第二章 三年前
 静まりかえる夜明け前の部屋。どこかで物音がしたように思えて、スレイドは目を覚ました。窓を見ると、外はほのかに白んでいる。あと30分ほどで夜が明ける時間だ。夜が明けてしまう前にいつも通り水を汲まなければならない。スレイドはまだ微睡(まどろ)んでいたい欲求を抑えつつ、気怠い体を無理矢理起こした。
 隣では、ルシカがブランケットにくるまっていた。ブランケットの下は何も身に纏っておらず、豊かな乳房を覗かせている。スレイドは腕を伸ばし、ブランケットをルシカの肩まで引き上げた。立ち上がり、椅子にかけてあった服をとる。シャツの袖に腕を通しながら部屋を出て階段を下りようとした時、ふとルーカスのことが気になった。
 昨晩は物音さえなく静かだったが、傷は痛まなかったのだろうか。熱発はしていないだろうか。慣れないヒューマノイドタウンの街で、気に病み眠れない夜を過ごしたのではないだろうか──そんな諸々の懸念が脳裏を過る。スレイドはしばらく扉を眺めたまま思いあぐねていたが、踵を返して部屋の前まで行った。ノブを握り、少しだけ扉を開ける。
 すると、隙間から覗いたベッドの上はすでにもぬけの殻だった。スレイドは瞬時に部屋に飛び込んでベッドに手を置く。シーツは冷たく、だいぶ前にルーカスはここを出たことが分かった。
 一体、どこに行ったというのか?

 スレイドは階段を駆け下りると、外に飛び出した。辺りはまだ暗く、ひんやりとした砂漠の風が頬にあたる。
 ──あのバカ! まだ安静にしていなければならないというのに!
 全く、世話の焼けるガキだ──そう思いながら道を進んだ、ちょうどその時。
 目の前に、白銀の月に照らされた金髪が見えた。ルーカスだ。まっすぐ地平線を見つめ、その場に立ちすくんでいる。
「──おい」
 スレイドが声をかけるも、反応はなかった。

「おい、ルーカス!」

 漸く気が付いたのか、大きな瞳を瞬きさせながらルーカスは背後を見た。スレイドと視線が合うと、ニッコリ笑って向き直る。
「あ、おはようございます! 見てください、見事な朝焼けですよね」
 そう言って、ルーカスは空を指さした。紺碧のヴェールが朱く染まり、太陽の昇る付近の地平線が徐々に朱色の閃光を放っている。
「すごいですね。こんなに綺麗な朝焼け、初めて見ました! エデンでも美しい朝焼けは見られましたが、それはあくまでも人工的なフィールドの為せる業だったので、ここで見る本物の朝焼けとは比べ物になりません!」
 何とも呑気な返事である。こちとらは何事が起きたかと、身を案じたというのに。スレイドは何だか面白くない気分にさせられた。そのため、わざと冷たくあしらった。
「──フン。こんなの、ここじゃしょっちゅうだ」
 素っ気ない返事だが、ルーカスは全くスレイドの心中を察していない。感動で胸がいっぱいすぎて、スレイドとの温度差に気づけていないようだった。目を輝かせながら振り返る。
「本当ですか! こんなに綺麗な朝焼けが見られるなんて、この街の人は幸せですね!」
 幸せ。
 何だろう、その言葉を素直に受け入れられない自分がいる──スレイドはそう感じた。
 ルーカスが悪気なく言っているのも分かる。彼は本心でそう思ったから、素直にそれを言っただけなのだろう。だが、この街の惨状を知っているスレイドにとって、ルーカスの言葉はどこか釈然としないものを感じさせた。
「……で? お前は『わざわざ』朝焼けを見るために、こんな時間に外に出たのか?」
 どことなく嫌味を含んで言う。
「いえ、何となく目が覚めちゃって……。それで外に出てみたら、あまりに星空が綺麗だったので、ちょっとその辺をフラフラしていたのです」
 悪びれないルーカスの言葉だったが、スレイドは手を腰にあてるとかぶりを振った。
「──まったく。お前はどこまで脳天気なヤツなんだ。こんな時間に街を歩いて、何事もなかったのが奇跡な程なんだぞ!」
「そうなんですか? だって、この時間はまだみんな寝ている時間だか──」
「バカ野郎!」
 ルーカスが言い終わる前に、スレイドの怒声が辺りに響いた。あまりの大声にびっくりしたルーカスは、耳を塞いで体を縮ませる。
「そういう時間だからこそ、強盗共が彷徨いてるンじゃないか! お前みたいなアーシアンのクソガキは、奴らにしてみたらいい鴨なんだぞ! そのぐらいの自覚があるのか!」
「で、でも……私、お金を持ってないので誘拐する価値がないかと……」
 果てしなく「のらりくらり」としたヤツだ──スレイドの怒りは頂点に達しようとしていた。
「そんなことあいつらには関係ない! お前のようなガキを好むヒューマノイドの金持ちなんざ、いくらでもいるんだ。お前が金を持っていようといまいと、金のあるヒューマノイドや少年好きの元アーシアンに売りつければいいだけのことさ」
 子供といえども、容姿が良ければいくらでも売り物にされてしまう──ヒューマノイドタウンにおける闇を語ったつもりだったが、ルーカスはきょとんと首を傾げるだけだ。
「どうして、私を売るんですか?」
 まるで意味を理解していないようだった。
「金持ちのヤツらの『慰み者』にするためさ」
「『慰み者』って、何ですか?」
 あまりに分かってないルーカスを相手にしながら、頭を掻きむしりたくなる衝動を必死に抑えた。と、その時。
「おはよう! ルーカス、元気そうで良かったわ」
 背後からルシカの声がした。
「ルシカさん、おはようございます!」
「スレイド。今から水を汲みに行くんでしょ? この子も連れていってあげたら?」
 ルシカの提案に、スレイドは顰(しか)めっ面だ。
「連れて行っても、何の足しにもならない。この傷じゃ、桶も持てないだろうからな」
「手伝わせる為に連れて行くンじゃないわ。ここでの暮らしを教えてあげるためよ。いわば社会勉強ね」
 そう言ってルシカはウィンクをする。ルーカスは瞳を輝かせて頷いた。
「はいっ! 私、ここでの暮らしを学びたいです。──お願いです、スレイド。連れて行ってください」
 すがるように自分を見つめるルーカスを見て、スレイドは溜息を吐いた。
 ──妙な奴だな。言動にかなりむかつく要素はあるが、それさえも、こいつの笑顔で吹き飛ばされてしまう。まるで、無邪気な赤ん坊を見ているようだ──スレイドはそんなふうにも思った。

