第二章 アカデミー
 ティナに見送られて玄関を出ると、そこはまるで花の絨毯のようだった。
「うわぁ……」
 思わずサルジェは声を出してしまった。
 ネクタスの家の庭には、樹々や花々が伸び伸びと育っている。朝のそよ風が、色とりどりの花の香しい匂いを辺り一面に広げていた。草木は優しく揺れ、頭上では小鳥が囀りながら互いを追いかけている。そこは小さな生命が息づく、文字通りの楽園だった。
 ──なんだか、懐かしい……。
 その懐かしさの理由が、サルジェにはまるで分からなかった。懐かしいという感情の意味も、まだきちんと理解出来ていない。しかし、何とも言えない感慨深い思いがサルジェの心の奥底を揺るがし、愛おしさが自分の全身を覆いつくしているかのように感じられた。その場で腰を下ろすと、小さく揺れる花びらにそっと指先を宛てた。そんな光景を微笑ましそうに見つめながら、ネクタスが語りかけてきた。
「それはポピーという花だよ。ティナはポピーが大好きでね。気がついたら、我が家はポピー畑のようになってしまった」
 そう言ってネクタスは苦笑をする。

 何故だろう。初めて見たはずなのに、「ずっと昔に見た記憶」がある。
 でも、その時咲いていたのは、この花ではなかった。
 もっと花びらが細くて、葉も茎も細かったような気がする──。

「どうかしたのかね?」
「いえ、その──ずっと前に一度だけ、この光景を見たことがあるような気がしたのです」
「ほう! それは、どんな光景だね?」
「この花ではなかったのですが……もっと花びらが細くて、葉も細くて華奢な花が一面に咲いていた記憶が──」

 それを言った瞬間、ネクタスの表情が悲しげに歪んだ。しかしすぐ微笑んで悲しみをかき消すと、まるで愛しいものを見つめるかのように顔をあげた。
「それは『コスモス』だ。コスモスは、初秋に咲くのだよ」
「コスモス……?」
 ネクタスは頷いた。
「私の愛した女性が、コスモスを好きだったものでね。それで、この庭を一度だけコスモス畑にしたことがある」
 そう言って、ネクタスは何かを思い耽るように遠くへと目を向けた。サルジェの中に残る、コスモス畑の光景。それは、ネクタスが愛した女性と何か関係があるのだろうか……?
「その女性って……」
 そこまで言いかけた瞬間。
「さぁ、もう行こう! 急がないと、遅刻してしまうよ」
 まるでサルジェの思考を遮るかのようにネクタスは言うと、サルジェの手を引いて早足で歩き出した。

* * *

 門を出た先には、楕円のカプセル型をした車が泊まっていた。
「『エアカー』だよ。行き先を指示すれば、どこにでも連れて行ってくれる。勿論、無事故無違反でね」そう言って、ネクタスはウィンクした。
 二人が横に立つとカプセルの扉が大きく開いたので、二人は中に乗った。中のソファーはふかふかで、移動する際の衝撃も少ない。
 二人を乗せた途端、車は街道を滑るように走り出した。ネクタスの家を出てすぐに透明のレールに入り、他の車と等間隔で空に上がっていく。窓の外を覗くと、車が通るレールは空に何本も延びており、まるで樹木の枝のように広がっているのが分かった。進行方向には、白く輝く高層の建物が見えた。それはまるで水晶のクラスターのようだ。中心部にある白い建物を取り囲むように家並みが見えたが、そのどれもが透明感のあるクリスタルで出来た建物だった。

