第五章 レドラを目指して
 レジスタンスの一員であるシオンからネクタスのカードを託されたルーカスは、レドラに発つ為の準備に入った。身ひとつでここに来たため持ち物はないが、旅に困らない最小限の備えは必要だ。ルシカからもらったトランクに荷物を詰めている最中、扉をノックする音が聞こえた。
「俺だ。入るぞ」
 扉を開けて入ってきたスレイドは、腕に大きな紙の筒を抱えている。紙というものがそもそもエデンにはない。それを思うとエデンとヒューマノイドタウンにおける文明の差が思い知らされた。その上紙はやや黄ばんでいる。ずいぶんと古い代物のようだ。ルーカスは首を傾げた。
「何ですか、それは」
「ここに寄った旅人が、置いていったものらしい。この周辺の地図だそうだ」
 そう言うと、ルーカスの前に地図の束をどさりと置いた。黄ばんだ地図の上に記されたインクも薄くなっている。スレイドはその中の一枚を取り出し「ガサッ」と手荒に広げると、地図の一角を指さした。
「ここが『赤い砂の街』だ。レドラに向かう途中、『ガルシア』という中継地点がある。ここで、物資などを調達出来るはずだ」
「ガルシアまでは、歩いてどのぐらいかかるんですか?」
「俺が子供の頃、神父と一緒にガルシアの街に行ったことがある。盲目の神父と一緒だったせいもあるが、真夜中に街を出て日昼はオアシスで休憩し、着いたのは夜も更けた辺りだ。歩いた時間だけで計算すれば──21時間ぐらい、だな」
「──21時間……」
 瞬時に顔が青ざめた。
 ルーカスの人生において、21時間も歩いたことなど一度もない。その距離を盲目の神父と子供のスレイドが歩いたことを思うと感心を通り越して驚愕する程だが、ヒューマノイドにおいてそのぐらいの旅など、どうということもないのだろう。その証拠に、スレイドは平然としたままだ。
「問題は、ガルシアからレドラの方だ。距離的に問題はないんだが、ジャングルが続くため危険が多い。乗り物がなければ、移動はまず不可能だな」
「『エアカー』なんてものは、ガルシアにないですよね?」
「エアカー? エデンで走っているという無人の車のことか? 生憎だが、そんなものはヒューマノイドタウンのどこにも売ってない。あるとしても、地上を走る車か──或いは、多少裕福なヤツなら飛空艇ぐらいはあるかもしれないが、ガルシアがそこまで裕福な街だったという記憶はないぞ」
 ルーカスは重く溜息を吐いた。
「シオンさんに、移動用ポートを作ってもらえばよかった」
「それって、簡単に出来るものなのか?」
「いえ、簡単には出来ません。それだけでなく、あまり多発的に作ってしまうと空間の乱れを生じさせるので、エデンに察知されてしまいます。おそらくシオンさんは、そのリスクを最小限にしてポートを作っているのでしょう。だから──やっぱり私たちの都合でお願いは出来ませんよね……」
 語尾はまるで、自分を納得させるために言い聞かせているかのようだった。
「もしガルシアからレドラまで徒歩で行くとしたら、行けないこともないですか?」
「ああ。だが正直、推奨は出来ない。昼間とはいえジャングルは予想もしない程の危険に満ちているんだ。それに、ジャングルを通らなくてもレドラまで行く方法がある。それが見つかれば、一番いいんだが……」
「ひとまずガルシアまで行って検討するしかない、っていうことですね」
「そういうことだ」
 スレイドは答えると、そのまま地図をまとめた。

* * *


 出発の日。日が沈んですぐに、二人は街を出ることにした。まだ地平線際で夕陽がほのかなオレンジ色の光を放つ中、ホテルを前に二人は立っていた。
「それでは、行ってきます!」
 そう言うルーカスに向かい、ルシカが声をかけた。
「気をつけてね、ルーカス。くれぐれも、アーシアンに捕まらないようにしなさいよ」
 ルーカスは笑顔で頷いた。
「本当に、色々とお世話になりました。このご恩は、一生忘れません」
 ルーカスの言葉に、ルシカはルーカスを力強く抱きしめた。ルシカの豊かな乳房で、ルーカスが危うく窒息しかける程までに。
「もうっ! あんたってば、めちゃくちゃ可愛い子! 必ず私の元に帰ってきなさいね。その時は『いいこと』を、いっぱいしてあげるからね」
「いいこと……ですか?」
 窒息から解放されて咳き込むルーカスに向かい、ルシカはウィンクした。
「『大人の男女にしか許されない、いいこと』よ」
 そう言われても、今のルーカスにはピンと来ない。怪訝そうな顔で首を傾げるルーカスを見て、スレイドは苦笑を浮かべた。そんなスレイドをすかさず引き寄せ、ルシカが唇を重ねる。しばらく長いことそうした姿勢でいる二人を、ルーカスはただ見つめていた。二人はしばらくして離れると、ルシカが小声で囁く。
「──本音はね、あなたに行ってもらいたくないの。出来れば、ずっとそばにいて欲しい。何だかこれでもう二度と、逢えない気がして……」
「そんなことはない。必ず、戻ってくるさ」
 スレイドの返答を、ルシカは確認するかのように彼の顔を覗き込む。
「本当? 絶対に、帰ってきてね」
「ああ。約束する」
 そう言うと、まるで堪えきれないかのようにルシカの唇がスレイドの唇を覆った。ルシカの淋しさが理解出来るからか、スレイドはルシカが満足するまでそこを動こうとはしなかった。やがてルシカもこれ以上引き止められないと覚悟したのか、目に涙を浮かべながらも数歩退いた。
 それが「出発」の合図だった。ルーカスの元に、スレイドが歩み寄る。ルーカスは大きくルシカに向かって手を振ると、ルシカも手を振り返した。

