第三章 ヒューマノイドタウン
赤い砂の街の昼間は、途方もなく暑い。照りつける太陽は、この街すべてを焼き尽くそうとしているかのようだ。容赦ない太陽光を避ける為に、この街を歩く人達はフード付きのマントを身に纏う。ルーカスとスレイドも深々とフードをかぶり、街中を歩いた。
ルシカから命じられた「社会見学」だが、とてもではないがそんな悠長なことを言っていられる環境ではなかった。僅かにでも気を抜けば、燦々と降り注ぐ太陽の元で気を失いそうである。なかば罰ゲームか拷問のような状況下で、ルーカスは溜息をつき額の汗を拭った。その溜息に気が付いたスレイドが毒づく。
「──お前が溜息をつくな。嫌々付き合わされている俺のモティベーションが下がる」
顔さえ合わせることなく呟いたスレイドに、ルーカスも「そうでした、すみません……」と謝ってしまった。思えばルーカスが謝る理由など、ひとつもなかったのだが。
ルーカスは周囲を見回してみた。真っ赤な砂の大地に建つ木造の建物は、寂れた雰囲気をことさらに演出している。人っ子一人いない街中を、二人はひたすら歩き続けた。
「誰もいませんね……」
「こんなクソ暑い中を歩いている酔狂なヤツなんて、俺達ぐらいなものさ」
「この街の人は、みんな夜間動くのですか?」
「ああ。夜間は比較的、過ごしやすいからな」
そう言うと、スレイドは足を止めた。目の前には、他の建物よりも一回り大きい灰色の建造物がある。石造りのようなその建物は、扉が半分壊れた状態でそこに立ちはだかっていた。
「今からここに入るが、絶対にフードを外すな」
「どうしてですか?」
「お前がアーシアンだとばれた途端、ヤツはお前を捕らえようとするからだ」
「ヤツ?」
「俺の仕事を斡旋してくれているヤツだ。悪い人物ではないが、金に困っているのはお互い様さ。お前のようなアーシアンは、どの街に行っても高く売れる」
エデンでは聞いたことのないような言葉の羅列にルーカスは息を呑んだが、スレイドの言葉を受け入れて小さく頷いた。スレイドはルーカスの承諾を確認すると、そのまま建物に入っていった。
中に入ると、薄暗い通路が続いていた。何だか変な匂いがする──ルーカスは思った。
「相変わらず黴(かび)臭いな……」
スレイドがぼそりと言った。
「かび……?」
「古い建物によくある匂いさ」
初めて聞いた──と、ルーカスは思った。エデンの建物はどれも僅かに花や植物のような香りがするものばかりで、臭気で嫌悪を感じたことなど一度もなかった。この建物に感じるような匂いを、ルーカスは初めて嗅いだ。
思えば、ヒューマノイドタウンは様々な匂いがする、そう思った。何かが腐ったような異臭や、太陽が焦がすような匂い、反対にルシカが料理する時の香しい匂いもあれば、ルシカがつけている香水の匂いもする。ヒューマノイドタウンの方が、良いも悪いも様々な匂いがある──ルーカスはぼんやりとそんなふうに思った。そのことに気づけたのは、ルシカが提案してくれた「社会見学」の成果かもしれない。
ルーカスが様々に思いを廻らせている間、スレイドは構わずに奥に進んでいった。通路の先に扉がある。スレイドは扉のノブを手にして、徐に押し出した。
すると、部屋の奥には顔に傷のある男が座っていた。肌の色は黒く、体中には筋肉がついている。こんなに筋肉がついた人間を、ルーカスは今まで見たことがなかった。映像でしか見たことのないヒューマノイドが今まさに目の前にいることを思うと、何だか夢のような気分だ。男は机に脚を投げ出して座り、口にはパイプを咥えている。パイプを口から外して煙を吐くと、白い歯をむき出して笑った。
「よぉ、スレイド。久しぶりだな」
姿勢を変えず、男が言った。
だが、スレイドの背後にいるルーカスに目を向けると、脚を机から下ろして姿勢をむき直した。
「ほぉ! これはこれは──ずいぶんと可愛い子ちゃん連れてるじゃねぇか。よくあの嫉妬深いルシカが発狂しなかったな」
どうやら、ルーカスを少女だと思ったようだ。男は野卑た笑いを浮かべ、机から身体を乗り出す。
「よぉ、可愛い子ちゃん。ここじゃフードなんて邪魔なだけだぜ。その愛らしい顔を、俺にも拝ませてくれよ」