 水汲み場は、ホテルから歩いて10分程の場所にあった。スレイドが無言のまま淡々と水を汲む姿を、ルーカスは黙って見つめていた。
「毎日、これをするのですか?」
 ルーカスの問いに、スレイドは頷いた。
「こんな砂漠の街じゃ、水は食料以上に大切だからな。この作業は欠かせない。命綱のようなものさ」
「そうですね。確かにこの街はとても寂れているようですが、アーシアンであるあなたが、何故、このような街にいるのですか?」
 その言葉に、スレイドはむっとした表情で顔をあげた。
「前にも同じことを言われた。だが、俺は『アーシアンじゃない』。人違いだ」
「私も最初はそう思いました。アーシアンは絶対に、金髪以外にはならないと聞いていたし。でも、あなたの顔が私の知っている人に、そっくりだったので──」
 ルーカスの脳裏には、ヴァルセルの姿が過ぎっていた。古びた革表紙の本「英雄ルーカスの生涯」に挟んであったヴァルセルの写真と今目の前に立つスレイドは、髪の色が違うだけで同じ顔をしていると言っていいぐらいだ。だが、スレイドは不機嫌な様子で顔を背けると、水を汲み続ける。
「同じ話を前にも聞いた。だが、そのことについて俺はこれ以上話す気にならない。貴様もそれ以上俺にしつこく聞く気なら、すぐにここから出て行ってもらうぞ」
 吐き捨てるように言うと、桶を持ってその場から立ち去ろうとした。ルーカスは黙って、スレイドの後ろ姿を見ていた。

 ──本当に彼が先生の言っていたスレイドなのかな? 確かにヴァルセルさんにはそっくりだけど、髪の色が違うし、それに、あまりアーシアンのような雰囲気がない。

 でも、ヒューマノイドともどこか違う──そうも思えた。不思議なカリスマ性が、彼にはある。その場にいるだけで周囲を威圧するような、そんな雰囲気が。
 ルーカスはしばらく考え倦ねていたが、黙ってスレイドの後ろについて行った。

