第六章 英雄ルーカスの生涯
 サルジェがアカデミーに通い始めてから、半年が過ぎようとしていた。アカデミーの周辺の緑は枯れることがなく、季節に関係なく常に青々としているため季節の移り変わりがまるで分からない。しかし、ネクタスの家では季節に応じて四季折々の花々が庭一面に咲くので、サルジェは今がどんな季節なのかを実感することが出来た。
 サルジェがこの家で初めて歩いた頃には青々としていた木々の葉も気がつけば色づき、ハラハラと落ち始めている。春の庭はとても美しかったが、秋にはさらなる透明感があるとサルジェは思った。それに、ほとんど気温の変わらないエデンでも、秋を迎える頃には風が少し冷たくなる。そんな冷たさに触れていると、ネクタスやティナと一緒に囲む食卓の暖かさや食事の美味しさが一段と身に染みる──サルジェはそう感じていた。

 今日も、ティナとネクタスの三人でオーク色のテーブルを囲み食事を楽しんだ。食事をほとんど終えた時、テーブルに肘をついたままナフキンで口を拭きながら、ティナがこんな話をした。
「今日ね、『如何に優秀なDNAの子孫を残すか』っていう授業があったのよ!」
「ほう。今は一般の学校でも、そんな授業があるのか」
「そうよ、お父様。だけどね、ティナはアース暦よりも前の時代にあったみたいな『結婚』ってことをしてみたいわぁ! 二人だけで『おつきあい』をして、いつまでも一緒にいられるって互いに思えたら、男性から『結婚してください』ってプロポーズっていうのをするんだって!」
「お前みたいな跳ねっ返りをもらってくれる奇特な男性、果たしているかな……」
 父の苦言にティナの顔はみるみる赤くなり、ぷぅっと頬を膨らませた。
「いるわよ、失礼ね! それに私、結婚する相手は『お兄ちゃん』ってもう決めてるもの!」
 気を抜いて食事に集中していたサルジェだったがいきなり話題の中心にされ、「えっ!」とフォークを持ったまま固まってしまった。
 ──しかし。

「それは許されないんだよ、ティナ……」

 ネクタスが穏やかに否定した。静かな語りかけだったが、サルジェもティナも驚愕した。
「嘘でしょ、お父様! どうしていけないの?」
「それは、サルジェが『クリティカン』だからだ。クリティカンには結婚は勿論、遺伝子操作で血縁を生むことも禁じられている」
「それはどうしてなんですか?」
 サルジェはさらに食い下がった。まるで、クリティカンには「子孫を残す権利がない」と言われているような気持ちになったからだ。
「クリティカンは、本来自然に配合されるはずのDNAを極限まで進化させている。すなわち、自然に進化するDNAの流れを『先取りしてしまっている』のだよ。今のアーシアンの遺伝子工学技術では、これ以上進化のしようがない程のデザインが施されている。要するに、『それ以上子孫を生むことで、重度の障害児が誕生するリスクが高い』ということになるのだよ」
「じゃぁ、お兄ちゃんは結婚も出来ないし、ひとりで一生いなくちゃならないの?」
 ティナの抗議に、ネクタスは笑った。
「絶対にひとりでいなくちゃならないっていう程、拘束されるものではないよ。だが、エデンでは新たに生まれるDNAはすべて管理されている。だから、クリティカンは出産を目的とした遺伝子バンクにDNAを登録することも出来ないんだ。仮にヒューマノイドタウンに降りたとしたら、自然出産は可能だろう。しかし、障害児が生まれるリスクは他の人よりも遙かに高いということになるので、その点は注意が必要だけどね」
 