フードを外すと捕らわれる──ルーカスはその言葉を思い出し、さらにフードを深く被った。
「恥ずかしがることねぇだろ。怖いことなんかねぇからさ」
「よせ。こいつは、人一倍臆病なんだ」
スレイドが助け船を出した。それを幸いにして、ルーカスはスレイドの陰に身を隠した。これなら、顔はまったく見えまい。
「それより、仕事を探している。何かないか?」
スレイドの問いに、男は顔を顰めて溜息を吐く。
「ないわけじゃねぇが……少し面倒だぜ」
「『殺し』か?」
スレイドの口から出た言葉に、ルーカスは驚いて目を見開いた。そっと、スレイドの脇から顔を覗かせる。見上げるスレイドの顔は凛々しいままで、殺しという言葉に対して何の躊躇いも感じられなかった。何一つ動揺せず、「殺し」という言葉を口に出来るなんて……。近くにいるはずのスレイドが、とても遠くにいるような感じがした。
「ああ。相手は、明日この街に来る卸問屋だ。ルシカも世話になってる──」
途中まで言いかけた言葉を最後まで聞くことなく、スレイドにはすぐに標的が分かったようだ。
「ゴルギスか。あいつはいずれ、命を狙われると思っていた。相当あこぎなことをやってると聞いている」
「そうだ。今回の依頼は、ゴルギスのことを恨んでいるヤツらからの依頼だ。報酬は高くはずむらしい。──どうする? 殺(や)るか?」
男の問いにスレイドはしばし考え倦ねているようだったが、やがてかぶりを振った。
「やめておく。ゴルギスはろくでもないヤツだが、あいつが死んだら、ホテルの食料が手に入らなくなる。そうなれば、ルシカが困るからな」
「そう言うと思ったぜ」
「他に案件はないのか」
「今のところはないな。……だが、ちょっとここしばらく、この街に胡散臭いごろつきが集まってきている。仕事としてはないが、いずれお前がそいつらを殺(や)らなくちゃならンだろうな」
その言葉はまるで、この街を守るためにする正義の仕事とばかりに聞こえた。だが、スレイドはすぐにはねのける。
「金が入らない殺しをする気はない」
「けっ! 相変わらず欲の皮が突っ張った野郎だぜ」
そう言って男は笑った。──が、すぐに身を乗り出してルーカスに指を向ける。
「気をつけた方がいいぜ。ごろつきどもは、その可愛い子ちゃんを必ず狙ってくる。ましてや『アーシアン』なら、尚更な!」
ルーカスはびくりと体を震わせた。
アーシアンであることが、ばれている? 一体、どうして──。
ルーカスの動揺が伝わったのか、スレイドは腕を伸ばして背後にいるルーカスを庇った。
「忠告、ありがたく聞いておくよ。仕事が入ったら教えてくれ」
「仕事も何も──その可愛い子ちゃんを俺に売ってくれれば、それだけでお前は働かないで暮らしていけるぜ? こんなオイシい話はねぇよなぁ」
この男は、アーシアンがどれほどの価値を持っているかもよく分かっているようだった。
「最近エデンは、治安維持に躍起になっているらしいぜ。レジスタンスがいっきに増殖しているし、この間もインフェルンで酷い戦闘があったらしいからな。そんな時勢に、こんな辺鄙な街でアーシアンを見るとはな。一体、エデンで何があったのやら──」
「悪いな。これ以上、事情は話せない」
スレイドはすかさずルーカスの腕を掴んだ。男がルーカスに襲いかかることを、警戒しているかのようだった。
「勘違いするな。俺ぁ、お前と揉める気はねぇよ。命が惜しいからな。だが、みんながそういうワケじゃねぇ。用心に越したことはないぞ」
「お前が俺に刺客を差し向けないことを、祈るばかりさ」
「けっ! 相変わらず疑い深いヤツだ。もう少し俺を信用しろよ」
そう言うと、ルーカスに向かって手を振った。
「じゃぁな、可愛いアーシアンのお嬢ちゃん。王子様に守ってもらえよ」
ルーカスがアーシアンであることは見抜いていたが、少年であることまでは見抜けなかったようだ。
部屋を出てすぐ、スレイドはルーカスに耳打ちする。
「ホテルに帰るぞ。このままじゃ、襲われかねない」
「どうしてあの人、私がアーシアンだって分かったのでしょうか?」
「さあな。あいつはただでさえ勘が鋭いから、あいつに限ったことであることを祈ろう」