* * *

 ルシカはホテルを経営しているだけあって、料理が抜群に上手だった。ネクタスの元にいた時アンドロイドの作る料理を食べていたが、計算しつくされた料理という感じで、ルシカの味付けのような心は籠もっていなかった。
「ルシカさんの料理が本当に美味しいので、私、体重が増えてしまいそうです!」
 ルーカスは厨房のテーブルに頬杖をついて座りながら言った。
 ルーカスが話している間、スレイドはソファーで横になっていた。起きているのか寝ているのか、さっきからずっと目を閉じたままだ。
 ルシカはコンロに向かい、鍋のスープをかき混ぜながらルーカスの言葉を聞いていた。厨房に香ばしい匂いが充満している。それだけで充分に食欲がかき立てられる程だ。
「ありがとう、お世辞でも嬉しいわ。だけど、私がこんなふうにホテル経営するようになったのはつい3年程前からなのよ。当時のオーナーに料理を教わって、さんざん指を包丁で傷つけながらも、何とかここまで成長したの」
「前のお仕事って、何をしていたのですか?」
「『盗賊』だ」
 スレイドが間髪入れずに即答した。──どうやら起きていたらしい。
 ルーカスがぎょっと目を見開いている間、ルシカは「もぉっ! それ言わないでって言ったでしょ!」と声をあげた。ルーカスはルシカの過去に、すっかり戸惑ってしまった。
「と、と、盗賊って……盗む、ってことですか?」
「当たり前だ。ヒューマノイドで女として生まれた以上は、生きるために売春するか、或いはレドラに降りたアーシアンの妾になるぐらいしか生き残る道はない。だがルシカは、どちらの道も選ばなかった。自分ひとりの力で、生きていくことを選んだのさ」
「そ! 私は誰かに依存するような生き方はしたくなかったの。おかげで今は、ヒモがひとりいるけどね」
 そう言ってスレイドをちらりと見る。スレイドは小さく「……フン」と鼻を鳴らした。
「ま! スレイドはこの街で一番の腕っ節(うでっぷし)だから、ボディガードとしては充分働いてくれているから重宝しているわ」
「二人は、どうやって知り合ったのですか?」

 その問いに、ルシカもスレイドもしばらく反応しなかった。鍋が具をグツグツと煮込む音だけが辺りに響く。沈黙がしばらく続いた後、ルシカが話し始めた。
「今から、3年前の冬のことよ」
 ルシカの話に、ルーカスは耳を傾けた。
「違う街でさんざん『悪さ』をやらかした後、私はこのホテルのオーナーを頼ってこの街に来たの。オーナーとは他の街で知り合っていて、すごく信頼出来る間柄だったのよ。私の身も心もボロボロだったけど……それ以上にボロボロに傷ついて、ホテルの前にうずくまっている少年がいたの」
 そう言うと、視線をスレイドに向けた。スレイドは黙って目を閉じたままである。
「彼の傷つき様は私より遙かに酷く、生きる気力を微塵にも持っていなかった。私は彼のことが気になって仕方なくて、オーナーに聞いたのよ。そうしたらオーナーが『もう3日もああしている。儂(わし)も何度もホテルに入るよう言ったのだが、まったく聞き入れないんだ』と、そう話したの」

 ルーカスはその場面が目の前で展開されているかのように感じた。薄暗いカウンター席でオーナーに問うルシカ。そして、ホテルの外でマントに身を包んで寒さを凌ぎ、膝を抱えていた当時のスレイド。
「こんな砂漠の街だけど、冬は異常に寒くてね。3日も彼が外にいるなんていうのが、信じられない程だった。だけど、このままじゃ彼が死んじゃう、そう思って──私、自分が飲んでいたスープを手に外に飛び出したの」
 ホテルの外では寒い風が吹き荒れ、ルシカは思わず身震いした。少年は抱えた膝に顔を埋め、寒さを耐え忍んでいる。ルシカは彼の前に跪(ひざまず)くと、目の前にすっとスープを差し出した。
「これ飲んで。暖まるわよ」
 少年はゆっくり顔をあげた。前髪の中に隠れた鋭い瞳が、ルシカの顔を見上げる。その目は、明らかにルシカを警戒していた。
「大丈夫。毒なんて、入っていないわ」
 ルシカの琥珀(こはく)色の瞳に、嘘は微塵もなかった。ルシカの人柄を見抜いたのか、誰にも心を許さなかった少年の手が恐る恐るマントの中から姿を現した。両手でスープの器を支える。
「さぁ、飲んで」
 器を持つ少年の手を包み込むように、ルシカが手を重ねた。少年の手は小刻みに震えていたが、それは寒さからなのか、人という存在に絶望した警戒心からなのか、ルシカには判断出来なかった。最初の一口は警戒心を解かなかった少年だが、スープが口に入りその暖かさとルシカの優しさを飲み込んでいくうちに、だんだんと冷え切った心が解かされていくようだった。