 二人は夕陽に向かって歩き出した。
 二人の旅が、今まさに「この瞬間」始まったのである。

 しばらく歩いて、街が遠くに霞んできた頃。
 無言で歩き続けていた二人だったが、ルーカスが思いきって前々から抱いていた疑問をスレイドに投げかけてみた。
「あの……。ルシカさんは、スレイドの恋人なのですか?」
 だが、スレイドは動揺する素振りもなく平然と言った。
「いや。『命の恩人』だ。恋人とか夫婦とか、そんな平べったくて上っ面な関係じゃない」
「それって──恋人や夫婦よりも深い関係、ということですか?」
 突っ込んだ質問に、スレイドは不機嫌そうな表情を浮かべた。
「俺に面倒くさいことを質問するな!」
「わ、分かりました。ごめんなさい……」
 すぐさま引き下がる。歩きながら、ちらりとスレイドの横顔を見上げた。スレイドは真っ直ぐ前方を見据えたままだった。
 出逢った当初は、苦手なタイプだと思ったスレイド。今でも少し、彼のことは苦手だ。否、苦手というより「どう接したらいいのか分からない難しさ」を感じることがある。スレイドは短気ですぐに怒り出すが、その「怒り出す起爆スイッチ」がどこにあるのか、ルーカスには皆目見当もつかないのだ。悪気なく言ったことで突然怒るし、怒らせるかなと思いながら口にしたことに対して怒らないこともある。今だって、何気ない質問のつもりだったが怒らせてしまった。全くもって「何を考えているのか分からない」。
 だけど──そんな気難しさなんて消し飛ばしてしまう程、スレイドには優しさと思いやり、そして正義が存在する。そんなスレイドの意外な本質に、ルーカスはたまらなく惹かれていた。

* * *


 二人が赤い砂の街を出てから3時間ほど。
 辺りはすっかり、砂の世界と星の世界に分断されていた。夜の砂漠は、白銀の月光を浴びて真っ白に輝き、その上を無数の光が散りばめられているのだ。それはまるで、闇色のヴェールに輝く宝玉を辺り一面ばら撒いたかのようだった。ルーカスは声をあげてはしゃぎ廻ると、あちこちで飛び跳ねては大声をあげる。
「見て、スレイド! あれ、天の川ですよ! すごい! 本当に川みたいですね!」
 そう言って叫んだかと思うと、今度は違う方を指さして叫ぶ。
「見て! あれが蠍座です! 分かります? すごいですよね! あんなに大きいんですよ!」
「──フン。俺から見れば、ただのロブスターだ」
 呆れかえるように言うスレイドに反し、ルーカスの興奮は冷めやらない。あちこち走り回っては、やれ惑星がどうの、やれ星座がどうの、やれかつての先史文明がどうのと、ひとりで話まくっている。反応するのが億劫になったスレイドは、もはや何の返答もせずに黙々と歩き続けていた。
「ねぇ、スレイド」
 無言のまま歩くスレイドの背後で、息を弾ませながらルーカスが尋ねてきた。
「何だ」
「神父が前に、『アーシアンは地球人じゃない』って言っていた、って話してくれましたよね」
「ああ」
「それって、私も『そうなのかもしれない』って思い始めました」

