第十一章 インフェルンの仲間
ネクタスが退官命令を下されてから、2年の歳月が経過した。この2年間、ネクタスはエデンの元老院より下されたインフェルンでの環境汚染にも強く適応できる生命の育成に貢献し、表向きにはエデンへの忠誠心があるよう見せかけていたが、内心では常にサルジェの身を案じていた。グローレンがネクタスを遠ざけたのは、間違いなくサルジェに対して何らかの企みがあるからなのだ。一刻も早くサルジェの元に帰り、彼のことを守らなければ──ネクタスはそう思っていた。
とはいえインフェルンに飛ばされたのは、ネクタスにとっては好都合でもあった。地球上にある二つの大陸、エデンのある大陸『カエルム』と、そしてここ『インフェルン』。インフェルンはカエルムと比べて広大な土地があり、多くのヒューマノイドが住んでいる。アーシアンが「地獄」と名付け忌み嫌う大陸だが、カエルムよりも敷地面積がある分、ヒューマノイドの街があちこちに広がり、繁栄していた。また、ヒューマノイドの未来を信じ、エデンと闘おうとしているレジスタンスも多く集(つど)っている。ネクタスはインフェルンでの任務を終えたその日、北部のオタワから南下した位置にある街グリーンランドへと向かった。
グリーンランドは周囲を山に囲まれ、その谷間にヒューマノイドの街が広がっている。海も近く、タウンを繋ぐ貿易もさかんに行われていた。砂漠の広がる街々に反して、グリーンランドは水も緑も豊富で、活気溢れる街だ。一番温暖な気候でもあるため、もっとも人口が密集している地域でもあった。
ネクタスが向かったのは、中心部から僅かに離れた街イルサットだ。イルサットは小さな街だが、「志の高いヒューマノイド」が多いと聞いている。「志が高い」というのは「エデンとの対立に信念を持っている人達」を示しており──すなわち、「アーシアンに強い憎悪を抱いている」ということでもある。ネクタスは旅人を装い、すすけたローブを頭からかぶって金髪を隠した。ヒューマノイドの服を身に纏い高価なものはいっさい身につけず、アーシアンであることを悟られないよう気をつけた。
人の行き交う街道を進むと、突き当たりにカフェテラスが見えた。外に出されたテーブル席には数席空きがあり、埋まっている席ではヒューマノイドが新聞を読み、パイプをふかしながら考え事をしていた。ネクタスはそのままカフェに入ると、一番奥の席に腰をかけた。
「いらっしゃい。何にします」
愛想のない太った女が、低い声でそう言った。
「珈琲をくれ」
「生憎、珈琲はきらしていてね」
女が即答した。
ネクタスは一瞬怪訝そうな顔をした。周囲をみると他のテーブル席には珈琲がでており、豆を挽く音や香ばしい匂いまでしているというのに。
「では、水でいい」
「それもないんだよ。申し訳ないがね」
その時、ネクタスは周囲の空気が緊張していることに気がついた。何気なく新聞を読み考え事をしている客達が、姿勢をそのままにしながらネクタスに注目しているのが分かる。目の前の女は険しい顔をしたまま、こう続けた。
「あんたら『アーシアン』に、すべて奪われちまったからさ。ヒューマノイドタウンにのこのこ来て、アタシらからまたむしり取ろうっていうのかい!」
女はネクタスがアーシアンであることを見抜いていた。
ネクタスが身を守ろうとして立ち上がったその瞬間、客として座っていた男達が全員いっせいに立ち上がった。彼らから強い殺気を感じる。
「この街に何しに来た! 白状しないと、痛い目にあうよ」
低い声で女が言いはなった。何も言えずにネクタスが無言で立ちつくしていた──その時。
「待ちなさい」
穏やかな声がした。
振り返ると、そこには背の高い金髪の青年が立っていた。湖水色の瞳と、端麗な顔立ち。絹糸がウェーブしたかのような、柔らかくて長い金髪を靡かせながら立っている。明らかに彼はアーシアンだ。
その青年の姿を見るなり、ネクタスに向けられていた殺気が瞬時になくなった。青年は中央に立つ女を見つめ、こう続けた。
