第五章 レジスタンス
 ネクタスの家に帰宅したサルジェは、ひとりで部屋に籠もると、様々な資料を読み耽った。その資料はアカデミーから借りてきたもので、エデンの歴史がすべて記されている。
 その資料に寄れば、エデンが生まれたのは今から500年程前のことだそうだ。アース暦が出来る前、地球は未曾有の天変地異に襲われ、人類は絶滅に近い状態となった。
 その天変地異とは──小惑星衝突の衝撃によって起きた地軸の変動。いわゆる「ポールシフト」と呼ばれるものだ。地球が大きく揺らいだ結果、北極と南極の氷が瞬時に溶け、月や小惑星の破片があちこちに降り注いでクレーターを作り、当時の文明は絶滅を強いられた。しかし、一部の人達が難を逃れ、何十年かしたのちに、再び地球を再生すべくこの地に降り立ったというのだ。
 残された人類は、自然出産を拒んだ。何故なら、数少ない人類を短い期間で増殖させるには、自然出産を待っていたのでは効率が悪かったからだ。そのため、頭脳も優秀で肉体的にも強い存在を育成するため、遺伝子操作による人工的な交配が始まった。
 サルジェはそこで疑問を抱いた。

──大災害で唯一生き残ったような人達が、人口交配が出来る程の設備やシステムを、どこで手に入れたのだろう。食べて生きていくだけでも、精一杯だったはずなのに。

 そんなサルジェの疑問を解決してくれるような情報はどこにも書いていない。
 だが──思えば不可思議なことばかりである。
 500数年前に現れたエデンの文明は、それまでの先史文明を遙かに凌いでいると聞く。他の文明は滅びる頂点に至るまでの間、数千年から1万年近くの時を費やして文明を築いた。何故アーシアンだけが、500数年という間にこれほどの発展を遂げたのか。クリティカンのようなデザインされた人類を生み出すまでに、何故そんな短期間でこなすことが出来たのか。

 ネクタスはサルジェに「クリティカン──その中でも君のような人材は、エデン市民の10分の1に過ぎない」と言っていたが、正確に言えばサルジェのような目的を持っている存在以外のクリティカンは血縁で生まれた純粋なアーシアンの人数を遙かに凌ぐのだ。
 しかし、そうした多くのクリティカンは「エデンの未来を引率する次世代の子供達」として生まれているのではなく、むしろ兵士や守衛といったエデンを支える労働者として造られることが多かった。ドルケンが今日話していたエデンの特殊部隊「アンゲロイ」は、10年前の紛争を教訓にして「優秀なアーシアンでさえも太刀打ち出来ない運動神経を持った傭兵」として誕生した。アンゲロイの傭兵はひとりのオリジナルから誕生しており、ひとりデザイン出来たら後はコピーで賄えた。アンゲロイに所属する期間は年齢で言えば20歳から35歳までで、その年齢を超えた後アンゲロイの兵士がどう処分されるのかは定かにされていない。

 こうして500数年前から、エデンにおける「DNAデザイン」は行われてきていたが、彼らが自分たちだけで繁栄しようとしていた傍らで、エデンの地域以外にも生き残った人類がいることが判明した。しかし、その頃にはエデンの人達とその他の地域の人達には遺伝子的に歴然とした差が生じてしまっており、共存することは困難となっていた。その差が、現代のアーシアンとヒューマノイドの差を生み出したと記されていた。

 現在、アース暦535年。
 アーシアンは完全にヒューマノイドとは異なる存在として、地球に君臨することとなった。エデンから追放されたヒューマノイド達は、未だに自然災害や天変地異の影響から逃れられない荒れた大地や砂漠で、虐げられた生を送っているという。
 アーシアンの努力も虚しく、地球は急激な速度で死に向かっている。このままでは他の地域だけでなく、エデンの環境も守れなくなる。今、エデンの元老院達はそのことについて日々模索を繰り返している状態だった。