 スレイドの歩みが早いせいで、ハァハァ荒く息をしながらついてくるルーカスに向かい、スレイドは立ち止まって振り返った。
「何で、そう思ったんだ?」
「エデンにいた頃、エデンの文明が500年前の文明を遙かに凌駕しているのではないかって、そう疑問に思ったことがあったのを思い出したんです。エデンにはエアカーや、透明のビル群、気候を温暖に保つテクノロジーや、何よりも病を一瞬で治癒したり健康を維持するための遺伝子操作や医学が発達しています。でも、お母さん──いえ、オリジナルであるシリアが残してくれた先史文明の記録によると、500年前にはそこまでの技術が発達していたとは到底思えなかったんですよ。今のヒューマノイドを見ても、そんな技術をかつて持っていた人達とは全然思えないでしょう?」
 ルーカスはその場に立ち止まったまま、息を弾ませながらいっきに話しまくる。相当息が切れていたのか、膝に手をつき何度も深呼吸をする。一方、スレイドは呼吸を微塵にも乱さず、ルーカスを見下ろしたままだった。
「何でそんな話を、今この俺にするんだ?」
 怪訝そうなスレイドに、ルーカスは辺り一面を指し示した。
「だって見てくださいよ! 宇宙にはこんなに沢山、星があるんですよ! 何で地球だけに、人類が発展したというのです? そんなの不自然じゃないですか!」
 スレイドは天空を見上げた後「フン」と鼻を鳴らす。
「『じぃちゃん』と同じようなことを言うな。──もう行くぞ。オアシスにたどり着く前に夜が明けちまう」
「じぃちゃん?」
 無意識に言った言葉をすかさず突っ込まれ、スレイドは僅かに顔を紅潮させた。
「神父のことだ! ──いちいちうるさい奴だな! 少しは黙って歩け!」
 そう言うと、背中を向けて歩き出した。その背中をしばらく見つめていたルーカスだったが、追いつくために急いで歩き出した。
「あの、じゃぁ、私の『独り言』だと思って聞いて下さい」
 話すのをやめる気はないようだ。
「シオンさんが『移動用ポート』の話をしていたでしょう? あれってどういう仕組みになっているかというと、この三次元とは違う振動数で移動をする仕組みなんです。要するに、ポートが存在するのではなく、『人間を特殊の振動数に変えて、その特殊の振動数だけが移動するルートを作る』っていうわけです。……言ってる意味、分かりますか?」
「──独り言だったんじゃないのか」
 スレイドに冷たく突っ込まれ、ルーカスはあっ、と口に手を宛てた。
「えっと……そうです、独り言なんですけど──要するに、移動用ポートは『特殊の振動数に変えられた人を、特殊の振動数のルートに乗せて出口まで運ぶ』という仕組みなんです。それで、私の言いたかったことは──えっと……」
 息切れがして、その場で立ち止まってしまった。ハァハァと荒く肩で息継ぎをして、「えっと、何が言いたかったんだっけ……」と呟きながら考え込む。痺れを切らしたスレイドは大きく溜息を吐いて立ち止まると、振り返り様に叫んだ。
「『アーシアンが異星人だ』っていう仮説に、絡んだことを言う気だったんじゃないのか!」
「あ、そうそう! それです! さすがはスレイド!」
 スレイドは「つきあっていられない」とでも言いたげな呆れた表情でかぶりを振り、再び背を向けて歩き出した。
「すなわち、アーシアンの祖である始祖である四聖人は、そうした移動用ポートのようなワームホールを使ってやってきた『異星人』──いえ、『異次元人』なんじゃないか、って思ったんです」
「──で? その根拠は」
 スレイドも漸く、話に付き合ってくれる気になったようだ。
「化学元素の表、スレイドも知っているでしょ?」
 その言葉には、ムッとした表情で振り返る。
「知るわけないだろ! 俺はまともに教育さえ受けてないんだぞ!」
 しかし、そんなスレイドの言葉をルーカスはあまり気に止めていないようだ。
「じゃ、『知っている』という過程で話を進めましょう!」
 些か強引である。スレイドは「もう二度と反応するまい」そう決意して歩き出した。
「化学元素の表はそれぞれ組成する元素の仕組みによって造られていますが、そもそも元素を組成する振動数が異なれば、最初からまったく違う元素が誕生する可能性があるわけです。例えばですね、この次元──私たちが暮らす世界では『炭素』から生命体は造られていますが、そのひとつ上の元素は『ケイ素』になるんです。でも、もしケイ素を基盤として生命体が造られていた場合、私たちの目では見えない可能性が高いですよね。だって、振動数そのものが違えば、そこを基盤とする世界も大きく違うんですもの」
 そう言って、ルーカスはしばらく何かを考え込んだ。
「例えばですね、音楽。音楽は、分かりますか?」
 スレイドは仏頂面で答えた。
「──ああ。神父が音楽好きだったから、それは分かる」
「それなら、音階とかも分かりますか? ドレミファソラシド、とか」
「ああ、分かる」
 ルーカスは嬉しそうに笑って手を叩いた。
「それなら説明しやすいです! ドレミファソラシドは、いわばハ長調。地域によっては『Cメジャー』とかも言いますよね、長調だから。でも、例えばそれを『レ』から始めたとしましょう。『レミファソラシドレ』となった場合、ピアノで言えば、必ずファとドにシャープ(♯)がつくんです。意味、分かります?」
 興奮が続くルーカスに、スレイドは無言で頷いた。
「──音階には、必ず音の波長が決まっているからだろ。だから、基盤の音がレになったりミになったりすれば、そのたびにシャープがついて波長の音を調整している」
「その通りです! スレイド、詳しいですね。何か楽器の経験があるのですか?」
 その問いに、スレイドは答えなかった。長いこと無言であることから、きっと答えたくないことだったのだろう。そう察したルーカスは、そのまま話を進めた。
「次元もそれと同じで、ある程度の法則性は一緒でも、基盤が違えば接触することがないのではないか、そう思ったのです。要するに、もしも私たちの世界が『ド』から始まる世界だったとしても、『レ』から始まったり『ミ』から始まったりする世界の住人を目で見ることは出来ないのではないか、そう思って──」
「要するに、アーシアンは『レ』や『ミ』から始まる世界の住人ということか?」
 スレイドの問いに、ルーカスは大きく頷いた。
「その通りです! 『ド』から始まる世界の住人ではないけれど、『レ』や『ミ』から始まる異次元人である可能性は高いんじゃないか、って。そして、この『ド』から始まる世界で生活するため、『ド』の世界に馴染むための遺伝子操作が必要だったのではないか──と」
「──フン。まぁ、言ってる意味は分からなくもないな」
 スレイドの同意に、ルーカスは今まで見せたことがない程嬉しそうな表情を見せた。
「そうですよね! 良かった! スレイドが分かってくれて」
「誤解するな。俺は『意味は分からなくもない』と言っただけで、お前の意見に同調したつもりはない」
 そんな言葉、ルーカスはまったく聞いていなかった。スキップをしながらスレイドに近づき、腕にしがみついて星を指さす。
「ねぇ、スレイド! あなただったら、どこの星がいいですか?」
「星?」
「『生まれ故郷の星』ですよ! もちろん『仮に』っていう話です」
 スレイドは「さぁな。星なんか、ろくに知らない」と素っ気なく答えた。しかし、ルーカスはまったくもってスレイドの興味のなさなど相手にしていなかった。
「私は『プレアデス』が好きなんです! 青くて無数に集まっていて、すごく綺麗なんですよ! スレイドは──どちらかというと、シリウスでしょうか」
「シリウス? オリオン座の下で輝いている星のことか?」
「そうです! おおいぬ座です! スレイド自体、狼っぽいですもんね。一匹狼っぽいです」
 いきなり狼に例えられ、スレイドはこの上なく不愉快な表情だ。
「なら、お前は『鶏』だな」
 鶏と言われたルーカスは、きょとんと目を見開く。
「鶏? 何でですか?」
「さっきから『うるさい』からだ」
 素っ気なく──だが、どことなく愛着をもって言うスレイドに向かい、ルーカスは背中を思い切り叩いた。
「もぉ! せっかく人が気持ち良く話しているのに!」
 ルーカスの突っ込みに、スレイドも笑った。
「確かに、お前がこんなに喋るのは初めて聞いた。──だが、少し体力を残しておけ。まだまだオアシスまで遠いぞ」
 街を出てからまだ3時間ほど。夜明け前にオアシスに着く予定だが、それでもゆうに10時間近く歩かなければならない計算になる。
「そうですね。少し、体力温存するとします」
 そう笑って言うと、ルーカスもスレイドの後ろで歩き始めた。

