第四章 エデン
 サルジェがアカデミーに入ってから、一週間が過ぎようとしていた。
 学校生活にはまだ慣れないものの、朝から晩まで詰め込まれる知識を、サルジェはものすごい勢いで吸収していた。
 講義の半分はアカデミーのメインコンピューターと繋がりインプットされた情報を読み込むというもので、知識が正確に復元されていることが証されるとさらにレベルがアップするという、いわば独学方式の勉強法だった。この手法の時にサルジェが見せる才覚は、他の学生と桁違いだ。まだ一週間だというのに、サルジェはすでにアカデミーファースト(1年生)の半年分に匹敵する知識を復元していた。このままではあっという間に最終学年であるフィフス(5年生)の知識を復元出来てしまうことを知り、さすがのグローレンも舌を巻いた。
「ネクタス。お前がサルジェの抹消を渋った理由がよく分かった。こいつの成績は、他の学生の群を抜いている。昨日ついに、あの『ヴァルセル』の記録を破ったぞ」
 グローレンの言葉を、ネクタスは上の空で聞いていた。視線は窓の外に見える雲に注がれ、心はどこか遠くで彷徨っているかのようだった。
「だが、あまり調子に乗るのも良くないな。ヴァルセルが典型例だが、天才という者は反逆者に転じることがある。ヴァルセルがエデンに背き、レジスタンスを創設したように」
 グローレンの言葉に、ネクタスは反応しない。しかし、ネクタスの中ではグローレンの言葉に反応した記憶が想起されていた。

 ヴァルセル・ディス・アズライール。

 エデン創設時のアーシアンが何人だったのかはっきり記録は残されていないが、もっとも偉大とされる血筋は初の元老院たる四名ミハエル、ガブリール、ラフィール、そしてアズライールである。ヴァルセルは、そのアズライールの子孫として誕生した。
 幼い頃から彼は天才的な頭脳を発揮していたが、彼が好んだのは幾何学や数学、物理学だった。政治とはまったく無縁だった彼が、事故死した父の代わりに元老院に入ったのは10歳の時だ。しかし、その頃からすでにヴァルセルの中には「ひとつの理想」が芽生えていたのだった。
 頭脳明晰で利発的、その上容姿端麗で、誰からも注目される程のカリスマ性を持った親友ヴァルセル。しかしネクタスは、その親友の遺体を埋葬するという、とてつもなく辛い経験をする羽目となったのだった──。

「──おい、聞いているのか!」
 まったく返答しないネクタスに、グローレンが痺れを切らした。
「……ああ、聞いている」
 冴えない返答だった。グローレンは舌打ちをする。
「フン、本当に聞いていたのか怪しいな。ちなみにサルジェが特に好成績なのは、医学と遺伝子工学、生物学だ。さすが、遺伝子工学で群を抜いたオリジナルであるシリアの血は争えんな」

 ネクタスの脳裏に、サルジェと同じ翡翠色の瞳をした女性が過ぎった。いつも優しい微笑みを浮かべていたシリア。彼女が笑うと、どんなに薄暗い研究室でも黄金色の陽射しが舞い込んできたかのように思えた程だ。
 そんな彼女に訪れた悲劇。シリアのDNAからデザインされたクリティカンであるサルジェの目の前で、彼女は銃殺されたのだ──。
 その事実を、ネクタスはシリアの遺体が処分された後に聞かされた。ネクタスがどれほど悲しみに打ちひしがれたか──表現し尽くせない程だ。
「だが、オリジナルがシリアだからこそ、注意が必要だ。サルジェも、シリア同様『裏切り者』になるかもしれんのでね。シリアのようにサルジェを殺したくないなら、監視を続けることだ」
 その言葉は、物思いに耽るネクタスの意識を呼び起こすだけにとどまらず、溜めこんでいた怒りを放出させるだけの力があった。瞬時にネクタスの表情が変貌し、激高した。