 ひととおり資料に目を通し、サルジェはため息をついた。
 ──こんなふうにエデンを地球から孤立させるぐらいなら、ヒューマノイドの人達を受け入れれば良かったのに。
 今日ドルケンが見せた三人の男達が野性的に見えた理由が頷けた。彼らは荒れ果てた大地や渇いた砂漠で、日々強い紫外線にさらされながら生きているのである。過保護な環境に守られているアーシアンとは雲泥の差だ。きっと彼らには「生きるための強さ」が最初から備わっているのだろう──そんなふうに思った、その時。
「サルジェ。帰っていたのかい?」
 ネクタスの声がした。サルジェは反射的にパネルを隠すと「はい、います」と返事をした。
 扉がそっと開き、ネクタスが顔を覗かせた。
「今日は早かったのだね」 
 穏やかに話しかけるが、すぐに表情が険しくなる。サルジェの口元についた痣に気がついたからだ。
「一体どうしたのだ、その傷は!」
 すぐにサルジェの元に駆け寄った。サルジェは戸惑いながら視線を落とし、「いえ、何でもないです……」と誤魔化した。

 幼いサルジェも、グローレンとネクタスが犬猿の仲であることを充分に悟っていた。
 もしグローレンに頬を叩かれたなどと言おうものなら、ネクタスは憤慨し、グローレンに抗議をするだろう。しかし、どんなにネクタスが怒りサルジェを擁護してくれても、常にネクタスがそばにいられるわけではないのだ。これ以上、ネクタスに心配させるわけにはいかない──サルジェはそう思ったのだった。
 だがそんなサルジェの思いを、ネクタスも察しているようだった。サルジェをしばらく見つめた後、静かにこう語りかけた。
「君を良く思わない輩にされたんだね。すまなかった、私の目が届かなかったばかりに──」
「いえ、大丈夫です。すみません、心配をかけて……」
「君が謝ることじゃない。何かあれば、いつでも私に言うんだよ。気兼ねする必要なんか何もない。君にとって私は、父親も同然なのだからね」サルジェの肩に手を置き、そう告げた。
 サルジェはネクタスの優しさに、心から感謝したかった。ネクタスのそばにいると、とても安心出来るのだ。
「先生、あの……」
 サルジェが声を絞り出すと、ネクタスは「何だい?」と優しく問いかけた。
「今のアーシアンの治安を守っているのは誰なんですか? 元老院の人達ですか?」
 ネクタスはサルジェの手元にアカデミーが保管している史実の資料があるのを見て、納得したように頷いた。
「エデンの歴史を学んでいたんだね。──そうだよ。確かにアーシアンの政治は元老院が中心となって行っている。……が、そのさらに中枢には、司令塔のような存在がいる」
「誰です、それは?」
 首を傾げるサルジェに、ネクタスは慎重にこう告げた。
「アグティス皇帝。……しかし、誰もその姿を見た者はいない。本当に皇帝なんて存在がいるのかどうかも、誰にも分からないのだ。アグティスの代弁者として元老院が12人いるが、その元老院達も堅く口を閉ざしている」
「元老院の数は、決まっているのですか?」
「元老院は、代々血筋で受け継がれている。最初の人々は、エデン設立の時に中心人物となった存在だ。その子孫がそのまま元老院となり、今に至っている。実際には13人いたのだが──13人目は、10年前に処刑されてしまった……」
 ネクタスは重く語った。サルジェは「13人目の元老院」と、ドルケンが話していた「アース暦史上、初めての処刑者」が符合し、思わずこう叫んだ。
「13人目の元老院が、レジスタンスに寝返った『裏切り者』だったんですね」
 何気なく言った言葉のつもりだったが、ネクタスの表情はみるみるうちに険しくなった。
「『裏切り者』だって? 一体君は、その話を誰から聞いたのだ?」
「今日の昼間、ドルケンから──」