* * *


 それから、どのぐらいの時間が流れただろうか。天空の星々は地球の自転に合わせて様相を変え、東の地平線の際がうっすらと明るくなり始めている。あと1時間もすれば、夜が明けるだろう。
 最初の数時間こそは呼吸を微塵にも乱さなかったスレイドだが、さすがに息切れし始めている。凍えるような夜の砂漠の気候にさえ、うっすら汗をかく程だった。立ち止まり背後を振り返ると、ルーカスが遅れて遙か遠くを歩いている。足取りは不安定で、今にも倒れてしまいそうな程だ。スレイドは大きく溜息を吐いてから声を上げた。
「さっきまでの元気はどうした! もう少し早く歩かないと、夜明け前にオアシスまでたどり着けないぞ!」
 しかし、ルーカスは反応がない。スレイドは「……ったく」と吐き捨て、ルーカスの元まで後戻りした。ルーカスはその場で足を止め、腰を曲げると両膝に手をついた。ハァハァと苦しそうな息づかいが、彼の背中を見ればすぐに分かる。
「……ちょっ……ここまで歩いたの……人生……初めて……」
 息をするのに精一杯すぎて、言葉を紡ぐのもやっとだ。スレイドは呆れ顔だ。
「お前、エデンで運動を欠片もしなかったのか? このぐらいの距離、高齢の神父でさえお前よりも早く歩けていたぞ」
「だっ……まだ……ここに来て……一週間足らずで……」
 これ以上喋らせると、酸欠になりかねない。そう思ったスレイドは「分かった。もういいから喋るな」、そう言ってルーカスの腕を引いた。何とか歩き出したルーカスだったが、突如足がもつれて倒れてしまった。
「もう……足がガクガクで……」
 スレイドは顔に手を宛ててかぶりを振ると、苦々しく言った。
「ガルシアからレドラまで歩くのは『無し』だ。お前の体力がもう少しあれば、考えても良かったが──これじゃ絶対に無理だ」
「……すみません……」
 ルーカスは、自分をこんなに不甲斐なく思ったのは初めてだった。落ち込むルーカスの前でスレイドはしゃがみ込むと、ルーカスの腕を自分の肩に廻す。
「どうする気ですか?」
「お前を肩で支えて歩こうと思ったが、俺とお前の身長差じゃそれも無理だ。そのまま俺の両肩に腕をおろせ」
 そう言われ、怪訝に思いながらもルーカスはスレイドの肩に腕を置いた。
「これで、どうするのですか?」
「お前を『背負う』のさ」
 そう言ってスレイドは、ルーカスを背負ったまま立ち上がる。ルーカスは顔を真っ赤に紅潮させると、足をじたばたとばたつかせた。
「い、嫌ですよ! 恥ずかしいです!」
「そんなこと言ってる場合か! もうじきに夜が明けるんだぞ。それまでにオアシスにつけなければ、俺達二人が干からびて死にかねないんだ。──それに、恥ずかしかろうが何だろうが、俺達以外周りには、誰もいない」
 そう言われてみれば確かにそうだと、ルーカスは思った。
「だけど……あなただって疲れているのに──」
「俺のことは気にするな。お前の百倍、体力がある」
 そう言って、ルーカスを背負ったまま歩き出した。

 何だか照れくさい──。
 ルーカスはそう思いながらも、スレイドの優しさに甘えて──そのまま意識が途切れてしまった。数分もしないうちに、寝息が聞こえてくる。スレイドに背負われたまま、ルーカスは眠りについてしまったようだ。スレイドは苦笑を漏らした。

