恐ろしく変貌していた。
「あの野郎……。絶対に殺してやる。レドラに着いた瞬間、八つ裂きにしてやるぞ」
 ジースが消えた扉を睨み据えながら、呪いのように繰り返していた。

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