 ここは本当に街なのだろうか? まるで大いなる存在が、美しいオブジェを飾りたくて産みだしたかのような水晶の彫刻群のようだ。中央にそびえ立つクリスタルの建物と、それを取り囲む様々な高さの透明な建物。そこに多くの人が住んでいるとは思えないような、まるで置物のような風情。
「サルジェ、よく見ておきなさい。このレールが、エデンの中でもっとも高度な位置にあるレールだ。ここからが一番、エデンを一望出来るのだよ。エデンだけじゃない、その周辺がどんなふうになっているのかも、ここから見ればよく分かる」
 ネクタスに言われ、サルジェは窓に顔を近づけて外を覗き込んだ。
 そこから見えたのは、まるで天空の城のように盛り上がった高地だった。遠くに見える地平線や山脈、広がる草原や農地から、エデンがどれほど高い山地にあるかが実感出来た。
 ふと、遠くの山間に同じぐらいの高さにある白い巻貝のような建物があることに気が付いた。サルジェはガラス越しに指をさした。
「あれは何ですか?」
「あれは『レドラ』だよ」
「レドラ?」
「エデンと流通している、唯一のヒューマノイドタウンだ。いわば、ヒューマノイドの首都みたいなものだね。レドラは標高3000メートルだが、エデンの標高は約3700メートルだ。本来なら人が住むのも困難な場所だが、エデンを包み込む保護エネルギーのおかげで、我々は快適に住むことが出来るんだ。ただし、そのエネルギーがあるが故に、満天の星空を拝むことは出来ない。まさに一長一短だ」
 満天の星空。
 見たこともないはずの記憶が、何故かサルジェの中には刷り込まれていた。それがどういう理由で存在するのか知りたい気もしたが、サルジェの興味は今エデンの全貌を知ることに注がれていた。
 クラスターのように天高く伸びるクリスタルの建物の周辺は、同じように透明なビル群が囲んでいた。その合間を、同じように透明なエアカーの為のレールが無数に走っている。しかし、その透明な建物群の廻りは円形の壁で仕切られており、その外側にある郊外の家々はネクタスの家のように草木や緑の生い茂る上品な建物に囲まれていた。
「『エデンの中心街』にある建物は、どれもこれも透明で無機質だろう? 私はこういう建物が嫌いでね。それで、エデンの中心地から離れた郊外に住むことにしたのだ。中心部は街の統一感を持たせる為に建物の設計が決められているが、郊外であれば主が自由に設計出来るからね」
「あの……」
 サルジェが小さく呟いた。
「何だい?」
「さっき先生が言っていたエデンっていうのは、ここ全体のことなんですか?」
 ネクタスは深く頷く。
「ああ、そうだ。私達が住む都市だよ。この惑星──地球の首都でもある」
「ここ以外には、誰も住んでいないのですか?」
 サルジェの問いに、ネクタスの表情が曇った。眉根を寄せ、かぶりを振る。
「──いや、エデンに住む人達は地球人類の100分の1程度だ。ほとんどの地球人はみな、エデン以外の厳しい環境下にいるよ。彼らは『ヒューマノイド』と呼ばれている。レドラで暮らせるヒューマノイドは、ごく一部の裕福なヒューマノイドに限られている」
「どうしてその人達は、エデンに入れないのですか?」
「我々エデンに住む種族『アーシアン』とは、DNAが異なるからと言われている。ヒューマノイドは低俗で、争いが好きで、無秩序であるからということを理由にあげている。しかし、本来地球にずっと住んでいたのは彼らヒューマノイドの方なのに……排他的なのは、むしろ我々の方だ」
 後半はまるで、自戒を含んでいるような言い方だった。
「そうしたアーシアンとヒューマノイドの歴史についても、すぐに学ぶことが出来るよ。だが、そうやって色々な疑問を持つことはとても良いことだ。どんな小さなことでもいいから、疑問に思ったことはすべて私に質問するといい」
 そう言うと、ネクタスはサルジェの肩をポンと叩いた。

 車はやがて、クラスターのような透明な建物群の前に降りた。荘厳な装飾がされた白い門の前に停車すると、扉を開く。サルジェは恐る恐る外に足を踏み出した。
 その門はまるで城門のように大きく権威を感じさせた。門の向こう側には、同じく白い荘厳な建造物がある。まるで蓮の花を思わせるような造りで幾重にも花弁のような装飾が天高く開き、太陽から放出される放射能から建物全体を保護しているかのようだった。
 それにしても、ここはすべてが「透明」かつ「白く輝いている」。すべてを反射し、跳ね返すような建物群。あまりの眩しさに、サルジェは目が眩んだ。
 これは、権威の為なのか? それとも、今となっては害のある太陽光を寄せ付けないためなのか? もしくは、その両方なのか? 今のサルジェに、答えは出せなかった。
「ここがアカデミーだよ。まるで神殿みたいだろう?」
 ネクタスがそう説明した。サルジェは眩しさのあまりに覆っていた腕を外した後、小さく答えた。
「……そうですね。神殿というか──『何も寄せ付けない雰囲気』というか」
 サルジェは記憶がないながらにも、とても的を射た回答をする──ネクタスはそのことにとても満足していた。手を伸ばし、サルジェに中に入るよう促す。

 建物の中に一歩踏み入れると、そこに広がる通路の床はまるで磨き石のように輝いていた。採光を取り入れるように、窓はとても大きくなっている。そこから入る光は充分に室内を照らし、照明は不要だった。
 アカデミーの中には、サルジェと同じ制服を着た少年や少女達がいた。しかし誰もが無表情で、サルジェのことを冷ややかに見つめる。ティナのような明るい笑顔も、楽しそうな笑い声も、ここでは皆無だった。
「先生……」
 囁かれたサルジェの声に気づき、ネクタスが「何だい?」と尋ねる。
「みんな、私より年上のように見えるんですが……」
「実際にそうだよ。アカデミーの入学年齢は13歳からだ。君は今10歳だから、おそらくクラスで最年少になるだろう。──だが、心配しなくていい。アカデミーは年齢ではなく、頭脳と才能で評価される世界だ。年上の彼らも、すぐに君を受け入れてくれるようになるよ」

 楽観的なネクタスの答えだったが、サルジェは不安でいっぱいだった。自分が何者であり、何を目的としてここにいるかが明確に分かれば、例え年上の狼の群れの中に入ったとしてもサルジェは自信をもっていられただろう。しかし、サルジェは何一つ──自分のことさえ、分かっていないのだから。それではまるで、ライオンの群れに子鹿が一頭放されたかのようなものだ。刺すような視線で自分を見下ろす上級生の中で、サルジェはやっていく自信が欠片も持てなかった。
 だが、そのことをネクタスに言うのは気が咎めた。おそらくネクタスも、サルジェをこの中で放つことがどれほどの辛苦を与えるか、充分に分かっているのだろう。だから、何度も「心配する必要はない」「何でも私に言いなさい」という言葉を繰り返しているのだろうから。ネクタスから発せられる前向きな言葉は、出来るだけサルジェを不安がらせない為の配慮なのだ。