「その方は私の恩師、ネクタス教官だ。──大丈夫。彼は『敵じゃない』」
その言葉に、女の表情が和らいだ。しかしすぐに「ふん」と鼻を鳴らすと、手を腰にあてる。
「アーシアンなんて信用出来たもんじゃないよ。もしかしたらスパイかもしれないじゃないか」
「それはないよ。彼は、あのヴァルセル氏の親友なのだから」
ヴァルセルの名が出た途端、男達が感嘆の声を漏らした。どうやらこの地でも、ヴァルセルは英雄らしい。
青年はすっと足を踏み出し、ネクタスに近づいた。ネクタスもようやく安堵したように笑った。
「久しぶりだな、ジョリス」
「お久しぶりです、先生。まさか、こんなところでお逢い出来るなんて」
「いや、むしろ私は『こんなところで出逢えて、助かった』よ。そうでなければ、今頃私はどうなっていたことか──」
周囲を見回しながら、本心でそう言った。よほど焦っていたのか、冷や汗がこめかみに浮かんでいる。それを見てジョリスも微笑んだ。
「この店にいる人達は熱意あるレジスタンスメンバーで、私の仲間なんです。怖い思いをさせてしまって、すみませんでした。先生がこの地に来るなんて、余程の事情がおありなのでしょう。私の部屋で話を聞きます。どうぞ、こちらへ」
そう言うとジョリスはネクタスを案内するように手を差し伸べ、誘導するように歩き出した。
カフェテラスを出ると右手に扉があり、そこを開くと地下に通じる階段があった。
「この下が、私のアジトです」
そう言うと、ジョリスが先に進んで歩いていく。階段の奥にはさらに扉があって、開くと大きなフロアにテーブル、そして、旧式なコンピューターが置かれていた。フロアには大きな眼鏡をした少女と、壁脇には膝をたてて座る黒髪のヒューマノイドがいた。
「エイジ。彼はネクタス教官だ。レジスタンスの計画にとって、なくてはならない存在だよ」
エイジと呼ばれた青年は無愛想のまま、表情を微塵にも変えることなく小さく会釈だけをした。切れ長の目をして黄色の肌をしている。かつての文明で東洋人と呼ばれていた人種に分類されるタイプかもしれないと、ネクタスはぼんやり考えていた。
ジョリスは視線を脇に立つ少女へと向けた。
「サリー、私の部屋にお茶を運んでくれないか」
「分かりましたぁ!」
あまりに場にそぐわない素っ頓狂な声だった為、ネクタスはびくりと体を震わせてしまった。さきほどカフェテラスで感じたのとは全く異なる恐怖さえ感じたほどだ。しかしそんなネクタスの意など気にとめず、サリーと呼ばれた少女は走って扉から出て行ってしまった。ふわふわとした赤いスカートの裾が印象的である。しかし、何だかレジスタンスという場には相応しくないようにも思えた。
「この奥が、私の部屋です」
ジョリスが案内した。ふと、ネクタスはジョリスに質問を投げかける。
「さっきの二人は、ヒューマノイドだね。ここにはヒューマノイドの仲間しかいないのかい?」
「はい、ほとんどはヒューマノイドですが、アーシアンはひとり『シオン』という青年がいます。彼は今でもアカデミーに在籍していて、ワームホールを使用して時折こちらに戻っては、様々な情報を提供してくれています。見た目は女性的ですが、すごく優秀なメンバーですよ。腕も立ちますしね」
「なるほど……。そういう仲間がいるということは、今のアカデミーがどうなっているか、君もある程度察しがついているということだね?」
その言葉に、ジョリスが動き止めた。ドアノブに手をかけ、何かを考え込んでいるように静止している。ウェーブのかかった金髪が、僅かな風に揺らされた。
「──はい、『知っています』。そのことで、ご相談にみえたのでしょう?」
部屋の中に入ると、地下とは思えない明るい照明が施されていた。闘うための本部とは思えない程に、上品な造りとなっている。壁は白い煉瓦で埋め尽くされ、窓を造れない為かホログラムでスライドショーのように美しい自然の光景が映し出されていた。中央にガラスで出来たテーブルと白いソファーが二脚置かれている。
「アーシアンだった時の習慣でしょうかね、薄暗い場所がどうも苦手で。明るい部屋でないと、良い考えが浮かばないんです」