 ──まったく、何が15歳だ。こいつの方がよっぽど15歳らしくない子供じゃないか。

 それにしても、アーシアンという生き物は何故こうも純真無垢なのだろう。それはもしかしたら、ヒューマノイドとは異なりアーシアンが恵まれた環境にいるからなのかもしれない、そんなふうにスレイドは思う。「彼を守って欲しい」と懇願したネクタスも、ヒューマノイドタウンのような命の危険や奪われる危険、脅かされるものが何もない分、純粋に、そして、理想に向けてひたむきに生きられるのかもしれない。思えば、セヴァイツァー神父もそうだった。神父も、どんな危険な目に遭っても、物を奪われても、それでも「人を信じる」ということをやめなかった。
 ──そう考えると、俺のように疑い深い人間には、アーシアンの血など一滴も入ってないのかもしれないな。
 スレイドはそう思い、自嘲するように笑った。

* * *


 目の前で、美しい花が風に揺れている。ピンク色の花瓣の花──ポピーという名の花だと、先生が教えてくれたっけ。
 否、違う。
 あれはポピーじゃない。茎が細くて、花瓣が細くて──そして、とても華奢な花。こんな花が庭で満開だった光景は、一度も見たことがなかった。

 これは一体、どういうことだろう──。

 ルーカスがそう考えていた、その時。
 目の前に、ひとりの女性がしゃがみこんでいることに気がついた。愛おしそうに花に触れながら、花々の香りを堪能している。絹糸のような金髪は、風が吹くたびに揺れていた。
 その後ろ姿に、ルーカスは見覚えがあった。そう──、あの後ろ姿は……。

「シリア!」

 その呼び声と同時に、目の前の女性が立ち上がった。
 振り返ったその顔は、大きな翡翠色の瞳に長い睫。まるで、自分を女性にしたかのような姿だった。ルーカスはシリアに自分が見えていると思い、息を呑んだ。しかし、シリアは自分よりも遠くを見つめている。そして、こう言った。

「ネクタス!」

 振り返ると、そこにはネクタスがいた。ルーカスが知っている姿ではなく、もっと若々しい姿で、くすんだ金髪をひとつに結び、今のように髭は伸ばしていなかった。
 シリアはルーカスの横を通り過ぎると、そのままネクタスに抱きついた。しばらくネクタスの胸に顔を沈めた後、ネクタスを見つめて言う。
「嬉しいわ! いつ、私の好きな花がコスモスだって気づいたの?」
「ずっと前さ。ヴァルセルと一緒に三人で話していた時、ぽつりとそう言っただろ?」
 シリアは「そうだったかしら。私さえ忘れていることを覚えているなんて、さすがね」と笑って言うと、ネクタスの胸に頬を埋めながら庭を見つめた。
「いつ見ても素敵な庭ね。生命が溢れて、花は季節と共に咲き誇り、まるで遠い時代の地球を思い返すことが出来る。あんな透明で無機質な街ではなく、ね」
 そう言って、シリアは視線をエデンの中枢部に向けた。その視線の先には、水晶のクラスターを思わせるようなビル群が建っている。
 ふと、ネクタスが少し緊張した面持ちを浮かべた。
「シリア。君は……」
 一瞬躊躇った様子を見せたものの、はっきりと問うた。
「君は本気で、『後継者プロジェクト』に参加する気なのか?」
 シリアは庭を見つめたまま、力強く頷いた。
「ええ。私、ヴァルセルが言うことは本当だと、そう確信しているの。『皇帝アグティスは、存在しない』──今のエデンを牛耳っているのが元老院なのであれば、ヴァルセルが元老院のうちに、『生きた後継者』を誕生させるべきだわ。今の元老院からではなく、ね」
「クリティカンを後継者にすることについて、多くの反対者も出ているぞ」
「でも、それ以外に方法はないもの。私達、正当なアーシアンでは遺伝子操作に限界がある。優秀で、それでいて思慮深い心を持つ人材を産みだすには、人造人間であるクリティカンに委ねるしかないのよ。その分、彼らは子孫を造れないけど……それでもきっと、エデンや地球を建て直してくれるに違いないわ」
 そう語るシリアの目は、希望に満ちていた。そんなシリアを、ルーカスは黙って見つめている。

 ──これはきっと「お母さんの記憶」だ。
 お母さんのDNAに残っていた記憶が、夢として再生されているんだ。

 だが、ネクタスとシリアの二人の関係については、まったく予期していなかった。
 二人の姿は、まるでルシカとスレイドのようだった。呆然と二人を見つめていた、その時。ネクタスを見上げているシリアの唇を、ネクタスの唇が覆った──