 いくらアカデミーで学んでいるとはいえ、それはサルジェにとっても初めて聞く事実だった。
 自分の後に、子どもは出来ない──。その言葉の重みはサルジェにとってまだ実感出来ないものではあったが、それでも自分の存在に対する否定感は拭えなかった。
 そんな悲しみを、ティナがケロッと一掃してくれた。
「なぁんだぁ! だったら簡単じゃない! 私とお兄ちゃんが結婚して、ヒューマノイドタウンに降りちゃえばいいのよ」
 その大胆な発言には、ネクタスも絶句した。
「しかしティナ。お前は、ヒューマノイドに対する偏見が強いじゃないか」
「だってぇ、学校でみんながヒューマノイドを悪く言うんだもん! だけどティナ、考えたの。お兄ちゃんと結婚出来ないなら、ヒューマノイドの綺麗な場所を買い取って、小さなエデンを造っちゃえばいいじゃない、って! そこでティナは女王様になれるし、お兄ちゃんは王様よ! アグティス皇帝だって目じゃないわ! 地球だって支配出来るわよ!」
 ネクタスは大きく溜息をついてかぶりを振ると、顔を手で覆った。
「ティナ。お前は何という危険思想の持ち主なんだ……。頼むから、学校でそんなこと言ったりしないでくれ」
「言うわけないでしょ。馬鹿じゃないもの」
 しれっと言い放った。
「──まぁ、ティナの絵空事は横におくとしてもだね、サルジェ。ここまで大胆に行かないまでも、君はエデンに限られた世界で自分を縛り付けることはないんだよ。エデンにおいてクリティカンを拘束する規律は数多くあるが、ヒューマノイドタウンに降りればそんな規律はまったくない。君の可能性を無限に広げることが出来るんだ」
「ありがたいお言葉ですが……先生」
 サルジェは小さく呟いた。
「私は……先生やティナと一緒にいるのが幸せなんです。どんなに細かい規律や拘束があろうとも、二人と一緒にいられるのなら──私はそちらを選びます。二人がいない自由なんて、いりません」
 サルジェの言葉に、ティナは満足そうに笑った。
 しかしネクタスは……。
 ネクタスの目は、どこかサルジェを哀れんでいるかのようだった。
 否。むしろ、ヒューマノイドタウン行きはネクタスがサルジェの未来を知っていて、その未来を回避させるための苦肉の策だったのかもしれない。だが、ネクタスはそれ以上何も言わなかったので、サルジェが真相に気づくことはなかった。

* * *

 夜が更けてからも、サルジェはベランダに出て夜空を見上げていた。今日は満月だからか、夜が更けても外が明るい。とはいえ、満月は今となっては破壊されて醜く変貌した月が露わになる日でもある。かつて満月の日は吉兆とされ、祭りごとも開催されたらしいが、今となっては満月を見るたびに人類は「起こした罪」と向き合わねばならない日となってしまった。その上、小惑星衝突以前はもっと遠くにあった。今の月は、かつての月よりも3倍ほど大きく見えると資料に書いてある程だ。
 また、地球との軌道もアンバランスで、時折非常に近く見えることもある。ネクタスの説明に寄れば、このまま地球と月のバランスが保てない状態が続くと、月は地球の引力によって衝突が避けられないのだともいう。仮にそうなってしまえば、エデンは愚か、地球自体が太陽系から消滅するということも分かっているそうだ。
 ──大異変の時から、地球は狂った運命を歩み続けているんだ……。
 そんなふうに思い耽るサルジェの後ろで、物音がした。振り返ると、両手で本を抱えて立つティナの姿があった。