そう言ってジョリスは笑った。
「分かるよ、私もそうだ」
ネクタスはジョリスに勧められたソファーに腰かけた。
「ところで──先生は2年前に退官処分となった、と聞いていました。その関係で、このグリーンランドにいたのですか?」
「いや。私は退官命令と同時に、オタワで環境再生のために新たな生物を産みだすよう司令を下されていたんだ。この2年間、その司令に没頭していたよ。──『没頭している振り』というのが正確かな」
「確か、『サルジェ』という名の子でしたよね、シリアさんからデザインされたクリティカンは。彼をアカデミーに残したままですか?」
「ああ。本来、私を辺境の地に左遷させたグローレンの目的は、サルジェにあったのだと思う。サルジェは今までのクリティカンの中で群を抜くほど優秀な頭脳の持ち主だ。だから、あのグローレンとはいえどもそう簡単にサルジェを殺すことはないだろう。……だが、それも時間の問題だ。サルジェと同じレベルの頭脳を持つ存在を育成することに着手出来れば──何の躊躇いもなく、グローレンはサルジェを殺すだろう」
愛するシリアを、殺した時のように──。
ネクタスはそう心の中で呟いたが、声には出さなかった。ジョリスは小さく頷いた。
「そうですか。なら、先生は再びエデンに戻るおつもりなんですね」
「そうだ。サルジェをエデンから解放し、君に委ねるところまでが、私の役目だと思っている」
「彼は、先生の意志をご存じなのですか?」
その問いに、ネクタスは黙り込んでしまった。
「──いや。サルジェはとても素直な子だから、私が自分の思いや願いをすべて話せば、彼はその通りの人生を生きてくれるだろう。……だが、それではサルジェの自由がなくなってしまう。私は、彼に『選択をしてもらいたい』そう願っているのだ」
「では、『スレイド』のことも話していないのですね」
神妙な面持ちで尋ねたジョリスに向かい、ネクタスは頷いた。
「ああ。ヴァルセルのことは伝えたが、その息子の存在については──まだ」
そこまで話した時、扉をノックする音がした。同時に「失礼しまぁーす!」と元気の良い声が響き渡る。扉が開いて姿を現したのは先ほどの少女だった。ふわふわの赤いドレスはエプロンドレスで、くりくりとした瞳によく似合っている。少女はニッコリ微笑んだ後、カップを二つ載せたトレイを差し出した。
「ジョリスさぁん。今日はぁ、フランボワーズを切らしていてぇ、アールグレイなんですけどぉ、それでも良かったですかぁ?」
鼻にかかった声を延び延びにして話す。その話し方にネクタスは怪訝そうにして顔を顰めてしまったが、ジョリスは慣れた様子だった。
「別にいいよ。アールグレイも好きだから」
そう言ってティーカップを受け取る。
「君はサリーって言ったかな? 歳は何歳(いくつ)?」
ネクタスの質問に、サリーは背筋をぴんとさせて答えた。
「はいっ! 可憐な花も花盛り、ピッチピチの20歳ですぅ! ジョリスさんのところにはぁ、もう5年程お世話になってるンですぅ!」
アーシアンではまず聞くことがない話し方に慣れず、ネクタスはどう呼吸を合わせていいのか迷ってしまった。あまりにも語尾が長いので、相槌を打つタイミングがよく分からない。
「き、君も『一応』、レジスタンスなのかい?」
一応、聞いてみた。
「はぁい! れっきとしたレジスタンスですぅ!」
赤毛のおさげにそばかす顔のサリーは、顔から大きくはみ出た丸い眼鏡をつけている。愛らしい顔をしているが、その無邪気な表情からはレジスタンスの「レ」の字も感じられない。疑問符がいっぱい浮かんだままのネクタスに向かい、サリーはさらに付け足した。
「サリーの夢はぁ、『アーシアンのお嫁さんになること』なんですぅ! だからぁ、ジョリスさんに協力しているんですよぅ! 素敵なアーシアンの方がいたら紹介してくださぁい!」
唖然としたままのネクタスなど気にも止めず、「じゃ、失礼しまぁす!」と飛び跳ねるようにして部屋を後にした。