「巫山戯るな! シリアを殺したのは貴様のくせに!」

 今まで黙って聞いているだけだったネクタスの憤りに、グローレンもさすがに息を呑んだ。怒りに震えるネクタスを見つめていたが、開き直ったようにこう言った。
「そうだ! あの女を殺したのは『私』だ。しかし、だから何だと言うのだ。あいつがサルジェにしていた行為は、明らかにエデンの意思に反したものだ。だから殺した。それの何が悪い?」
「人の命を虫けらのように扱う貴様には、いつか必ず天罰が下るぞ!」
「残念ながらネクタス、『天』というのはエデンの長である『アグティス皇帝』のことだ。皇帝は決して、私の行為を罰することはない。むしろ、罰せられるのはシリアやヴァルセル、そして──貴様だ」
 そう言いながら、グローレンはネクタスに背を向けた。数歩進んだところで、何かを思い出したかのようにその場で足を止めた。
「……そういえば、貴様はあの女に惚れていたのだったな。だから、サルジェを引き取ったのか? サルジェは確かに、シリアに瓜二つだからな。くれぐれも言っておくが、教え子に手を出すような真似だけは、絶対にするなよ」
「下劣なことを! そのような言葉、私の前で二度と言うな!」
「おお、怖い! くわばらくわばら……」
 グローレンは肩をすくめてからかうように言うと、研究室を後にした。残されたネクタスはその場で膝を崩すと、床に両手をついた。声を絞り出すようにしてこう呟く。
「ヴァルセル、シリア……。頼む! 頼むから、サルジェのことを守ってくれ。あの鬼畜なグローレンの手にかからないよう、彼を守ってあげてくれ」
 怒りと悲しみから、床についた手を握りしめる。それは、シリアを守りきれなかったことへの悔いでもあった。ネクタスは、シリアがサルジェにしていること、そして、グローレンに刃向かっていることも良く分かっていた。遺伝子工学博士でもあり教育者としての資格を持っているネクタスは身分上グローレンよりも上だが、その分、研究室だけに籠もれないことが仇となってしまった。アカデミーの教育者として研究室を離れていた間に、シリアは殺されてしまったのだから。
 その2日前「サルジェを守って欲しい」と泣いて懇願されたのが、シリアとの最期の会話となってしまった。シリアはサルジェがグローレンに抹消される危険を察知しており、その保護を要請してきたのだ。その場でシリアの願いを叶えることが出来なかったことを、どれほどネクタスが後悔したことか。
 だからこそ──。
 だからこそ、ネクタスは「自分の命に換えてでも、サルジェを守る」そう決意していたのだ。
「シリア。君のように、サルジェを死なせたくない。私では、サルジェを守りきれないかもしれないのだ。頼む……。力を貸してくれ」
 そう言うネクタスの頬には、涙が伝っていた。

* * *

 サルジェの優秀さは、すでにアカデミー内で知れ渡っていた。しかし、どんなにインプットされた知識を呼び起こしても、サルジェはまだ自分の記憶を取り戻せないままでいた。断片的に思い出せても、それがどんな意味を持っていたのかがまったく思い出せない。サルジェの記憶は、誰かに封印されているかのようにしてまるで姿を現さないのだ。