そう言うと、スレイドはフードを被り足早に通路を歩き出した。
* * *
建物を後にしてしばらく砂漠を歩くと、道の途中に人相の悪い男達が数人たむろしていた。あれが、先程の男が言っていた「ごろつき」という輩だろうか。
「……気をつけろ。俺の陰に隠れているんだ」
スレイドがルーカスに耳打ちした。ルーカスはごくりと唾を呑むと、スレイドの左腕に捕まり、うつむき加減で顔を隠した。左手の指先でフードが飛ばないよう押さえる。そのまま男達の前を通過しようとした──その時。
「おい、見ろよ」
男の一人が仲間に声をかけた。その場にいた男たちは一斉に背後を振り返る。刺すような視線を浴び、ルーカスは戦慄が走った。
「あのフードを被った男。あの真っ赤な髪は、噂の『死の天使』じゃねぇか?」
ルーカスはちらりとスレイドを見上げた。スレイドは無言のまま、前方を見据えている。
「ああ、そうだ。確かに、アズライールとか呼ばれてるヤツだ。──あの野郎、一週間前に俺の仲間を殺しやがった。ほんの一瞬でな」
スレイドとルーカスはそのまま黙ってその場を通過していた。だが、男達は二人を見過ごしてはくれなかった。
「待てよ! そう急ぐンじゃねぇぜ。このあいだは貴様の好きなようにやられたが、今日は仲間も大勢いる。貴様に仕返しが出来る絶好のチャンスだからな」
そう言って、男達がスレイドの背後に集まってきた。スレイドはしばらく瞼を閉じて黙っていたが、覚悟を決めたように目を見開くと徐に向き直った。
「こんな炎天下で体を使うと、心臓に負担がかかるぞ。俺を殺(や)る気なら、夜の方がお薦めだ」
ルーカスがいる場で、危険な状況を起こしたくない──スレイドはそう思っていた。何とかこの場を逃れようという思いが伝わってくる。
「そう言って、夜には逃げ出すつもりなんじゃねぇのか?」
男達が野卑た笑いを浮かべながら、じりじりと周りに集まってきた。
──もう逃げられない。
そう覚悟を決めた時、スレイドはルーカスの耳元で囁いた。
「俺がヤツらを引きつける。お前は隙を見て、そこの建物の陰に隠れろ」
スレイドが目で合図をする先を見た瞬間、ルーカスは激しくかぶりを振った。
「いいえ、駄目です! こんなに大勢の人達、あなた一人で相手に出来るわけがありません!」
「だからと言って、お前が加勢出来るのか?」
冷静な問いかけに、ルーカスは思わず言葉を呑んだ。何も語れず唇を噛みしめるルーカスに、スレイドはこう告げた。
「俺のことは心配するな。合図をしたらそのまま走れ。──いいな?」
ルーカスは黙って頷いた。
それを確認すると、スレイドは再び男達に向き直った。襟首についているマントの紐を外し、そのまま脱ぎ捨てる。激しい風に煽られ、マントは砂の上を滑るように飛ばされていった。
マントから現れた深紅の髪は、ギラギラと輝く太陽に照らされて、まるで鮮血のような採光を放っていた。顔には僅かに笑みを浮かべており、戦いに酔いしれているかのようにも見える。
死の天使。
なるほど。確かに、彼はまるで「戦の神」そのものだ。ルーカスがそう思った、その時。
「ルーカス、行け!」
スレイドが合図した。ルーカスは瞬時に走り出し、指示された建物の陰に飛び込んだ。
それと同時に、男達が一斉にスレイドに襲いかかる。だが、それらを全て一瞬で見極めてスレイドは交わした。
その場にいる男達は7人。そしてここにいる誰もが、ヒューマノイドの中では手練れとされる殺し屋や強盗だ。そんな存在の攻撃を、スレイドはいとも容易く交わしているのだ。相手はナイフや短刀を持っているが、スレイドは全くの丸腰だ。それなのに、彼らの攻撃をひとつも受けずに交わすことが出来ている。
まるで、奇跡を見ているかのようだった。その動きの速さときたら、到底ヒューマノイドが敵うはずのものではない。彼はまるで風のように男達の攻撃をかわしながら、自分の拳を男に打ち付ける。それが当たると、まるで紙片のように男達の体が宙を舞った。その光景を、固唾を呑んでルーカスは見守っていた。スレイドの動きは、それこそ神業だった。アンゲロイの動きに匹敵する──否、それ以上の速さかもしれない。
ルーカスは確信した。
──彼はやはり「アーシアン」だ!