「婿探し」の為のレジスタンス活動……。
ネクタスの想像をはるかに凌駕した「不純な動機による参加」であった──。と、いうよりも「そんな動機で参加していいのか?」という疑念がネクタスの中で拭い去れない。
「あの子、あんなで……大丈夫なのかい?」
しばらく沈黙が続いた後、ネクタスが呟くように尋ねた。ネクタスにとっては、サリーの存在そのものがかなりショックだったようである。一方ジョリスは、何も気に止めてない様子だ。ソーサーを左手に持ち、右手でティーカップを口に寄せる。香りを楽しんだ後、紅茶をひとくち含んだ。おもむろに溜息をつくと、こう語る。
「ああ見えても意外に頭の回転が早くて、仕事もよく出来る子なんですよ。サリーは『ただの不思議ちゃん』ではなく、非常に優秀な部下でもあるのです。それに、レジスタンスは男所帯だから、サリーの存在はとても役立っていますし、ああいう明るい子の存在は、アジト全体も明るくさせてくれます。とても貴重な子ですよ」
「そうか。そういうものなのか……」
ネクタスは納得する以外、術はなかった。
「それより──先生、『スレイド』の消息なのですが、何か掴めましたか?」
「いや、それが全然分からないままなのだ。そちらには、何か情報が入っていないのか?」
「シオンからの情報によれば、3年前に『赤い砂の街』にいるという噂だけは入っています。その街の外れにある『ウエストサイド・ホテル』に彼がいるという話だったのですが──シオンが訪れた時にはアーシアンらしき人物はおろか、金髪の人さえ全くいなかったそうです」
「とはいえ、最終の情報はその街なのだろう?」
「ええ。なので、たまたま不在だっただけなのか──或いは、その情報自体が誤報なのか……」
「その情報しか今は頼りがないのだとしたら、それにすがるしかないな。私はこの後、その街に行ってみるとしよう。ウエストサイド・ホテルを探してみるよ。もしスレイドに会えたら、サルジェに同行してもらえないか打診してみるつもりだ」
「しかし、スレイドも何も事情は知らない状態だとしたら……果たして同意してもらえるかどうか」
「当たってみない限りは前に進めない。やるだけのことは、やってみるさ」
ふと、その時。
扉をコンコンとノックする音が聞こえた。またあの間延びした声の頭の軽い少女が来たのかとネクタスは身構えたが、扉向こうから姿を現したのは背の高い色黒の男性だった。漆黒の髪を肩付近まで伸ばし、骨格のしっかりした体型──かつてのネイティブアメリカンの特徴を思わせる外見だった。
「サウゼンか。偵察はどうだった」
サウゼンはネクタスを一瞥した後、すぐに視線をジョリスに戻した。
「それが、あまり良くない徴候だ。アンゲロイの偵察部隊が、スウェルデンのアジト周辺を彷徨いているって話だ。……どうもきな臭い感じがする。総攻撃をされかねない」
緊迫する情報が入っても、ジョリスに動揺は欠片も見られなかった。それどころか、最後のひと味まで紅茶を楽しんでいる。
15年前、アカデミーの優秀な学生達を引き抜きレジスタンスになったと言われ、アーシアンからも一目おかれているレジスタンスリーダーのジョリス。なるほど、確かにただ者ではない落ち着きとカリスマ性を持っている、ネクタスはそう感じた。
「スウェルデンのアジトは、キルデに任せてある。だが、アンゲロイの総攻撃となると攻防がどれほどもつか分からないな。私も、スウェルデンに出向くとしよう。サウゼン、君も一緒に来てくれないか」
「分かった」
ジョリスは徐に腰をあげ、ネクタスを見た。
「先生は、一刻も早くこの地を離れた方がいいでしょう。アンゲロイが動き出したということは、アカデミーでも何らかの動きがあったはずです。早いうちに、サルジェをエデンから逃がしてあげてください」
「分かった、そうするよ。私はひとまず、この足で『赤い砂の街』に行く。まずはスレイドを探すとしよう。対策は、その後で考える」
ネクタスがそう言うと、ジョリスはにっこり微笑んだ。サウゼンの隣につくと、部屋を後にした。