 サルジェはネクタスの忠告を聞かず、ドルケンと友達のままでいた。一緒にいてもドルケンにはネクタスが言うような側面がまるで見られず、それどころか何でも教えてくれる信頼出来る親友とも言うべき存在にまでなってしまっていた。自分と同じように十歳までの記憶がないドルケンに、サルジェは親近感さえ覚えていた。
 ドルケンは三歳年上のせいもあってか、社会についてはサルジェより遙かに詳しかった。まだ右も左も分からずにただただ日々を過ごすサルジェに向かい、様々なことを教えてくれたのも彼だった。
「アカデミーっていうのは、エデンの中央部に位置しているんだ。ここはただ学術的なことを教えるだけじゃなく、『政治の中枢』にもなっているんだよ」
 歴史資料が保管された研究室の中央で、ドルケンはパネルを前に説明してくれた。宙に浮かぶ立体ホログラムには、円錐型の街の模型図が浮かび上がっている。その中央部にアカデミーの縮小模型が映っていた。
 クラスター型のクリスタルなビル群。いつもネクタスの家からアカデミーに向かう最中に見る光景が、縮小して目の前に広がっていた。
「いいかい? これがエデンの中心部だ。この中央に点を置き60度ずつ区切ると、正三角形が出来るだろう? さらにそれを三等分すると、二等辺三角形が三か所出来る。この底辺部分に、アカデミーが位置しているんだ」
「残りの部分には、何があるんですか?」
「向かい側には、元老院達が暮らす地域があるんだ。だけど、元老院はエデンにまず姿を現さない。だから、実体はよく分からないんだ。残りの部分には科学技術部、遺伝子工学部、社会治安部、それから──特殊部隊の『アンゲロイ』が位置してる」
「アンゲロイ?」
「知らないの? エデンのトップに位置する戦闘集団だよ。そこらへんのごろつき相手にアンゲロイは出動しないけど、レジスタンスが絡んだ場合には大抵出動する。そして、全員『ぶっ殺してくる』んだよ」
 殺すという言葉を、ドルケンは強調して使った。
「レジスタンスって、何?」
 質問を繰り返すサルジェに、ドルケンは呆れ顔をした。
「君、本当に何も知らないんだなぁ! レジスタンスは、ヒューマノイドのクズ達さ。アーシアンで落ちこぼれた奴もレジスタンスに入るけど、アンゲロイからすればそんな奴らもクズ同然だ」
 ドルケンの説明に、サルジェは沢山の疑問符が湧いた。
「ねぇ、ドルケン。前から疑問だったんですけど、アーシアンとヒューマノイドは何故そこまで大きな差が生まれてしまったのですか? 私、今ひとつアーシアンとヒューマノイドの差が分からなくて」
 基本的な問いに、ドルケンは見下すような表情をした。しかし、優秀と噂されるサルジェが自分に質問してくることを、ドルケンは心地良いと感じ始めてもいた。
「アーシアンは、エデンに500年前から住んでいる人種のことだよ。その特徴は、金色の髪に透けるような白い肌、瞳は青か緑色で、優秀な遺伝子になればなる程、緑色が強くなる。君の瞳みたいに綺麗な翡翠色は、優秀な遺伝子の証だよ」
 そう言って、ドルケンは大きく目を見開いた。
「僕はクリティカンでも青い瞳だから、君の瞳が羨ましいんだ。取り替えて欲しいぐらいだよ」
 サルジェはじっと自分の目を見るドルケンを、ただ黙って見つめ返していた。やがてドルケンはサルジェから視線を逸らすと、徐に続きを語り出した。
「ヒューマノイドは、『アーシアンではない原始人』のことを言うのさ。その証拠に、奴らはみんな醜い容姿を持っている。見るだけでもおぞましいよ」
 ドルケンは左の指先で空中にパネルを開くと、何度もスライドさせた。ドルケンの指先で様々な画像が浮かび上がる。その画像どれもが、サルジェが一度も見たことのない光景だった。
 荒廃した大地。泥のような水の海。そして、砂だらけの大地にしゃがみ込む人間らしき画像が浮かんだ。その瞬間、ドルケンは顔を歪ませた。
「あった! これがヒューマノイドだよ。……うえっ。あまりの醜さに、見てるだけで吐き気がする」
 そこには、三人の男の姿があった。
 ひとりはアーシアンのように白い肌だが、無精髭のはえた毛深い男だった。もうひとりは黄色い肌で、とても細い目をした黒髪の男。そしてもうひとりは黒い肌に、短い巻き毛の男だった。ドルケンは顔を顰めているが、サルジェはこの三人を醜いなどと欠片も思わなかった。むしろとても人間らしく、強さを感じさせる。
「そうですか? 私にはこの三人、すごく頼もしいように見えます。アーシアンより、とても頑健そうだし」
「何だって? ……まったく。君の価値観はどうかしているよ! それに、こいつらは全然頑健なんかじゃない。三人束になったって、アーシアン一人に勝てないぐらい弱い存在さ」
 ドルケンは憎悪を剥き出しにしてそう言った。
「こいつらは、エデン以外の街で暮らしている。エデンには入れないんだ。アーシアンじゃないからね」
「アーシアンでないと、どうして入れないんですか?」
 サルジェの素朴な疑問に、ドルケンは大袈裟な程ショックを受けた様子を見せるとかぶりを振ってみせた。
「どこまで世間知らずな奴なんだ! アーシアン以外の人間が入れないのは当たり前だろ! こいつらヒューマノイドは、アーシアンからエデンを奪うことばっかり考えている奴らだ。それがいわゆる『レジスタンス』だよ。レジスタンスは、エデンの壁を突き破るための攻撃ばかり考えている。手に負えない奴らなんだ」
「……そうなんですか」
「今から10年以上前に、アカデミーの優等生って言われていた奴がレジスタンスに寝返ったらしくて、そいつのせいでエデンの包囲網が破られかけた時があったんだ。その時に酷い戦闘になり、アーシアンにも多くの犠牲者が出た。それを教訓として、特殊部隊アンゲロイが傭兵されることになったんだ」
「寝返ったという人は、その後どうなったんですか?」
「とっくに処刑されたよ。公開処刑だってさ。それまでアーシアンでは死刑は愚か、刑の執行さえ行われたことがなかった。アース暦始まって以来の500数年、ずっと平和が保たれていたんだ。なのにこの裏切り者が出たせいで、アーシアン史上汚点となる処刑をしなければならなくなった。まったく──迷惑極まりない」
「処刑者が出ても尚、アーシアンからレジスタンスになる人がいる──っていうことですね」
「その理由は、10年前にたぶらかすのに長けたジョリスっていう奴がいて、数十名アーシアンをレジスタンスに引き抜きしたらしいんだ。恥さらしもいいところだよ」
 ドルケンがサルジェに見せたパネルには「指名手配」の文言と共にジョリスの顔写真があった。端麗な顔立ちに優しそうな湖水色の瞳。見るからに穏やかそうな人物だった。
「こんな優しそうな人が、人をたぶらかすだなんて……」
「人は見かけに寄らないって証拠だよ」
 ドルケンはそう言うと、すべてのパネルを閉じた。辺りが僅かに暗くなり、静寂が満ちる。
「説明してくれてありがとう。あなたは、とても賢いのですね」
 感嘆して言うサルジェに向かい、ドルケンは得意そうな顔をした。
「全部、グローレン教授から教わったんだ」