このような俊敏な動き、アーシアンの──しかもかなり遺伝子に恵まれた人物でなければ、醸し出すことは出来ない。そう言えば、以前聞いたことがある。「英雄ルーカスの生涯」を読んだ際、死の天使アズライールのことをティナが話していた。
「アズライールは、エデンを創設した際の元老院の一人よ。アーシアンの祖の一人ともされているの。彼の能力は『並外れた運動神経』にあったらしいわ。逸話によると、彼は叛乱を企てたヒューマノイドの街を、一瞬にして滅ぼしたそうよ。だから別名、アズライールは『死の天使』って呼ばれているらしいわ」
死の天使。
確か、ヴァルセルはアズライールを祖に持つという。
ならば、奇しくも同じアズライールの通り名を持つスレイドも……。
スレイドはやはり、ヴァルセルの息子だ。そうに違いない。
そんなふうに考えている間に、スレイドは7人の男達を全て倒していた。最後の一人が息絶えた時、スレイドは踵を返してルーカスに向き直った。顔は、男達からの返り血を浴びていた。
スレイドは無言でルーカスに近づくと、こう言った。
「──大丈夫か?」
その時、ルーカスはスレイドが心底自分を案じてくれていることに気がついた。冷淡で素っ気ないスレイドだが、その本質に思い遣りと優しさを持っているという事実を悟ったのだ。
「わ、私は大丈夫です。それより、あなたは──」
「俺のことは心配するなと言っただろ」
そう言うスレイドの目は、到底15歳の少年のものではない。多くの修羅場をくぐり抜け、達観しつくした男の目だった。ルーカスは黙ってその目を見つめていたが、ポケットからハンカチを取り出すと、スレイドの頬についた返り血を拭った。
「このようなことを、何度も繰り返しているのですか?」
このようなこと──。すなわち、「命に危険が及ぶようなこと」である。
スレイドは僅かに苦笑を浮かべた。
「ここは『そういう街』さ」
それだけ言うと、背を向けて歩き出した。
* * *
日が沈むと、途端に街は凍てつくような寒さに見舞われる。40度の温度差がある住みにくい環境にも、人々は堪え忍んで暮らしているのだ。
ルーカスは、僅かに白んだ窓から外を見上げていた。窓の向こうには満天の星が輝き、昇ったばかりの歪んだ月が赤く不気味に輝いていた。ルーカスが物思いに耽っている時、扉をノックする音が聞こえた。
「──入るぞ」
スレイドだ。扉を開けて、部屋の中に足を踏み入れる。
「明かりをつけないのか」
「この方が、星がよく見えるので」
そう言ったまま、ルーカスは窓の外の星を見上げていた。スレイドは黙ってルーカスの背後につくと、同じように星を見上げる。
「神父がよく言っていた。エデンを築いたアーシアンは、実際にはこの星にいた地球人ではなく、他の惑星から来た存在だった──と」
「他の惑星?」
スレイドは星を見上げたまま、苦笑を浮かべた。
「さすがに俺も、そんな話は信じなかった。だから、何度も言ったさ。『そんなのは、おとぎ話だ』ってね。だけど、神父はそう信じて疑わなかった。いや、確信しているかのようだった」
「どうして神父は、アーシアンが異星人だと確信出来たのでしょうか?」
「分からない。だが、だからこそ神父はいつも『地球は、地球人に返すべきだ』とそう言って、アーシアンのヒューマノイドに対する支配に反対していた。それでヒューマノイドタウンに降りたと聞いている」
「今も、神父はご存命なのですか?」
「いや、もう死んだ。アーシアンに殺されたんだ」
「アーシアンに?」
「ああ。だが、今となっては本当にアーシアンなのかも分からない。神父が『何故、エデンに帰らなかったのか』と聞いていたから、アーシアンだと思っただけさ」
エデンに帰らなかった?