 ──えっ?
 ルーカスは目を見開いた。
 まさか……、先生とお母さんは──。

 その瞬間だった。
 全身に冷たいものを浴びて、ルーカスは飛び起きた。少し水を呑み込んでしまったようで、咳が止まらなくなる。
「なっ、な、な、何ですか、一体!」
 気がつくと、ルーカスは上半身びしょ濡れの状態だった。どうやら水を掛けられたらしい。
 見回すと、辺りは鬱蒼とした緑に囲まれ、木陰にルーカスは横たわっていた。目の前には桶を手にして声をあげて笑うスレイドの姿があった。
「やっと目を覚ましたか! さんざん声をかけても起きないから、声の代わりに『水』を掛けてやった。どうだ、気持ちいいだろ」
「き、気持ちいいも何も──びっくりしすぎて、心臓が止まるかと思いましたよ!」
 そう言いながらも、ルーカスは辺りを見回す。高くそびえる木々の合間からは、太陽光が照りつけていた。
「ここから先は、もう砂漠の旅じゃない。ガルシアまでは林や森が続いている。ここまで来れば、一安心だ」
「ここまで、あなたが運んでくれたのですか?」
 ルーカスの問いに、スレイドは呆れ顔だ。
「目の前にいる『自称15歳の子供』が、俺の背中で爆睡したせいでな」
「ご、ごめんなさい……」
 ルーカスは肩をすぼめた。
 スレイドは笑って背後を顎で示した。
「そこに湖がある。ここはヒューマノイドの旅人がよく使う湖水の休憩所でもあるんだ。ここで水を補充してガルシアまで行けば、後は何とかなるだろう。ここからなら、ガルシアまでは6時間ほどだ。──まぁ、お前がいるから8時間はかかるかもしれないがな」
「大丈夫ですよ。すっかり元気になったから、倍速3時間で行けるはずです!」
 根拠のない自信満々の姿で立ち上がるルーカスに向かい、スレイドは疑念の晴れない目をした。
「まったくもって、あてにならない断言だな」
「大丈夫ですよ。誓って言います」
「まぁ、元気になったのはいいが──少し休んでから行こう。今はまだ朝の7時だ。1時間ぐらい休んでから行っても、充分日が沈む前にガルシアまでたどり着ける」
 そう言ってルーカスの隣に腰を下ろすと、頭の後ろに手を組んで仰向けに寝転がった。
「お前を負ぶって歩いたせいか、俺ももうクタクタだ。少し休ませてくれ」
「分かりました」
 ルーカスの答えを聞くや否や、スレイドは瞼を閉じた。そんなスレイドの顔を、ルーカスはじっと見つめている。
 ──ヴァルセルさんとネクタス先生、そしてお母さんは、三人で仲が良かったのか。
 でも、思えばスレイドの素性も、ヴァルセルさんがどうやってスレイドを産ませたのかも、そして、神父が何故死んだのかも、私は全く分からないままなんだ。

 質問したい気もするが、スレイドはかなり疲れていたのかすでに寝息をたてている。ルーカスは諦めて、その場を少し散策することにした。

 先程スレイドからかけられた水は、もうほとんど渇き始めている。森に覆われているとはいえ、湿気ある熱風ですぐに渇いてしまうようだ。
 少し歩くと、スレイドが言っていた湖水が見えてきた。そこには数人のヒューマノイドが水浴びしているのが見える。一瞬アーシアンであるルーカスを怪訝そうに見ていたが、善人そうなヒューマノイドはすぐに視線を逸らし、水浴びではしゃぐ子供に視線をむき直した。

 ──こういうヒューマノイドの人もいるんだな。彼らはきっとアーシアンを人身売買して儲けることなんかよりも、子供を守って暮らしていくことの方が大切なんだ。
 何とも健全な在り方だ──そう思う。

 赤い砂の街から遠く離れ、この森林はすでにガルシアの領地だと聞く。ガルシアはアーシアンも多い街だと聞いているので、そこに暮らすヒューマノイド達もまた一風違うのかもしれない。
 ルーカスは湖水近くにある地面に腰掛けた。靴を脱ぎ、足先だけを湖水につける。心地よい水が、足を冷やしてくれた。よく見ると、魚たちも何匹か泳いでいた。環境悪化が懸念されるここカエルムの大陸だが、それでもこの土地の湖は清いようだ。もしかしたら、鬱蒼と生える森林が湖を守っているのかもしれない。

 ルーカスはふと、先程の夢を思い返した。
 シリアの記憶。そして、後継者プロジェクトの「本当の目的」。

 それは、元老院から命じられた正当な司令ではなく、当時元老院のひとりだったヴァルセルが、ほぼ独断で実行したもののようだ。だからこそ、ヴァルセルが処刑されることになって後継者プロジェクトそのものが頓挫したのだろう。何故なら、元老院自体はその計画に「最初から反対だった」のだから。
 でも──と、そこでルーカスは疑問に思った。
 ──確か先生は、「アグティスとの謁見が赦されたのは、ヴァルセルただ一人だった」と、そう言っていなかったっけ?
 謁見を許された人物が、何故「アグティス皇帝は『存在しない』」と、そう断言したのだろうか?
 そもそも、現元老院は何故アグティスとの謁見が許されていないのだろうか?
 ──少し、整理してみよう。
 ルーカスは膝を抱えて考え込んだ。

 ──ヴァルセルさんはきっと、アグティスと謁見をして、その時に「存在しない」ことを知ったんだ。ヴァルセルさんが一体何に謁見し、何を知って「存在しない」と断言したのか──それは分からない。でも、少なくともヴァルセルさんの中に何か大きな確信があって、存在しないと断言したことに代わりはないはずだ。
 それで、「生きた皇帝」を産みだすべく、後継者プロジェクトを発足し、お母さんがそこに名乗りをあげて、クリティカンである私を誕生させようとした。でも、その最中にヴァルセルさんが処刑されてしまい、私は後継者ではなく「ただのクリティカン」に成り下がったというわけなのか。
 そう考えながら、ルーカスは仰向けに寝転がった。茂った森の枝葉から、太陽の光が揺れて射し込んでいる。
 ──ネクタス先生もお母さんも、ヴァルセルさんが死んだ後その遺志を継いで、後継者プロジェクトを成功させようとしていたんだ。おそらくレジスタンスは、後継者プロジェクトを成功させるための組織なのだろう。だからシオンさんは私に向かって、「レジスタンスの未来は、ひとえにあなたの無事にかかっている」と、そう言っていたんだ。
 でも、仮にそうだとしたら──スレイドは、一体どういう存在なんだろう。