 そう言ってから「しまった!」と思い、両手で口を塞ぐ。しかし時すでに遅く、ネクタスに事情がばれてしまった。今まで見たことがない程、ネクタスの顔が憤りで歪んだ。
「君はまだドルケンと付き合っているのか! あれほど駄目だと言ったのに!」
 激しく叱咤され、サルジェは「ごめんなさい……」と謝った。
 だが、ネクタスも瞬時に冷静になった。サルジェはまだ何も分からない10歳の子供なのだ。その子に対して「友達を選べ」なんて言うのは、些か酷な要求なのではないだろうか?
「いや、私こそ怒鳴ったりしてすまなかった。ただね、君には『真実』を知ってもらいたい」
 その言葉に、サルジェはネクタスを見つめ返した。
「──真実?」
 ネクタスは、深く頷く。
「レジスタンスは、君が思っているような悪者なんかではないのだよ。むしろ、ヒューマノイドとアーシアンの格差をなくして、地球を再生しようとする人達のことなのだ。勿論、ヒューマノイドの中にはそうしたレジスタンスとは違って、ただの強奪を繰り返す者達もいるのは確かだ。だが、そうした強盗達とレジスタンスは明確に違うのだということを、覚えておいて欲しい」
「でも、レジスタンスはアーシアンからエデンを奪おうとしているのではないですか?」
「私が知っているレジスタンスは、闘いを好んでいるわけででは決してない。ましてや、エデンを奪うなんてことは毛頭にない。ただ、滅び行く地球の大地に追い払われてしまったヒューマノイドの自由と権限を取り戻し、エデンを解放しようとしているだけのことなのだ」
「その13人目の元老院が、そのことを目論んでいた──というのですか?」
 ネクタスは再び深く頷いた。

「そうだ。その13人目の元老院は……私の親友だった」
 
 ネクタスから明かされた真実に、サルジェは愕然とした。
「先生の親友が、レジスタンスになったんですか!」
「そうだ。彼はアカデミーで幾何学やシステム論について研究していた。私と彼はアカデミーで知り合い、それ以後も常に一緒にいた。私にとっては──『大親友』だ」

 サルジェは、ネクタスが抱えている過去と向き合った。
 だが、その過去はアカデミーで容易に語ることが許されない程の重大な過去であることを、直感で悟った。ネクタスの親友は、エデン史上かつてない程の重罪人なのである。そんなことをドルケンは勿論、誰にも知られてはいけない──そう思った。

 だが語る真実の重さとは裏腹に、ネクタスの目は親友と過ごした思い出へと向けられていた。まるで幸福だった二人の過去を懐かしむかのように、僅かに微笑む。
「彼の名はヴァルセルという。ヴァルセル・ディス・アズライール。ミハエルに並ぶ四人の元老院の一人、アズライールの子孫だ。誰がどのような批判をしようとも、私は彼の誠実さと偉大な理想について尊敬を抱かずにいられない。あんな形で、殺されるなんて……」
 そう語るネクタスの表情からは、後悔と無念さを感じさせた。
「処刑された……って聞きました」
「そうだよ。銃殺刑だった。アカデミーの学生達に見せしめとして、公開処刑という形が取られた。──愚かな話だよ。そんなことをしたところで、彼の高邁な理想を学生が諦めるはずがない。むしろ彼の処刑を機にエデンから逃亡し、レジスタンスになった学生もいる程だ。エデンでは殺害や処刑を認めないと言っているその裏では、この10年の間に何十人ものアーシアンが処刑されている。その人達はみな、理想と信念を持った人達ばかりだ。私の友達も処刑された中に沢山含まれていた……」

 その時、サルジェの脳裏には女性研究員が射殺された場面が浮かんでいた。
 真っ赤な血の海。残酷な程の場面の中で、ほくそ笑んでいたグローレン。
 これは一体、何なのだろうか。実際にあった記憶なのか、それとも──。

「あの、先生……」

 サルジェはその事実を聞こうとした。
 しかし、真実を知ることに対して恐怖も感じた。
 何故だろう──。
「真実を知ってはいけない」
 そんなふうに思う自分もいる。

「どうかしたのかね?」
 声をかけた後無言になったサルジェを見て、訝しそうにネクタスが尋ねた。
「いえ……。何でもないです」
 サルジェはその疑問を口に出さず、再び心の奥底へと戻した。