「スープを飲み終えた後に、ホテルに来るようもう一度誘ったのよ。そうしたら、彼はようやく腰をあげてくれたわ。そして今に至る、ってわけ」

 ルシカが語っている間、スレイドはずっと目を閉じたままだった。ルシカはくるりと振り向きスレイドを見ると、笑って言った。
「あの時はスレイドもルーカスぐらいにちっちゃくて、可愛かったんだけどね。今じゃぁこの有様! 不貞不貞(ふてぶて)しさは、ヒューマノイドの大人にも勝るわよ!」
 ルシカの言葉に「お前はいつでも一言多い!」とスレイドが苦言を呈した。まだ起きていたようだ。
 その時、ハタとルーカスは疑問に思った。
「そう言えば──スレイドさんって、何歳なんですか?」
 確か、オリジナルであるシリアは「双子の魂」って言っていたような……。でも、それは肉体の双子という意味ではないのかもしれない──そんな風にルーカスが自分を言い聞かせている間。スレイドが目を閉じたまま、表情も変えずに答えた。
「15だ」
「えっ?」
 ルーカスは耳を疑った。
 しばらく呆然としていたが、やがて力強くかぶりを振った。
「いいえ! そんなわけはありません。だって私も、15歳ですもの」
 あっけらかんと答える。ルーカスは頑ななまでに「自分は間違っていない」と思っているらしい。
 スレイドはむすっとしたまま体を起こし、ルーカスと向き合うよう座り直した。
「だから、さっきから言っているだろう! 『俺も15歳』だ!」
「…………」

 ルーカス、完全沈黙。

 目が点になっているルーカスの視野に入るよう回り込み、ルシカが言った。
「そうなのよ、ルーカス。彼、15歳なの」
「う、嘘でしょ!」
 ようやく反応した。
「私、ずっとルシカさんと同い年ぐらいなのかと……!」
 ルーカスの動揺に、ルシカはコロコロと笑う。
「だから言ったでしょ、彼の不貞不貞(ふてぶて)しさは『大人より勝る』って。私と同い年ってことは、8歳も年上に見られたってことね。──ま、自立して仕事してるわけじゃないけど」
 スレイドはまるで、そんなこと分かっていたとでも言いたげに視線を逸らした。
「こんな街じゃ、仕事もろくにないからね。ごくたまぁに来るお偉いさんや物見遊山的なアーシアンの護衛をして、一時的にがっぽり稼いでくれるから助かってるけど」
「お前が無理矢理、俺にさせているだけじゃないか!」
「あらぁ! そんな生意気なこと言うと、売春夫にして売り飛ばしちゃうわよ! おじさんやおばさん相手に春を売るのとボディーガードするの、どっちがいいわけ?」
 ルシカがそう言った瞬間。スレイドは苦虫を噛みつぶしたような表情をしながら、どさりとソファーに横たわった。ふてくされるようにして、二人に背を向ける。仕事の話をされるのが、どうやらスレイドは苦手らしい。スレイドにも苦手なものがあることが分かり、ルーカスは何故か少し安心した。
 ふと何か閃いたのか、ルシカが両手を叩いてこう叫んだ。
「そうだ、いいこと思いついた! ねぇ、スレイド。ルーカスにこの街を案内してあげなさいよ!」
 突然振って湧いた提案に、スレイドはこの上ないほど迷惑顔だ。
「巫山戯(ふざけ)るな! この炎天下、そんな酔狂をするためだけに出たくない!」
「たまには白昼に動きなさいよ! 夜行性動物じゃあるまいし!」
「俺は夜行性で充分だ!」
 また喧嘩が始まった。だが大抵、喧嘩はルシカの勝利で終わる──。
「だーめ! 私が許さない。言うこと聞かないなら、売春宿に行ってあんたの名前、登録してくるからね!」

 さすがは元盗賊。さすがは女経営者。伊達に厳しいヒューマノイドタウンを渡ってはいない──。

 完全にふてくされて無視を決め込んでるスレイドを尻目に、ルシカはルーカスに向き直った。
「ね、ルーカス! そうしなさい。あなたにとっても、いい勉強になると思うわ」
 そう言ってルシカはウィンクをする。
 ルシカの剣幕を見てしまった以上、申し出を断ることは出来ない──ルーカスは首をすくめながら頷いた。
 
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