「お・兄・ちゃん!」

 アクセントごとに体を揺らし、ティナが近づいてくる。
「ティナ、まだ起きていたの?」
「だって眠れないンだもん。それでさ──お兄ちゃん。本、一緒に読まない?」
 そう言って、ティナは抱えていた本を差し出した。それは、電子データですべての記録が保存されている今の時代には似つかわしくない程、古い革表紙の本だった。
「それ、ティナの本?」
「ううん、お父様の本。お父様の書斎から持ってきちゃった」
 そう言って、ペロリと舌を出す。
「黙って持って来ちゃったりして、大丈夫?」
「平気よ! お父様、ティナには甘いもの。何しても怒らないわ」 
 明らかに確信犯である。唖然としているサルジェの横に座ると、ティナは自慢げに本の表紙を見せた。焦げ茶色のカバーに、銀色の文字で「英雄ルーカスの生涯」と書かれている。
「これね、ティナが大好きなご本なの」
「英雄ルーカス?」
 首を傾げるサルジェの前で、ティナは本のページを繰った。
「ルーカスって、今から200年程前に実際にいた人なんだって。でも、この本はルーカスの名前だけとっていて、後は空想物語なの。実際にルーカスがどうなったかは、誰も知らないんだって」
「どういうお話なの?」
 興味深そうに聞いてきたサルジェに向かい、ティナは嬉しそうに答えた。
「ルーカスは、もともと元老院の一人だったんだって。だけどある日、エデンの外にどんな世界が広がっているのか知りたくて、旅に出ちゃうの。ヒューマノイド達の街はとっても物騒で、ルーカスは何度も危険な目に遭うのよ。でも、それを天使達が何度も助けるの」
 初めて聞いた言葉に、サルジェは目を瞬きした。
「天使?」
「神様のお使いよ。エデンの皇帝は神様だから、皇帝がルーカスのことを助けるよう天使にお願いしたんだと思うわ」
「それって──アグティス皇帝のこと?」
 ティナは「んー」と言って首を傾げる。
「よく知らないわ。でも、とりあえず『エデンの皇帝』って言ったらアグティス皇帝なんじゃないの?」
 エデンの市民の前に一度も姿を現したことのないアグティス皇帝。その実在さえも疑われており、皇帝とは名ばかりで元老院が政治を担っているのではないかという噂もある。エデンの設立を人々が願った時から政治に関与していたという以上、アグティスの実年齢はゆうに500歳を超えてしまう。そんな彼の逸話が、ティナのような少女達の間では神格化されているのかもしれない。

「天使達の中でも一番ルーカスを助けたのは『死の天使』だったそうよ」
「死の天使? それって、死神みたいなもの?」
 何でも質問するサルジェに向かい、ティナはぷぅっと頬を膨らませた。
「もぉ! お兄ちゃんは質問ばっかり! ティナだって、死の天使が死神かどうかなんて知らないわよ! ひとまず、『死の天使』がいたってことだけ理解してちょうだい!」
 早口なティナの説得に、サルジェは「わ、わかった……」と納得して頷くしかなかった。
 ティナは機嫌を直すと、さらに説明を加えた。
「死の天使の役目は、亡くなったアーシアンの魂を神である皇帝の元に連れ帰ることだけど、今回の役目だけは違ったの。『ルーカスを死から守る』のが、死の天使の役目だったんだって」
 そう言うと、本の中にある挿絵をサルジェに見せた。そこには、跪く主人公ルーカスと、精悍な顔つきをした天使が描かれている。鮮血のような長い髪の背部には、黒くて大きな翼が描かれていた。
「だけどね、最期にルーカスは死の天使の使命を拒絶するの。要するに、『死ぬこと』を自ら選択するのよ」
「死ぬ? 一体、どうして──」
 今までしたり顔だったティナの表情が僅かに曇った。
「ん──。難しいことはよくわかんないけど──結局は『生きる』のが辛くなっちゃったんでしょ」
 あっさりティナはそう言った。

 その時、サルジェは少しルーカスの気持ちが分かるような気がした。
 時折、サルジェも同じように感じる。
 そもそも、サルジェは「何故、自分が生きているのか」その理由が分からないのだ。
 生まれてきた意味も。
 生きている意味も。
 自分の人生の意味も。
 自分が何者なのかも。
 ルーカスは、それを知っても「尚」、生きることを辛いと思ったのだろうか?
 だとしたら──そもそも「生きるって、何だろう……」そういうふうにも思う。