 ここまで煮詰めて考えても、どうもスレイドの存在の謎が解けなかった。
 スレイドが「ヴァルセルの息子」という以上は、ヴァルセルの遺伝子を持つことは確実だ。ヴァルセルのDNAで遺伝子操作をした後、ヒューマノイドの女性の子宮を借りてスレイドを育てたと聞いている。スレイドが言うには、スレイドは産まれてすぐにセヴァイツァー神父に預けられているので、母親とは会ったことがないと言う。神父からは「死んだ」と告げられているようだが、それだって本当なのか定かではない。

 ──スレイドの生い立ちが、あまりにも不透明すぎる。何故、先生もお母さんも、スレイドの生誕について何も語ってくれなかったんだろう。

 そんなふうに考えながら、ルーカスはだんだん意識が遠のくのを感じていた。木漏れ日に揺れる日の光を受けながら、うとうとと眠りについた。

* * *


 真っ暗な紺碧のヴェールを、無数の光が取り巻いている。
 夜の砂漠。こんな砂漠を、スレイドは何度旅したか分からない。
 だが、それは最近の記憶ではなかった。目の前には、ボロボロのマントを纏い、腰を曲げながら必死に歩みを進める老紳士の姿がある。スレイドは慌ててその隣に立ち、手を引いた。
「じぃちゃん、大丈夫か?」
 その声は、10歳の頃のスレイドの声だった。老紳士は盲目になってしまった目を前方に向けたまま、笑顔で頷いた。
「おお、スレイド。声がしないから、どこに行ったかと心配したよ」
「──ごめん。このまま行ってオアシスにたどり着けるか、確認していたんだ」
「すまないね。いつも先々気を遣わせて」
 そう言って、老紳士はスレイドの頭を撫でた。

 この時、老紳士──セヴァイツァー神父は104歳だった。
 アーシアンは寿命が長いと言われているものの、それでも104歳は充分な高齢だ。その上、神父がヒューマノイドタウンに亡命してからというもの、数多くの苦難が神父の身を襲っていたため、神父がヒューマノイド並に年老いても無理はない。

 神父はアカデミーで宇宙史と地球古代史の教官を務めていたが、60歳になると同時にその職から退いてヒューマノイドタウンに降りた。当時は元老院であるスヴェルと親しく交流し、その息子であるヴァルセルのことは、産まれた時から面倒を見ていた程だった。
 スヴェルが未来を期待していた自分の長男と事故死をした後、ヴァルセルが幼い年齢で元老院入りしなければならない事態になったことについて、セヴァイツァーは猛烈に反対した。だが、ヴァルセルの元老院入りは「アグティス皇帝直々の要望」であり、かつ、ヴァルセル本人も希望したことから、セヴァイツァーはその反対を撤回せざるを得なかった。

 ヴァルセルがアグティスと共に暮らし始めたという噂を聞いた時、セヴァイツァーは嫌な予感がしていた。きっとまもなく、『争いの火蓋が、切って落とされることになるであろう』と──。
 その闘いは、アーシアンとヒューマノイドを全面的に争わせる大きな戦争になるだろう。そうなればアーシアン、ヒューマノイド共に大勢の犠牲者が出てしまう。そうなる前に、一人でも多くのヒューマノイドの目を開かせよう──そう思って、神父はヒューマノイドタウンに降りて布教活動を始めたのだった。

 今、目の前にはヴァルセルの息子、スレイドがいる。
 スレイドは髪の色こそ違うが、幼い頃のヴァルセルにそっくりだった。違う点をあげるとすれば、ヴァルセルよりも遙かに優しく、思いやりがあるということだろうか。気難しいところや短気なところ、喧嘩っ早いところは父親譲りだが、曲がったことが大嫌いなところは、スレイドの方が筋金入りだとそう感じていた。
「さぁ、行こう。このままでは、私のせいでお前に迷惑をかけてしまう」
 そう言って、セヴァイツァーが歩みを進めた──その時だった。
 ふと、スレイドが足を止めた。怪訝に思い、神父が尋ねる。
「どうかしたのかね?」
「──誰か来る」

 スレイドが見つめている視線の先に、三人の男達がいた。三人ともマントを羽織ることなく、白銀の月光の下に金色の髪を靡かせている。
「あいつら……ヒューマノイドじゃない」
「それでは、アーシアンかね?」
 神父の問いに、スレイドはかぶりを振る。
「俺にはよく分からない」

 よく分からない──。
 でも、何か嫌な予感が、スレイドの中に過ぎっていた。

 やがて、男達が二人の前に立った。スレイドは神父を守るように、男達の前に立ちはだかる。だが、男達の反応は意外なものだった。神父を見るなり、こう言ったのだ。
「お久しぶりです、神父」
「その声は──」
 神父はその声の主を知っているかのような反応を示した。
「セイン! 何故、エデンに帰らなかった!」
「それは、『帰れない事情』があったからです」
 そう言うと、スレイドに視線を落とす。スレイドは警戒心を解かなかったが、それでも、男達が神父の知り合いであることを知り僅かに油断していた。
「この子が、『例の子』ですね」
 意味深げに、セインと呼ばれた男がいった。
「そうだ。まさか、この子を引き取りにきたのか?」
「──いいえ。その『逆』です」

 そう言うより早く。
 仲間のひとりが、スレイドの頭部をいきなり殴りつけた。
「うっ!」
 小さく呻いた瞬間、スレイドはその場に倒れ込んだ。

「スレイド!」

 神父が叫んだ。
「子供相手に、何てことをするのだ!」
「彼には、気絶していてもらう必要があるのです。『今から起きることを、知られないため』に」
「今から起きること──?」