 グローレンという名を聞き、サルジェの顔から血の気が引いた。
 何故だろう。未だ、グローレンという名に強い嫌悪感を感じる──。

「どうしてグローレンに?」
「どうしても何も、僕の指導教官だからさ。君の指導教官はネクタス教官だろ? それと同じだよ」
 サルジェはアカデミーに入ってからの一週間、初日に会ったきりグローレンとはまったく会わなかった。
 否、正確に言えば「避けていた」と言って過言ではない。
 サルジェの脳裏に過ぎった、残酷な場面。自分をほくそ笑んで見つめるグローレンの顔。優しかった女性が死んだ時に、侮蔑するように笑っていたあの男。
 何故、こんな場面が何度も繰り返して頭に浮かぶのか、サルジェにはよく分からない。自分には記憶がないはずなのに。
 ふと、その時。
「──ここにいたのか、ドルケン」
 背筋がぞっとするような声に、サルジェは瞬時に振り返った。視線の先には、グローレンが立っている。
「あっ、教授!」
 ドルケンが明るく答える。反して、グローレンの表情は険しかった。
「……貴様、何度呼び出ししたと思っている。早く私の研究室に来い。こんなところで油を売っている暇があるなら、少しは私の役に立てるよう努力することだな。そんなことでは、アカデミーを追放されるぞ」
 厳しい言葉を前に、ドルケンも表情が急激に暗くなった。その様子に、サルジェも戸惑った。
「ち、違います! ドルケンを引き留めてしまったのは、私の方です。私があれこれ質問してしまっていたから、こんなことになってしまって……」
 咄嗟にドルケンを庇っていた。
 しかし、グローレンの表情は変わらない。二人に歩み寄ると、ドルケンに「早く行け、愚か者!」と急かす。ドルケンは瞬時に走り出すと、研究室を出てしまった。

 グローレンは手を後ろに組み、サルジェの頭の先からつま先までを舐めるように見た。そして「ふっ……」と鼻で笑う。
「偽善者め。こんなことでドルケンに恩を売ったつもりか」
 想像だにしない言葉だった。サルジェはかぶりを振る。
「違います! そんなつもりありません!」
「嘘をつくな。偽善はネクタスの教育方針か。あいつは『善人の皮を被った詐欺師』だからな」
 グローレンのその言葉には、さすがのサルジェもカッとなった。
「先生を悪く言うな!」
 サルジェは初めて、感情を爆発させた。しかし、次の瞬間には頬に鋭い痛みが走る。何が起きたのか分からなかったが、徐々にグローレンが自分の頬を叩いたということを理解した。
「小賢(こざか)しいことをほざくな。たかが『部品』の分際で──」
 サルジェは叩かれた頬を抑えながら、愕然と目を見開いた。
 ──部品? 一体、何のことを言っているのだろう。
 恐る恐るグローレンを見上げる。
 グローレンは自分がまずいことを口走ってしまったと思ったのか、僅かに頬を引き攣らせていた。しかしすぐに踵を返すとサルジェに背を向け、その場から立ち去った。