 ──大丈夫。きっとうまくいく。大丈夫……。
 サルジェは何度も自分にそう言い聞かせた。
 
 ふと、奥の扉を前にしてネクタスが足を止めた。
「ここが君の教室だよ。私は研究室にいるので、何かあれば来なさい」
 ついに、サルジェがネクタスの元を離れてひとりにならなければならない時が来てしまった。サルジェはより一層不安そうに、ネクタスを見つめ返した。サルジェの不安を察知したのか、ネクタスは肩に手をおき「大丈夫だよ、心配しないで」とそう呟いた。
「この廊下の突きあたりに、私の研究室がある。嫌なことがあれば、走ってくればいい。この教室から私の研究室まで、ものの数分だ」
 そう言って、ウィンクをする。
 サルジェは目を伏せ、小さく頷いた。それは、教室に入るというサルジェの決意でもあった。ネクタスはサルジェの決意を確認すると、静かに扉を開ける。

 すると、扉の前にひとりの男が立っていた。ネクタスと同じ紺色の制服を纏う男は、頬がこけたきつい目つきの男だった。細い目の奥には、紺碧の闇色をした瞳がまっすぐこちらを見ている。その顔を見た瞬間、ネクタスは眉根を寄せた。
「……グローレン」
 その瞬間、サルジェの背筋に悪寒が走った。脳裏に、再び様々な場面が過ぎる。

 液体の向こう側から自分を見つめる、蒼白い顔の男。頬がこけ窪んだ目は、ギロリとサルジェを睨みつけている。そして、この男は──この冷血動物である爬虫類を思い出させるような目つきの男は、優しかった女性が血の海に沈んでいる姿でさえ侮蔑するような笑みを浮かべて、冷ややかに見ていた──。
 サルジェはすぐさまネクタスの背後に隠れると、怯えるような目でグローレンを見上げた。その様子にグローレンも何かを感じ取ったのか、目をすがめてサルジェを見下ろす。

「──私が怖いのか?」

 ぞっとするぐらい、冷たい声だった。ネクタスはサルジェを庇うように手を廻すと、「初めて会ったから、緊張しているだけだ」とそう告げた。
「サルジェ、彼はグローレンだ。君の直接の教育者ではないが、彼も私と同じく遺伝子工学を研究している。この教室の責任者でもあるので、おそらくは彼と話す機会が今後増えるだろう」
 ネクタスの説明はどことなくぎこちなかった。その説明の間中、グローレンは見下すような目でサルジェを見据えていた。再びネクタスはサルジェの肩に手を置き、耳元で囁いた。
「──どうしても辛ければ、私のところに来なさい。いいね」
 サルジェはコクンと頷いた。ビクビクしながらグローレンの横を通り過ぎると、足早に教室の中へと入る。そんなサルジェの姿を見て、グローレンが低く呟いた。
「……あいつ、『私のことを覚えている』のではないか?」
 その言葉に、ネクタスの表情は冴えなかった。
「覚えている? ──そんなはずはない。その証拠に、彼は記憶喪失になっている」
「都合の悪い記憶だけ、覚えているのかもしれん」
 グローレンはそう言うと、その場を立ち去ろうとした。だがすぐに足を止めると、ネクタスにしか聞こえないようこう囁いた。
「分かっているだろうな。あいつが処分されなかったのは、貴様が『思考変換を完全に行い、記憶を抹消する』と、そう断言したからだぞ。奴の記憶を消去し思考を支配することを確約したからこそ、貴様が奴の身元引受人になることを承諾したのだ! 記憶が消去されていないようであれば、奴はやはり存在自体を抹消せねばなるまい。そのことを、覚悟しておくことだな」
 そう言い放つと、再び踵を返して歩き出した。ネクタスはグローレンの言葉を脳裏で反芻しながら、ぎゅっと拳を握りしめていた。

* * *

 サルジェと別れた後、ネクタスは研究室に向かった。中に入り鍵を閉めると、デスクに向き合う。ネクタスがセンサーに触れると、そこに一冊の古びた本が現れた。まるで何世紀にも渡って残存しているかのような革表紙の本を、ネクタスは懐かしい友に再会したかのように指先で撫でた。
「ヴァルセル。ようやく、君の計画が実現しようとしているよ。シリアが命を賭けて守ったサルジェは、本当にいい子に育った。君にも会わせてあげたい」
 ネクタスが本の表紙をめくると、中から写真が出てきた。そこには端正な顔立ちの青年が映っている。隣に写る若い頃の自分と友の姿を見つめ、ネクタスは微笑んだ。
「『時』がようやく訪れた。君の息子スレイドとも、いずれ話をせねばなるまい」

 ──大事な計画……、地球の未来について。

 ネクタスは、心の中でそう呟いた。