 神父がそう問うよりも早く。
 セインが、神父の腹部に短刀を深々と突き刺した。

「……ぐっ」

 神父は傷を庇おうと腰をかがめる。その瞬間、他の二名も短刀を突き刺した。
 無数の傷を受け、神父はその場に蹲った。真っ白な砂の上に、神父の血が滴り落ちていく。
「な……何故、こんなことを──」
 激痛の中で問いかける神父に、男はこう言った。
「これが、『彼の遺言』だからです」
「彼……? ま、まさか──ヴァルセルが……ヴァルセルがこのようなことを、命じたというのか!」
「そうです。だから私たち三人は、この10年間ずっとあなた方二人を見守っていた。そして、彼が10歳になったその日、『あなたを葬る』という遺言を守るまで待ち続けたのです。エデンに帰らずに、ね」
「な、何故だ……。セイン。君とヴァルセルは、一体、何を考えていたのだ。君らの本当の目的は、一体──」
「すみません、神父。これ以上、あなたが苦しむところを見たくはありません」
 そう言うとセインは短刀を神父の首に宛て、いっきに引き裂いた。瞬時に、大量の血が傷口から噴き出す。喉を裂かれた神父は、そのまま呻くことさえ出来ずに絶命した。

 セインは立ち上がると、残りの二人に振り返る。その顔には神父の返り血が大量にかかっていたが、表情は凍り付いたままで、知人を殺した後とは思えない程の冷淡さだった。
「すぐに身を隠すぞ。神父が死んだことがレジスタンスにばれれば、私たちのことが疑われる」
 その言葉に、二人の男は同意するように頷いた。


 スレイドが目を覚ましたのは、それから1時間ほどした後のことだった。咄嗟に飛び起きた時にはすでに三人の姿はなく──代わりにあったのは、神父の惨い遺体だけだった。
 スレイドは慌てて走り寄った。しかし神父はすでに息を引き取っており、マントが夜の風に煽られて音を立てているだけだった。

「うわぁ──────っっ!」

 スレイドは全身に怒りと悲しみを込めて、絶叫をした。
 と、その時。


 いきなり全身に水を浴びた。
 何が起きたのかと飛び起きると、そこにはルーカスが桶を手に立っている。
「さっきの仕返しです」
 そう言って、屈託なく笑う。
 しかし、スレイドはすぐに反応出来なかった。今まで見ていた夢が、スレイドにとって一生涯で最も辛い想い出だったからだ。反応のないスレイドを怪訝に思ったルーカスは、桶を置くと彼に近づいた。
「スレイド……。まさか──泣いているのですか?」
 水を浴びたせいでよくは分からないが、スレイドがとても悲しそうな顔をしていることにルーカスは気がついた。
「一体、どうしたのです?」
「──別に。夢のせいだ」
「夢の?」
 ルーカスはスレイドの隣に腰を下ろした。
「どんな夢だったのか、話してくれますか?」
 スレイドは正面を見据えたまま、頷くこともなかったがかぶりを振ることもしなかった。

 その後、スレイドはセヴァイツァー神父が亡くなった時のことを話した。
「俺は三人の男のひとりに殴られ、気絶してしまった。だが、気絶していて覚えていないはずの記憶を今、夢で見たんだ」
「夢で?」
 その時、ルーカスは「シリアの記憶」のことを思い出していた。
 スレイドは気絶していたが、もしかしたら脳の神経はどこかまだ目覚めていて、潜在意識の中でその顛末を記憶しており、それが夢に現れたのかもしれない──そんなふうに思う。
「神父を殺したのは、やっぱりアーシアンだった。その上、そいつが『ヴァルセルの司令で殺した』と、そう言ったんだ」
「そんな──まさか!」
 ルーカスははっきり否定した。
「セヴァイツァー神父は、ヴァルセルさんやネクタス先生の恩師だと聞いています。そんな人物のことを殺すなんて、命じると思いますか? ましてや、神父に息子であるあなたを預けているわけでしょう? 息子の命を脅かすような危険なことを、命令するとでも思いますか?」
「さぁな。それはどうか分からないが──」
 そう言ってから、スレイドは手を組んで顎を載せた。
「ひとつだけ分かるのは、その三人の中に『セイン』ってヤツがいるっていうことだ。そいつを探したら、何か分かるかもしれない」
「その人は、レジスタンスなのですか?」
「いや、どうもレジスタンスとは別のようだ。俺にも詳しいことは分からないが──」
 そう言ってから、スレイドは腰を上げる。
「馬鹿馬鹿しい。こんなのは『ただの夢』さ。それよりも、そろそろここを出ないと、ガルシアに着く前に日が暮れるぞ」
 スレイドに言われ、ルーカスも同意して腰を上げた。だが、脳裏にはスレイドの言葉が過ぎって離れない。

 ──セイン。
 ネクタスからも聞いたことがない名前だった。
 もしもヴァルセルの司令を忠実に守る程の仲間であるなら、絶対にネクタスだって知っていたはず。でも、その名を一度も聞いたことがないということは──或いは……。

「何をしてる。早く行くぞ」

 ルーカスの思考を、スレイドの声が遮った。スレイドはトランクを手に、森の先に進もうと歩み始めている。
「あ、すみません!」
 ルーカスは慌てて、スレイドの隣に走り寄った。

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