エデンを住み処としているのは、アーシアン以外に存在しない。だとしたら、神父は確かにアーシアンに殺されたのだろう。だが、神父を殺した存在はエデンを捨てた人間なのか。それともエデンからの差し金で神父を狙ったのか、その辺りははっきりしない。
「神父は、何て言う名前の方なのですか?」
「セヴァイツァー。かつてはアカデミーで、宇宙史と地球古代史を教えていたらしい」
「宇宙史と地球古代史? 面白い経歴ですね。アカデミーでその二つを専攻する学生はなかなかいません。その上、何故『神父』と呼ばれているのですか? ヒューマノイドには様々な民間信仰があるようですが、エデンで宗教は禁じられていました」
「俺も詳しいことは知らないが、神父はヒューマノイドタウンに降りてから『キリストの教会』を開いたんだ」
「キリスト……教」
ルーカスはその名に覚えがあった。
それは、アカデミーで教わった記憶ではない。オリジナルであるシリアが、サルジェの記憶に情報としてインプットしていたのだ。カタストロフィーが起こる前、今のヒューマノイドの先祖達はそれぞれ「宗教」というものを信仰していて、その中でも歴史的に語り継がれていたのがキリスト教、仏教、そしてイスラム教だった──と。
思えば、天使などの象徴はキリスト教でよく使われていた。否定はしているものの、エデンはキリスト教の思想を踏襲しているのかもしれない。
「では、あなたもキリスト教の教義に詳しいのですか?」
そう尋ねると、スレイドは苦笑した。
「俺が熱心に聖書を読むようなタイプに見えるか? 神とやらに従順になるタイプだとでも思うのか?」
「いえ。──すみません、愚問でした」
ルーカスの返答にスレイドは自嘲するように笑うと、窓に背を向けて歩き出した。部屋の中央にあるベッドに腰を下ろす。
「だが、神父が日々言っていた言葉は脳裏に残っているし、無意識に神父の教えてくれたことを守ろうとしている自分がいるのも事実だ。宗教なんてもんは理屈ではなく、慣習なのかもしれない」
そう言うと、スレイドはしばらく沈黙した。窓の外を、ただじっと見つめている。
そんなスレイドの顔を、ルーカスも黙って見つめ返した。窓から射し込む月明かりが、スレイドの端麗な顔立ちを照らしていた。その顔には、僅かに憂いが感じられる。それは、ルーカスがまだ知らないスレイドの生い立ちに原因があるのかもしれない。
ふと、スレイドが沈黙を破った。
「……何があった?」
突然の言葉に、ルーカスはスレイドの目を見た。明かりのない暗い部屋の中で、スレイドの鋭い眼光がルーカスを見つめ返している。
「お前の身に、一体何があった。何故お前は俺を捜していて、一体誰にお前は撃たれたんだ」
「私を撃ったのは、私の友人でした」
ルーカスはベッドに歩み寄ると、スレイドの隣に腰を下ろした。
「私は、エデンで創られた『クリティカン』です。私を撃ったのも、同じくクリティカンでした」
「どうして、友人がお前を撃ったりしたんだ」
「彼が……『生きたかった』から」
ルーカスの言葉に、スレイドは眉間を寄せた。沈痛そうな表情を浮かべ、ルーカスの言葉に耳を傾ける。
「クリティカンは、エデンにおいて人権を認められていません。私も、私のクローンが誕生することが決まったことで、抹殺されるところだったのです」
「抹殺?」
「はい。それに抗って、ここまで逃亡して来ました」
「お前を撃ったヤツは、お前を抹殺しようとした──ということか?」
「正確に言えば、彼の目的は『私を捕らえること』でした。彼は私を捕らえて元老院に差し出すことで、エデンの追放を取り消してもらいたかったのです。……でも、そんな願いは到底叶えられるわけがありません。クリティカンは、エデンにおける『ただの所有物』でしかないのですから」
所有物。
ヒューマノイドタウンに生きるスレイドにとって、ルーカスの語る言葉は衝撃的なものでもあった。そして同時に、ルーカスが訪れる前に現れたアーシアンの男性のことを思い出す。
──彼を助けてやってくれ!