 考え事に耽(ふけ)るサルジェの前で、ティナは話を続けた。
「ルーカスが英雄って呼ばれてる理由はね、エデンを出た後、ヒューマノイド達の暮らしを少しでも良くするために活動したからなんだって。アーシアンは病気に罹ること自体がないけど、ヒューマノイドの体は弱いから、すぐに病気に罹るらしいの。そんな人達をお医者さんみたいにして治しながら、エデンに何度もヒューマノイドの人達を中に入れるようお願いしたらしいわ。ルーカスは元老院『ラフィール』の子孫だから、癒し手とも言われていたンだって」
「ラフィール?」
「お兄ちゃん知らないの? エデンの創立者は四人いて、ミハエル、ガブリール、ラフィール、アズライールだって」
「あ、ああ……。そう言えば、授業でやった気も──」
 サルジェはかつての偉人に関して、まるで鈍いようだった。ティナは目を細める。
「お兄ちゃん、そこ『大事』よ! エデンでは、誰の系譜かってとても重要なんだから」
「ティナは、自分の始祖が誰か分かってるの?」
「もっちろんよ! 私はガブリール。愛と芸術の天使よ!」
「──ふぅん。そうなんだ……」
 興味がないことには反応が薄いサルジェに、ティナはぷくっと頬を膨らませた。そのまま知らん顔でページを繰り続ける。
「この挿絵、とても綺麗でしょ? ティナ、このご本の絵が大好きなの。特に天使達が大好きなのよ。すごく綺麗なんだもの!」
 そう言って、挿絵のたびに手を止めた。絵の印象からするに、ルーカスは数人の仲間達と共に活動をしていたらしい。ルーカスが病人に手を翳している場面では、背後に大きな翼を持つ天使が見守っている場面が描かれていた。
 ふとその時、サルジェに疑問が湧いた。
「ねぇ、ティナ。これ、アーシアンの本じゃないよね? 紙とか革って、アーシアンは使わないもの」
「さすがはお兄ちゃん! その通りよ。この本はヒューマノイドが作成した物だって、お父様が言ってたわ。ヒューマノイドの街の方が、ルーカスは有名みたい」
「そうか……。ヒューマノイドの人達にとって、ルーカスは英雄だったのか」
 独り言のように、サルジェは呟いた。
 ティナはにんまり笑うと、両手で本を差し出した。
「このご本、お兄ちゃんに貸してあげる! お父様には内緒ね」
 そう言うと、「明日、感想を聞かせてね!」と言って部屋に戻っていった。

 ひとりに戻ったサルジェは、パラパラと本を捲った。
 ──紙と革って、いい物だな。ホログラムよりも味があるし、何だか懐かしい感じがする。
 鼻を近づけると、古い本特有の埃の匂いがした。
 ──きっと先生、大事にしていたんだろうな。
 先生が気がつかないうちに、明日こっそり書棚に戻しておこう。そう思いながら本を閉じようとした──その時。

「……ん?」

 本の隙間から何かが落ちた。それは一枚の紙である。訝しく思いながらその紙をひっくり返すと、そこには二人の人物が写っていた。すべてがホログラム化されているエデンにはないが、「写真」というものがヒューマノイドタウンにはあるということを思い出した。おそらくこれは、ヒューマノイドタウンで作成したものなのだろう。
 そこに写っているひとりは、顔立ちから言って、明らかにネクタスだった。ネクタスの若い頃の写真だ。そして、その隣にいるのは……。

 ──誰だろう、これ。

 そこに立っていたのは、とても整った顔つきの青年だった。
 彫りの深い顔立ち、すらりとした鼻に深緑色の瞳。声をかけるのを躊躇ってしまいそうな程の美青年だ。サルジェはこの青年が誰かを知りたくて、名前が書いてないかを探した。裏を見ると、ネクタスの直筆で名前と日付が書かれている。それは今から15年程前のことで、一緒に写っている人物の名前も記されていた。
 その名は──。

「ヴァルセル……」

 思わず口に出してしまった。
 以前ネクタスが言っていた親友──13人目の元老院であり、公開処刑された人物。それが、この写真に写っている青年なのだ。
 サルジェは、ヴァルセルに目が釘付けとなってしまった。すべてに自信がありそうな威風堂々とした外見。彼はきっと、自分が抱えているような悩みをひとつも持つことなく、ただ「目的のため」人生を全うしたに違いない。
──生きていたら、実際に会って話してみたかった。
 そんなふうに思いながらも写真を元あったように挟んで、書棚へ戻しに行くために腰をあげた。