必死に懇願する姿が、今でもはっきりと目に浮かぶ。
「お前がここに来る三日ほど前」
スレイドの言葉に、ルーカスが顔をあげた。
「ひとりのアーシアンがここに来たんだ。その男は、俺の姿を見た時に同じように髪のことを聞いた。そして、神父のことも知っていた。その上──」
そう言って、ルーカスの目を見つめ返す。
「その上、お前がここに来ることを予告していた。俺にお前を助けて欲しいと、そう懇願していたんだ」
「まさか……」
ルーカスの目が見開かれる。
「まさか──それは、ネクタス先生では!」
「名前までは分からない。だが、お前を守ろうとしている必死さは伝わってきた」
ルーカスがここに来る三日前。時期としても、ネクタスがエデンに戻る頃と一致する。
ネクタスは赴任先から戻る途中でここに立ち寄り、スレイドに会っていたのだろう。ネクタスとヴァルセルが紡ごうとしている希望の道。それを思うと、ルーカスの心は張り裂けそうだった。
「先生──先生は私にすべての真実を告げ、そして、私を逃してくれたのです。我が身と、愛する人を犠牲にしてまで……」
「愛する人?」
「先生のお嬢さんです。レスティナ──私にとっては妹のような存在であり、かつ、『初恋の相手』でもありました……」
俯いて語るルーカスの言葉を、スレイドはただ黙って聞いていた。
「先生は──いえ、先生だけでなく、私のオリジナルであり母親代わりだった研究員の人も、そして、あなたのお父様であるヴァルセルさんも、私に『エデンの未来』を──いえ、ヒューマノイドと共に切り開く『地球の未来』を託したのです。だからといって、何をすればいいのか──正直、よく分からないのですけど」
そう言って、ルーカスは苦笑した。
スレイドは黙ってルーカスを見つめたままだったが、静かに問うた。
「あの男──ネクタスは、自分の娘を犠牲にしてまで、お前の為に命をはったのか。その信念は見上げたものだが、その娘にとってはいい迷惑だな。父親の思いだけに振り回されて」
もしも──。
もしも、スレイドがヴァルセルの息子であったなら、彼も同じように「父親の思いに振り回されていること」になる。そんな思いがネクタスの娘であるティナに、同情するものを感じたようだ。
「はい。だから、一刻も早く彼女を助けたいのです。ネクタス先生と共に──」
スレイドはしばらく宙を見つめ何か考え込んでいるようだったが、やがて立ち上がると窓の前に立った。窓に映し出されるスレイドの影は、まっすぐ星空を見据えているかのようだった。
「俺は、物心もつかない赤ん坊の時から神父のもとに預けられ、神父と共に、ヒューマノイドタウンを旅してきた。ヒューマノイドタウンは荒んでいる街が多く、この街程ではないが、殺人、強奪、窃盗が日常茶飯事だった。まだ10歳にもなっていない俺や80代の高齢な神父からさえも、そいつらは平気でものを奪っていった。何度、命の危険に脅かされたかもわからない」
いつもは無口なスレイドが、珍しく自分の生い立ちを話してくれた。ルーカスは真剣に耳を傾けた。
「俺は、何度思ったかわからない。500年前に起きた未曾有の天変地異で地球の人類が滅亡したというのなら、何故、神は完璧に人類を滅ぼさなかったのか、と。こいつらに生きている値打ちなんかない。自分たちの欲望さえ満たされれば、誰がどんな苦しみを背負っていようと関係ない──そんな奴らばかりだ」
「でも、そんな人たちだけではありません」
そう言って、ルーカスは立ち上がった。
「アーシアンのごく一部の人たちは、今、レジスタンスとして地球のために──そして、自由を制限されたヒューマノイドの人達の為に戦っているんです! あなたのお父様も、ネクタス先生も、そして、私のお母さんも──」
「俺が言いたいのは、『ヒューマノイドなんかに、守られる価値があるのか』っていうことだ!」
スレイドは声を荒げ、ルーカスと向き直った。その表情は、深い憤りから震えている。
「俺は、アーシアンって生き物を信用できない。だけど、同じぐらいヒューマノイドも信じていないんだ! お前も今日見ただろう、あのごろつきどもを。あいつらに、生きる権利なんか与えていいのか?」
「生きる権利を与えるのは私達ではありません! 宇宙の摂理や、生命の真理が決めることです!」
ルーカスの言葉に、スレイドは言葉を呑んだ。
「スレイド。セヴァイツァー神父は、キリスト教を信仰していたのですよね? 彼はこう言っていませんでしたか? 『隣人を愛し、敵を愛せ』と」
「ああ、確かにそう言っていた。だが、俺はリアリストだ! 俺は、真理だの教義だのよりも『俺が見て体験した真実』を尊重する。そんな俺からすれば、ヒューマノイドもアーシアンも、みんな救われる価値のないクズばかりだ!」
「では、あなたは『救われる価値のある人と、そうでない人がいるのは当然だ』と、そう言いたいのですか?」
ルーカスの問いに、スレイドは頷いた。
「ああ、そうだ。むしろ、そうでなければ不公平だ!」
ルーカスは、スレイドの言葉にも一理あるように思えた。考え込みながら歩き出し、窓の前に立つ。
「世界には多くの人がいて、多くの考えがあって、多くの葛藤があって──そして、多くの悩みもある。もしかしたら、ほんのわずかな真理だけで対応できるものではないのかもしれませんね」
そういうと、窓に指先を伸ばした。ルーカスが触れた指先の向こうで、偶然流れ星がひとつ流れた。満天の星を見つめながら、ルーカスは静かに告げた。
「ヴァルセルさんも、ネクタス先生も……そして、私のお母さんであるシリアも、『たったひとつの真理』のみを信じて、そのために命を捧げたり、人生を捧げてきたのでしょう。でも、本来、地球上にある人達における信条や生き方はさまざまで、ひとつの真理だけでは治まらない状態なのかもしれない」
そう言ってから、ルーカスはスレイドを振り返る。
スレイドは無言のまま、ルーカスを見つめ返していた。
「私はここを出て、レジスタンスの人達を探そうと思います。レジスタンスに参加すること──それが私の本当の道であるかどうかは、まだ分かりません。もしかしたら、もっと違う道だってあるかもしれない」
そう言ってルーカスは一歩踏み出した。
「でも私は、今は何よりも、ネクタス先生やティナを助け出したいのです! そこから先どうするかは、その後で考えるつもりです」
「お前がレジスタンスになるかどうかは別としても──」
スレイドも一歩踏み出した。ルーカスに近づき、力強い目で彼を見下ろす。
「ネクタスや、彼の娘を助けるのに協力してやってもいい」
その言葉に、ルーカスの目が見開かれた。
「本当ですか!」
「ああ。だが、誤解するな。俺はレジスタンスに興味はないし、ましてや、ヴァルセルってヤツが俺の父親かどうかなんてことにも興味がない。俺が協力するのは、俺に直接『お前を助けて欲しい』と懇願したネクタスと、その娘の救出だけだ」
「ええ! ええ、それだけでも充分です。ありがとうございます!」
ルーカスは笑顔で頭を下げた。スレイドからすれば、ルーカスは何でも大袈裟な程リアクションするきらいがあるように思えていた。だが、こうした場面で満面の笑みを浮かべて御礼を述べてくれるルーカスの性質が、決して嫌いではなかった。否、むしろ、その純真さに憧れさえも抱く程だ。
正反対な性質だが、何故か惹かれ合う存在──そんな位置に、ルーカスとスレイドは立っていた。